「なぜ生きるのか」という問いへの答えをどう出すか | 自分らしく生きていこう

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絶望あるところに希望を。

お金の不安 < 将来への希望 
となりますように。

お金と向き合うことは自分と向き合うこと。
買い物依存症で借金500万円以上→完済→貯蓄。
そして、その経験を本に。

「人はなぜ生きるのか」
よくYou Tubeを観ているが、ある日こんな興味深いタイトルが流れてきた。

仏教の動画だった。お釈迦さまはこの問いに明確に答えられているという。仏教講師と言われる方が解釈を説明していて、最初はなかなか答えが分からなかった。何十本と見続けて、やっと全体像が把握できた時に感じたのは、

よくこの世界観をつくったものだ、という純粋な驚きだった。
きれいに完結している。

人が生きる目的は生存、繁殖だと捉えていたが、それは遺伝子の目的であって私達は遺伝子の奴隷ではない、きちんと目的があるとの考え方をとっている。

だいぶはしょるが、答えを端的に言うと人間に生まれてきた目的は、六道輪廻という迷い、苦しみの世界を巡ることから解脱し、「絶対の幸福」になることだという。

幸せは状態ではなく過程において感じる感情であると理解していたが、この絶対の幸福(信楽(しんぎょう)と言うらしい)は一度そうなれば
もう覆らない幸せの状態であるそうだ。
この世は諸行無常というが、無常でないものがあったのにも驚きだった。

それが2600年前には確立していたのにも驚く。

しかし、未だに多くの人がなぜ生きるのかと悩むのは、その世界観を受け入れることが難しいからなのだろう。
さらに、そこから絶対の幸福になること自体も難しいのだろう。
それを成し遂げたのは、よく〇〇上人と呼ばれる人たちだ。

お金の相談を受ける中で、または友人と話していたりする中で、「自分の軸を持ちたい」という声をたまに聞く。

私も「これだ!」と断言できるほどではないが、これまでの経験を通して「これかな」というものは一応言語化できてはいる。
それが私にとっては、今生を生きる目的、どう生きていくかの指針となっていて、過去と同じ過ちを繰り返さないために非常に需要な役割となっているのは間違いない。

何が言いたいかというと、浪費や自分探しに、この「生きる目的」は重要な役割を果たすのではないかということだ。


自分なりにいったんのアウトプットをしてみたが、仏教はだいぶ奥が深く学ぶことが多い。

(私の理解が違っているかもしれないのでもし誤解を与えてしまったらごめんなさい、違っていたら指摘してください)


まだまだ私も勉強不足なので、もう少し世界観の理解を進めたいと思う。