旦那…パパが4月8日土曜日急変して亡くなった。

前日の訪問入浴では大好きなヘルパーの女の子が来てくれて笑顔も見れた。

4月12日から半年ごとの腸瘻チューブ交換を1週間レスパイトに充てていたので訪問入浴前に散髪してあげて入浴後には爪切りや身支度を整えていた。

4月8日土曜日朝からゴロゴロした痰の音はするのに中々吸引出来なくて。

でもそれなりに吸引しながら過ごしていたらどうもサーチが80代から上がらず受け答えも出来なくは無いけれど反応が悪い様に思い昼間訪問看護ステーションに連絡して看護師さんに来てもらった。

色々な処置をしてもらい血液検査をしてもらったら少し炎症反応があり抗生物質の点滴をしてもらったら少し落ち着き様子を見ていた。

19時頃娘と夕食を食べていたら痰の音がするので見に行くと血中酸素濃度が66%で明らかに反応が悪い。

すぐさま訪看ステーションに連絡する。
訪問ドクターと連携してくれている間、酸素濃度が64%まで下がりまだ降下する感じで
『誰か早く来て‼︎お願い‼︎』と慌ててステーションに電話した。

訪問医が折り返して電話をくれて
『状態が悪ければきっと挿管して人工呼吸器を付けることになるかもしれない。すると自発呼吸に戻す事は難しいと思う。その処置はいつもレスパイト入院している訪問医が勤務する病院では出来ないからどうする?』と聞かれた。

まだ昼間意思疎通が出来た時間に
『パパもしもこの状態で運び込む事があっても気管切開はしないの?しないのなら私の手を握り返して?』と言うとギュッと握り返した。

『パパ分かった。何も心配要らないからね』と言ってあったから訪問医にその事を伝えると

『分かりました。こちらの病院で処置出来る様に整えておくから救急車呼んでください』と言われて救急車を呼んだ。

娘も同乗して病院に運び込み処置後パパのところへ行くとモニターを見たら【ああ、もう最期だ】と分かった。

娘は『パパ‼︎なんで?あかんて‼︎パパ頑張って‼︎イヤや‼︎パパ』って泣きながら絶叫していてその姿に圧倒されてしまい娘の背中をさする事しか出来なくて…。

1時間経った頃息を引き取った。

3月に62歳になったばかりだった。

今年に入り息切れの症状が毎日出る様になって来て【もしかしたら来る所まで来てるのかも知れない】と腹を括っていたけれど訪問入浴まで出来た次の日に亡くなるとは夢にも思わなかった。