それからも介護と仕事を頑張る日々が続いていた。娘の成長が何よりの私の支えだった。しかしながら介護と仕事と家事の両立に疲れ切っていたある日たわいも無い事で旦那と大ゲンカをしてしまった。

その勢いで私は彼の勤める高校に彼宛てに手紙を出してしまった。

バスケットボールで頑張っている事、本当に良かったね凄いねと。私も貴方に言われた言葉の通り頑張っているから。いつか時が経って同窓会ででも会える事を楽しみにしています。貴方の成功祈っています。と。
でも彼に届くかも分からない手紙だから住所だけを書いて。

また手紙のやり取りだけでも出来れば良いのにと思った。連絡取れたら良いのにと思った。

此の期に及んで私はまた元彼を心の拠り所にしたいと思ってしまった。

もちろん返事など来なかった。

…その後に私たちの出身高校の同窓会の掲示板に元彼の書き込みがあるよと友人が教えてくれた。

手紙を出した直後で…彼らしい懐かしい文面で某高校で教師をしている事が書いてあり『ようやくここに辿り着いた』『みんなも色々あったと思う。頑張っているか?』と書いてあり返信用のメルアドが書いてあった。
これは返信して良いの?と思ったけれど   
手紙の返事が無い事が何よりの返事だと自分に言い聞かせて何もしなかった。

それからはまた元彼への感情を封印して自分の生活に帰っていった。

月日は10年流れた。

介護中だった父を無事に見送る事が出来て母は入退院を繰り返しながらも元気で娘も中学、高校、大学へと着々と進んでくれた。大学も自分の行きたかった大学に自力で合格を勝ち取ってくれて親子で喜び幸せだった。

元彼の事を思い出す事も少なくなっていた。

…6年前に1度だけ彼の勤める学校地域の市外局番の電話番号でかかってきた長い無言の留守録電話があった。
もしかしたら?と思いはしたが掛け直す事もしなかった。

この頃は元彼の事も空に向かって活躍を祈っていた。
実際バスケットボールでかなりの成績を上げてる様で活躍してる事が分かり良かった。元気で頑張ってくれたら良い。
そんな気持ちになっていた。

生きていて縁があればいつか会える。

今度こそはただのクラスメイトとして会えたら良い。
だからその時に私も貴方の言っていた言葉通り頑張っていたよって報告したい。

そんな気持ちに変わっていた。

やっと遠くから応援しようと言う穏やかな気持ちになれた。

元気で頑張って欲しかった。