2回目かな?ナリ心理学のブログをリブログしたわたしのブログのリブログ。
てか今くだらないことが頭をよぎった。人のブログをブログとして掲載させてもらうからReではないのでは、、?どうでもいいか。
まとまらない話をつらつらと。。
人間として生まれてきて、
例えば尺取り虫に育てられたら、尺取り虫のような人間になりますよね。
「あなたは尺取り虫ですよ。」「尺取り虫だから、体をこう曲げながら進まないと。」
そうやって生きてきて、やがて周りの人間とともに過ごすようになり、自分はどうやら人間だと知る。もしくは周りはみんな尺取り虫だと信じて接する。
どちらにしても、話が合わなそうですよね。笑
あぁ、わたしは尺取り虫として生まれた方がどんなに楽だったか。これからは人間として生きなければならないのか。
わたしは生まれない方が楽だったのに。苦しい。
でもそれは他の虫や鳥や犬や猫などの生き物が生きてなくてもいい、ということに繋がりはしないだろうか?
わたしは勿論、他の虫や鳥や犬や猫が生きていた方がいいと思っている。
そうであれば、わたしが生きていてもいいということにはならないだろうか?
どんなに周りの人間よりも劣っていたとしても。
というか、もう生まれちゃってるし、存在してるので、存在してもいいとも言えなくもないのではないだろうか?
存在しちゃダメなら存在するように生まれてこさせるなよ。(何かに対する逆ギレ。笑)
そして、今までこうして生きてこられたのは、他の大勢の人々がわたしを生きていてもいいよ、と認めてるから存在してるのではないだろうか?
わたしがどんなに生存本能で生きたいと願っても、もしも周りの全員が許さなければ、生きるのは難しいと思うんです。それはとても悲しいことなので。
わたしが穏やかに動物のような気持ちでその場その場で生きていれば、ペットのような位置で認められるかもしれないし、
わたしが獰猛な野獣のように怒り狂って生きていれば、怖い怖いと離れて観察されるようになるかもしれない。
それがわたしの幸せには繋がらないのは明らかなのですが、わたしがダメならダメで周りはそれなりに扱ってくれるのでは?という感じです。
周りの人はすでにわたしが扱って欲しいやり方で、わたしを取り扱ってくれてるのではないでしょうか?
ぜんぜんまとまらないので、これで終わります。
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