25ansの君島十和子さん連載が

ウェブにもアップされましたので

みなさまよろしければお読みくださいませ。

この連載は年間のタイトル出しを先にしていて

その切り口でお話を伺っているのですが、

振り返ってみると今回のテーマのキモは、

意図的にギャップを作ることではなくて、

とらわれない心を持つことだなと感じました。

これまでに身につけてきた経験や知識やイメージを

いかに軽やかに脱ぎ捨てて、

自由で柔軟な心と発想を持ち続けるか。

アンチエイジングだったり、

我々高齢者が持ちがちなビジネス社会での老害

という観点からも、

大変学びの深いお話でした。

 

11月17日(火)

朝から中目黒・渋谷・北参道と

自転車で北上しながら私用をこなす。

暖かく気持ちの良い日。

そこそこで人に会い、刺激を受け、

自分をアップデートしたい、

そのために優先順位の調整をしなくては、

という思いに駆られる。

 

その後シェアオフィスで原稿書き。

今日1本、納品したかったけれど、

クライマックスなところで時間切れ。

このインタビュー対象の人生にも

改めて刺激を受け、焦る。

 

私は長期的・具体的な向上心というものを、

持たずに育ってしまったと思う、うっかり。

振り返ると私の家庭はよく言えば放任主義、

悪く言えば…。私の両親は、

というか父は育児に関与しなかったが、

母は、向上心のようなものを

やや悪と捉えていたように思う。

向上欲も他の欲と同様さもしいものだと。

右手のしたことを

左手に知らせないようにしなさいと教えられ、

秘めるが花という感じだった。

いろんなお稽古事をしたがる私を

強欲で我の強い子と見ていたように思う。

良い高校に合格が決まった時、

「人を蹴落として偉くなりたいのか」と

母に諌められたことがやっぱり今も悲しい。

私はあの時何か、

偉そうな態度をとったのだろうか。

ただ母に褒められたかっただけなのに。

まあ、それはもういい。

多分私のこだわりすぎだと思う。

 

最近いろんな方をインタビューしていると

親の働き方や生き方、

親に言われたほんのひと言が、

人生を左右していると感じることが多い。

親は完全な人間ではないし、

(もちろん誰も完全な人間などいない)

間違ったことを言うこともある。

文脈によって違う意図に取られることもある。

そしてたいてい、それを訂正するチャンスはない。

それでも子供に植え付けてしまう影響は

避けようがなく大きいのだ。

そのひと言が支えになっているなら大切に。

その姿が枷になっているなら、

いかに脱ぎ捨てるか。

親になった今、

その責任の大きさもひしひしと感じる。

 

今日持ち帰ったのはピンクの実。

帰宅すると、じぃじから

なんとも早いクリスマスプレゼントが届いていた。

慌てん坊のサンタクロースすぎる。

 

さあ、自らを前に向けつつ

私の背中が娘の幸せな未来につながるように

明日も生きていこう。