現在発売中のanan「長続きする恋」特集にて
「ケンカ上手になる方法」についてコメントさせていただきました。
私のほかに2名のアドバイザー役の方がいて、いずれもとても参考になります。
ケンカの最中には、かっとなって脊椎反応のように言い返したりしてしまうこともあると思うので、
ラブラブな時にこそ、二人で読んで参考にしてもらえたらなと思います。
この企画は、読者アンケートから様々な「ケンカの原因」をいただき、
それに対してアドバイスさせていただく取材形式でした。
ケンカの原因を読んでいて思ったのが、みんな好きな人には
「自分の行動を縛られたくない」「自分の価値観を受け入れてほしい」と思っているということ。
だから、キレイ好きな人は不衛生な恋人を不満に思い、
おせっかいなほどに愛情豊かな人は、クールで客観的な恋人を冷たいと苛立ち、
お金にルーズな人は、けちんぼうな恋人につい余計なひと言を言ってしまう。
私たちを私たちたらしめるもの、それは価値基準でしょう。
生きることは毎分毎秒何かを「選択」することであり、それは「価値基準」が決定づけます。
そのために私たちはとてもたくさんの独自の基準を持ち歩いているのです。
清潔感覚、金銭感覚、時間間隔、緻密感覚、道徳観、法規遵守感覚、
親への思い、友人への思い、異性との交遊関係や浮気のボーダーライン、
仕事への夢、休日の過ごし方、趣味の重要度、睡眠時間、食事量…。
他人ならどうでもいいことでも、大切な人だからこそ、わかり合いたい人だからこそ、
受け入れられないと不安や怒りに変わってしまう。
相手を自分の一部のように愛おしく思うからこそ、
自分自身の中に矛盾を抱えてしまったかのように、やりきれない気持ちになる。
でも、自分と全く同じ人間なら、一緒にいる必要はないでしょう。
自分と違うたくさんの基準を持っていながら、多くのことを共感できる人、
そういう人が、きっと、
いつまでもお互いの人生を豊かにし、人として成熟させ、新しい世界を教え合うことができて、
コミュニケーションに魅惑的なバイブレーションが起きる相手なのではないかと思います。
だから、相手と違う点があること、に傷つく必要も、怒る必要も、ないと思います。
「違い」はきっとむしろ望むべきこと。
その人がいることで、世界の見え方が、行動の選択肢が、倍に増えるようなこと。
素敵だと思うことは学んで取り入れて、違うなと思うことは少し見守ればいい。
相手と自分が違ったとしても、相手が正しいわけでもないし、自分が正しいわけでもない。
その違いが、二人で過ごすうえで埋める必要があるなら相談すればいい。
頭ごなしに何か言われたら、私はこう思ったんだよね、でもそういう考え方もあるのかもしれないね、
ということを一旦受け止めればいいだけのこと。
正解はないのだということを、忘れずにいる、ということが
きっと大事なのじゃないかと思います。
それから、ユーモア。
相手に何かしてもらいたいときも、絶対にやめてほしいことがあるときも、
謝りたいときも、きっとユーモアがあれば、ずっとうまくいく。
ユーモアは、一方的な思いだけでは成立しないから。
相手が何を面白いと思うか、どうしたらこの緊張が解けるか…。
「自分の意見」や「正しさ」ではなく「相手の思い」や「関係性」を意識しないと
ユーモアを生み出すことはできないと思います。
ユーモアは心の柔らかさであり、思いやりであり、客観性であり、一時休戦です。
目の前のケンカがばかばかしくなるようなユーモアを思いつけたら、
人生は相当ラグジュアリーなものになるのではないでしょうか。
もちろん、とはいえ、難しいけれど。
一歩一歩成長できる。それもケンカの楽しさかもしれません。
「ケンカ上手になる方法」についてコメントさせていただきました。
私のほかに2名のアドバイザー役の方がいて、いずれもとても参考になります。
ケンカの最中には、かっとなって脊椎反応のように言い返したりしてしまうこともあると思うので、
ラブラブな時にこそ、二人で読んで参考にしてもらえたらなと思います。
この企画は、読者アンケートから様々な「ケンカの原因」をいただき、
それに対してアドバイスさせていただく取材形式でした。
ケンカの原因を読んでいて思ったのが、みんな好きな人には
「自分の行動を縛られたくない」「自分の価値観を受け入れてほしい」と思っているということ。
だから、キレイ好きな人は不衛生な恋人を不満に思い、
おせっかいなほどに愛情豊かな人は、クールで客観的な恋人を冷たいと苛立ち、
お金にルーズな人は、けちんぼうな恋人につい余計なひと言を言ってしまう。
私たちを私たちたらしめるもの、それは価値基準でしょう。
生きることは毎分毎秒何かを「選択」することであり、それは「価値基準」が決定づけます。
そのために私たちはとてもたくさんの独自の基準を持ち歩いているのです。
清潔感覚、金銭感覚、時間間隔、緻密感覚、道徳観、法規遵守感覚、
親への思い、友人への思い、異性との交遊関係や浮気のボーダーライン、
仕事への夢、休日の過ごし方、趣味の重要度、睡眠時間、食事量…。
他人ならどうでもいいことでも、大切な人だからこそ、わかり合いたい人だからこそ、
受け入れられないと不安や怒りに変わってしまう。
相手を自分の一部のように愛おしく思うからこそ、
自分自身の中に矛盾を抱えてしまったかのように、やりきれない気持ちになる。
でも、自分と全く同じ人間なら、一緒にいる必要はないでしょう。
自分と違うたくさんの基準を持っていながら、多くのことを共感できる人、
そういう人が、きっと、
いつまでもお互いの人生を豊かにし、人として成熟させ、新しい世界を教え合うことができて、
コミュニケーションに魅惑的なバイブレーションが起きる相手なのではないかと思います。
だから、相手と違う点があること、に傷つく必要も、怒る必要も、ないと思います。
「違い」はきっとむしろ望むべきこと。
その人がいることで、世界の見え方が、行動の選択肢が、倍に増えるようなこと。
素敵だと思うことは学んで取り入れて、違うなと思うことは少し見守ればいい。
相手と自分が違ったとしても、相手が正しいわけでもないし、自分が正しいわけでもない。
その違いが、二人で過ごすうえで埋める必要があるなら相談すればいい。
頭ごなしに何か言われたら、私はこう思ったんだよね、でもそういう考え方もあるのかもしれないね、
ということを一旦受け止めればいいだけのこと。
正解はないのだということを、忘れずにいる、ということが
きっと大事なのじゃないかと思います。
それから、ユーモア。
相手に何かしてもらいたいときも、絶対にやめてほしいことがあるときも、
謝りたいときも、きっとユーモアがあれば、ずっとうまくいく。
ユーモアは、一方的な思いだけでは成立しないから。
相手が何を面白いと思うか、どうしたらこの緊張が解けるか…。
「自分の意見」や「正しさ」ではなく「相手の思い」や「関係性」を意識しないと
ユーモアを生み出すことはできないと思います。
ユーモアは心の柔らかさであり、思いやりであり、客観性であり、一時休戦です。
目の前のケンカがばかばかしくなるようなユーモアを思いつけたら、
人生は相当ラグジュアリーなものになるのではないでしょうか。
もちろん、とはいえ、難しいけれど。
一歩一歩成長できる。それもケンカの楽しさかもしれません。