学問の世界、
特に一部の心理学や生物学などの領域では、
「無意識」の存在を
否定する声が上がるケースがあります。
「科学的に証明できない」
「すべては脳の物理的な反応や、
意識的な行動の積み重ねに過ぎない」
といった主張です。
しかし、このアプローチに対して、
ある心療内科の先生が放った言葉が
非常に本質を突いていました。
「もし無意識を否定してしまったら、
今ここで苦しんでいる
患者さんたちの存在そのものが
矛盾してしまう」
まさにその通りだと思います。
今回は、
なぜ「無意識」という概念を
否定することができないのか、
心療内科のリアルから
紐解いてみたいと思います。
● 身体は「気づいていない心」を代弁する
心療内科を訪れる患者さんの多くは、
胃痛、めまい、動悸、慢性的な疲労感など、
深刻な身体症状を抱えています。
しかし、内科的な検査をしても
異常は見つかりません。
彼らの多くは、こう言います。
「特にストレスを感じているつもりはないんです」
「仕事も順調で、
悩むようなことは意識していません」
もし人間の心が
「意識できるもの」だけでできているなら、
彼らの身体症状には説明がつきません。
本人が「ストレスはない」と認識している以上、
身体は健康に機能するはずだからです。
けれども現実は違います。
意識のレベルでは
「大丈夫」
「頑張らなきゃ」
と思っていても、
心の奥底(=無意識)では
限界を超えた悲鳴を上げており、
それが「症状」という形で
身体に表出しているのです。
● 無意識を否定する学派が直面する「矛盾」
「無意識など存在しない」と
主張する学派の人たちに問いたいのは、
「では、本人の意思(意識)に反して表れる、
この苦痛や症状をどう説明するのか?」
ということ…
もしすべてが
意識のコントロール下にあるのであれば、
患者さんは
「痛むのをやめよう」
「動悸を鎮めよう」
と意識するだけで
症状を消せるはず💡
しかし、それができないからこそ、
多くの人が医療の助けを求めています。
心療内科の現場では、
医師が対話を通じて、
患者さん自身も気づいていなかった
「抑圧された感情」
「過去のトラウマ」
「過剰な自己犠牲のパターン」
を、引き出していきます。
そして、患者さん自身が
その「無意識下にあった抑圧」に気づき、
受け入れた途端に、
嘘のように身体の症状が
スッと消えていくことが多々あります。
このプロセスこそが、
「無意識」が確実に存在し、
私たちの心身を強く支配している、
何よりの証拠( ゚д゚)!
● 測定できない=存在しない、ではない
もちろん、アカデミズムの世界において
「目に見えないもの」
「数値化しにくいもの」を
扱うことの難しさは理解できます。
厳密なデータや観察可能な
行動のみを重んじる学派からすれば、
無意識というブラックボックスは
排除したくなる概念かもしれません。
しかしながら、
「測定できないから存在しない」
と切り捨ててしまうのは、
あまりにも机上の空論となってしまい💧
目の前で理由のわからない涙を流す人がいる。
意識では立ち上がりたいのに、
体が鉛のように動かない人がいる。
その現実の苦しみと向き合い、
治療を成り立たせるためには
「無意識」という心の深い領域を
想定することが絶対に不可欠

●心と身体の架け橋としての「無意識」
学際的な議論は学問の発展に必要ですが、
それが生身の人間の「リアルな苦しみ」を
置き去りにしてしまっては本末転倒🌀
心療内科の先生の言う通り、
無意識を否定することは、
そこで苦しむ患者さんの存在や、
その回復のプロセスを否定することに直結します。
私たちが、自分らしく、
健やかに生きるためには、
頭で考える「意識」だけでなく、
心の奥底で静かに波打つ
「無意識」の声にも耳を傾ける姿勢が、
これからも必要不可欠なのだと思います。
本当は…この研究を続けて博士課程に行って、Ph.Ꭰ を取る未来を考えていたのに…
結局、全然違う未来になっていたという💧
だからコレ見て欲しい〜
乳幼児の夜泣きと母親の性格特性の関連における一考察-Big Five 検査を用いて-
乳幼児の夜泣きと母親に関する研究から-母として秘められる心の叫び-
当オフィスの心理療法については、
拙著、或いは、脳科学者の澤口先生のブログをご参照頂くと分かりやすいです。
http://toshi-sawaguchi.life.coocan.jp/blog/2012/07/120712.html
🍀著書🍀
🍀ユリア心理ライズオフィス🍀
東京 奥沢 自由が丘
心理コンサル・カウンセリング・心理療法





