今のオフィスは、
オートロックの門を過ぎると、
中庭のようになっていて、
面白い造りです。
特に晴れた日は、気が良くて
スッキリします✨
AC(機能不全家族で育った大人)のワタクシ。
50年ぶりに
父親と手を繋ぎました。
その手は、
とても冷えていて、
血行の悪さを感じました。
父は手を動かすのも
難しくなったので、
最初は、
私が握っていただけでしたが、
彼は、自分の脳を一生懸命動かしながら、
指を懸命に動かし、
感覚が掴めたのか、
1回ぎゅっと握ってきました。
私も力を入れると、
父親もまたぎゅっと手を握ってきました。
父親からしても、
私の手を眺めるのは子供以来のことで、
本当に不思議な感触だった様子。
要介護とはいえ、
頭だけはっきりしているので、
意識的に今度は力を入れて、
何度か握ってきました。
近年、ワタクシの娘と
“この10年のうちにそういうこと
(父か母が逝去する)が
あるだろうね”と、
話していましたが、
こういう形でしたか(-ω-` )…。
うちの場合も
複雑ですが…
父親は、社会にはいろいろ
やらかしてきましたが、
ワタクシの心の、
良き理解者でした。
母親は、日本語が全く通じず、
共感能力がゼロ( ᯣωᯣ )💧
物事に対して、
“何でそういう受け取り方になるの?!”
“何でそういう言葉になるの?!”
という謎の星人で、
何度殺意が芽生えたことか(lll-ω-)
人との距離感や、
境界を理解することも不可(lll-ω-)
あのお方を母親に持つという、
“人生修行”は大変でした。
(あ、まだ終わってないのか…(lll-ω-))
父親は、
小さな頃はよく一緒にいて、
当時社長だった、
管楽器専門店『ダク』
(今も管楽器界で知らない人は
いない世界的に有名な会社になったらしい…
あのまま行けば、
“ご令嬢”だったはずなのに(lll-ω-)…)
にも、連れて行ってくれた記憶。
何があってもワタクシを守ろうと
してくれたこと。
とにかくワタクシには甘くて、
優しい人だったことを思いだします。
教育はできない人でしたが、
母親がワタクシに何かひどいことを
「無意識」に言ったりやったりすれば、
「お前!!この子に何を言ってるんだ!!」と
母親に怒りをぶつけたり…え(lll-ω-)
やり方は間違いですが、
ACは、両親そろって
子どもを守れない人も多い中、
父親が繊細な分、
心を気にかけて心配してくれた姿を
思い起こします( ゚-゚)…
父よ、キミが大きな傷の因子のうちの
1個なんだけどね💧
⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆
更年期障害が始まった日以来、
“泣く”という、
心身に大事なことができなかったのですが
(カスッカスに体内が乾いてるらしい💧)、
さすがに今回、
7年ぶりぐらいに、
やっと自分の涙を見ることが
できました(*´꒳`*)
泣くことは、
心の仕切りと健康に、
とても大切なこと。
スッキリすること限りなし( ¯ω¯)✨
★★★★★