父の事務所は移転した。といっても事務所を借りただけなのだが。空きがあったらしい。空きがあったということは、亡くなってしまったか、引退してしまったかのどちらかである。仕事はばんばん来るようになったらしい。詳しくは父も語らない。

ピアノの件だが、父にたまたま大きな仕事が来て、それで「買おうか」という話になったのだが、その前にピアノ教室の先生が熱心に「ピアノを買ったほうがいいですよ」としつこかったらしい。それまでは私に対して非常に冷たい態度だったのだが、その話が決まるまでは、優しかったような気がする。


さて、小学3年生・4年生の話を語ろう。小学3年生・4年生の先生は一緒であった。女性の先生である。

クラス替えがあっても、私は相変わらず「ばか」、「あほ」、「死ね」などと言う暴言を吐かれていた。しかし、私は相手にしなかった。それが腹立たしかったらしい。机を蹴ってきたりという行動に出たり、しまいには「近寄るな」「触るな」と言い出してきた。誰もお前なんか触ったりしないよ、と言いたかった。こういわれること自体悲しかったけど。先生はうすうす感づいてくれたらしかった。私が言われているのを見ると言っている子に注意をした。女子は当たらず触らずの態度で、接してきたのだが、なにせ人間不信の私、疑ってかかっていた。友達の作り方すらうまくできなかった。それが気に入らなかったらしい。やはりまたクラス中を敵に回してしまった。

よく「いじめられる側に問題がある」と言われるが、そんなことはないと私は断言できる。ほんの些細なことで原因と言うのは出来上がるのだから。

さて、小学3年生・4年生の先生は私のことを非常によく見てくれていた。「何かあったら言ってね」と優しかった。しかしいじめと言うのは、先生に言うと後で反撃を食らう。「おまえ先生に告げ口しただろ」と体に蹴り。

こいつらってホントそれしかできないのかねぇ、と思った。

4年生になったある日、席替えをした。いつもなら机を離されたりとかするのだが、されなかった。

何日かして、隣の男の子は髪の長い私に髪の毛を結ぶキティちゃんのゴムをくれた。今でもキティちゃん好きの私にとってとても嬉しかったが、おとなしい私は照れくさくて「ありがとう」と言うことができなかった。それでもその男の子は照れくさそうにしていた。それから、私をいじめるのはごく一部になった。

授業中は退屈だった。勉強嫌いな私のこと、まじめに集中して話を聞くのが苦手だった。テストも悲惨な成績であった。学校の書類には父親の職業は自営業と書いていたのだが、どこから漏れたのか国家資格を持っていて開業していると言うのが伝わっていた。なので、先生は「一生懸命授業を聞いて勉強すればできるから」と励ましてくれた。それから授業は聞くようになったが、家では勉強はしなかった。していれば今頃こんなことはしていなかったと思う。

女子のほうだが、私と友達になろうと装って近づいてくる子たちがいた。目的は私が持っている文房具である。おそらく私のもらっているお小遣いは多かったのだろうと思う。金額は1000円くらいだったと記憶している。男の子と違って、女の子の方は陰湿な感じがする。「友達になろう」と近づいてくる。しかし、友達になった記憶がない。私は別にそんな友達なら要らないので、ほったらかしておくことにした。

3学期が始まり、いつものように登校をした。ある日突然、先生が「お話があります」と言う。なんだろうと思った。みんな静かに聞いていた。先生は「実は私、ほかの学校に行くことになりました。皆さんとは2年間の付き合いでしたがとても楽しかったです。」と言う。私は悲しかった。ようやく先生のおかげで人を信じられるようになりかけたのに、と。そして何事もなかったように授業は始まった。

先生は最後の授業のときに、みんなに色鉛筆をくれた。6本入りなのだが上下が2色になっていて12色の珍しい色鉛筆だった。私は色鉛筆が非常に好きだった。絵を描くことも好きである。へたくそだが。

悲しくなった。これで先生とお別れなのかと思うと。

先生は涙ぐんでいた。たとえ2年間でも長い付き合いだから別れたくなかったのだろう。これは私の勝手な憶測であるが。こうして小学3年生・4年生は幕を閉じた。


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