映画を見に行きました 2 | 緋鷹由理 

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たぬこと熊太の徒然日記を主に掲載しています。

つづきです。

私が作品を書くのは、高校以来ですが、チマチマしたものは時々書いていました(あらすじ程度に)。本格的に書き始めたのはつい最近です。

息子の仕事が忙しく小説を書く余裕がなくなったので、暫く自分が書いてみようと思いました。

息子の父親は経営に向いていないので、今の社長、息子の祖父から直接経営や事務などを仕込まれています。本来なら、母親である私がクッションになろうとしていたのですが、そのことを知ってか知らずか、離婚されたので仕方なく、息子が一から社長業の何たるかについて学んでいます。

やがて祖父が亡くなったとき、父親が社長になっても、経営に支障のないような知識を体得しているところですね。

その間に3作ほどひねり出したいのですが、難しいです。

元々書くほうが主体で、小説を読むのは高校1年でやめてしまいました。

人の作品をいくら読んでも、学ぶべきことは、国語の時間にほとんどやっていましたから、中学レベルの国語の知識があれば書くことはできます。

問題は書き上げるということでした。

授業のレベルでは書き方やストーリーの展開、文法などは習いますが、描写までは作文程度にしか勉強しません。

だから人の作品を読まなければ書けるようにならないと周りの人に言われました、高校のとき。

でも、有名な作品でも、眠くなるだけで、面白くないのです。

それは今でも変わらず、これは良いという作品とは、滅多にお会いできません。

それでもこれは良いという作品もいくつかあるのです。

しかも、息子の作品を壊さないために、息子の作品を読み始めてからは、小説どころか、漫画も読まなくなりました。人の作品と比較して批判するのが嫌だったし、そういうことをすれば、すぐに息子に見破られます。

あくまで、自分の正直な印象と息子の技術に向き合いたかったのです。

ただ、テレビドラマやテレビ映画、アニメは見ていました。

そうしないと、時代に取り残された作品になっても困るし、やはりストーリー展開だけは、ほかの作品と比較するのが最も無難だったからです。

今は、少しだけ読書をしています。

書き上げるために、今まで長いこと忘れていた国語の授業で習ったことを引っ張り出したいし、参考になる表現や描写もあります。

そういう事を少しずつ思い出さないといけませんからね。

読むことと書くことでは、大変な違いがあるのですが、読書家にはその違いは判らないようです。

人の本を読まないで、ろくな作品が書けるわけがない。と先日娘に言われました。ちなみに娘も一時書いていたことがありましたが、あまりに幼稚で、目も当てられませんでした。それ以来娘は、読書家になったようです。

それで「お兄ちゃんはろくなのは書いていないでしょ」と息子の作品を読んだことがあるのかないのか、馬鹿にしていました。

親から見ると、「目くそが鼻くそを笑う?」程度のかわいい兄弟げんかみたいなものです。

先日、息子に「俺、母さんの小説読んだことないよな」と言われて、1本だけ送ったのがあったのですが、覚えていないか、読んでいないといわれました。

「それでいいのよ。親の作品読んで、書く気なくしたら、嫌だよ」

と言いました。

読むと書くでは、こんなにも違うのです。そしてその間にいるのが批評家や私のような編集者です。

これからは書くことを念頭に、昨日見た映画のような、人を感動させて、黙らせる作品を書いてみたいですね。

まあ、書き上げられれば、それでも上等かな。いい作品を書きたいです。