あの日首が痛いと訴えてから、1時間もしないで手足に麻痺がおきて動けなくなったポンタ。
病院が決まるまで、救急車の中で30分以上またされたそうです。
隊員さんたちは一生懸命受け入れてくれる病院を探してくれました✨
でも、
『コロナがなかったら…
もっと早く病院で治療してもらえてたら…
何かかわったのかな』
と、ポンタとたまに話す時があります
私とパパが病院に着いて、ポンタに会えた時、
『生きててよかった❗️ポンタ生きてるよ❗️』
と声をかけました。
ポンタも『死ぬかと思った❗️』と涙目で、笑顔を見せてくれました
動かなくなった足や手を触ってたら、片方の足が冷たいのに驚いて、壊死したらどうしようって、もう恐怖でしかありませんでした
今もたまに足は冷たくなることがあります。
←そういう時は、足の入る桶にお湯を入れて温めてあげると良くなります☝️☝️☝️
鼻水も詰まってるのに、お腹に力が入らないから出せないし、喉に痰が絡むから息が苦しいと、涙が静かに頬を伝っていました😭
看護師さんに痰の吸引をしてほしいとお願いしてやってもらいましたが、それもまた苦しそうで…
ずっとそばにいたいのに、コロナのせいで長い時間は入れず、その日は不安げなポンタとお別れしました😢
でも病院ではいろんな分野の先生が集結して、まるで
ポンタを生かす為のプロジェクト
が結成されているようでした
とにかく検査検査で、その度に病院から呼ばれて、その度に説明をうけ同意書にサインをしました。
そういう時の面会は少しならOKだったので、全く大変ではなく、むしろ喜びでしかなかったです✨
病院から呼ばれない日は、悲しくて悲しくて…😭
携帯電話もまだ手元になく、ポンタと連絡がとれなかったのでほんと会えない日は心配でした😭
毎日、洗濯物やドリンクの差し入れを口実に病院へ通い、でもポンタには会えず受付のみ😂
それでも、ポンタの様子が聞けるのが嬉しくて毎日通いました
しばらく救急病棟で入院をしていましたが、原因不明だけど命に別状はないからと、5日目に行き場がなくとりあえず一般病棟へ。
一般病棟へ移った時に、ようやく携帯電話持ち込みの許可をいただけてポンタと連絡がとれるようになりました
その1週間後、最終的に脳神経内科での治療になりました。
また部屋の移動がありましたが、そこでようやくポンタの担当医が本格的に決まりました。
介護用オムツをまさか16歳の、スポーツや勉強バリバリだった息子の為に買って、病院へ通うことになるとは思いませんでした💦
✨ポンタを運んで下さった隊員のみなさん、受け入れてくれた病院の先生方、スタッフのみさん、ほんとに感謝しています✨
🌻お庭のペパーミントで作ったミントシロップです
ミントでリフレッシュ✨✨炭酸水で割って飲みます