ゆんたくシーサーRadioのゆかりんです。flower1

スミソニアン別館レポートは、

終戦記念日までは、日本の航空機を連載します。

 

沖縄の地において、

沖縄だけが犠牲になった、

あるいは、明治時代に、沖縄に組み入れられたせいで、戦争に巻き込まれた、

子供たちに教育しています。

果たして、そうだったのでしょうか?

 

沖縄は、皇室の祖先の地とも言われ、

日本の国体の要というべき処を護るために

沖縄戦は、日本にとって総力戦でした。あせる

 

世界一の戦艦大和の投入、護衛艦

零戦による特攻は知られていますが、

実はもう一つ、

知られていない、特別攻撃隊がありました。

神雷部隊桜花隊です。日の丸

 

それは、人が操縦するミサイル「桜花」で、

連合国軍艦に突入する特別攻撃隊でした。雷

 

以前に、紹介したことのある

ドイツのフォン・ブラウン博士が開発した、

V1ロケットを目標にしていました。びっくり!!

V1はロンドン空襲に使われましたが、

日本が照準にしたのは、

日本に攻めてくる、連合軍の空母、戦艦、輸送船です。船

しかも、一発必中の戦果を挙げるためには、

当時の誘導装置の精度が悪く、

実用化には程遠いため、

誘導装置を人間に置き換えたのです。

1944年5月、「V1号に人間が乗っていく、まず、自分が乗っていく」と

発案者とされる、大田正一少尉は各方面に説得していったのです。

東京帝国大学航空研究所、

三菱名古屋発動機製作所が急ピッチで製作を進め、

1944年8月には生産開始、

1944年10月1日、第七二一海軍航空隊神雷部隊を編成しました。ルフトハンザ

 

桜花のモデルは何種類か造られましたが、

まず、桜花11型が沖縄戦に投入されました。

それは、母機である一式陸攻(米軍コードネームBetty)が

桜花とその乗組員を吊るした状態で離陸し、

できるだけ敵艦に近づいたところで切り離し、

桜花が火薬ロケットを点火して、

目標目がけて推進していくというものです。ダッシュ

 

今でいうと、人間操縦の巡航ミサイルです。ロケット

 

アメリカはこれを自殺兵器として、

BAKAとコードネームを付けましたが、

一度射出された桜花に有効な迎撃ができないと考え、

桜花に対抗するために、

ターボジェット機の開発をし、

アメリカ海軍初のジェット艦載戦闘機F-1ファントムを完成させた経緯があります。飛行機

 

アメリカ軍は、桜花の発展も予測し、

鹵獲(ろかく)した桜花を徹底的に分析しました。本えんぴつ

 

戦後、桜花の戦果はほとんどなかったとされ、

我が国においても、BAKAと紹介され低い評価をされていますが、

果たしてそうだったのでしょうか?

 

私は、スミソニアン博物館別館に

展示されている桜花モデル22を

実際に見てきました。

 

 

スミソニアン博物館別館HPには、以下、

 

日本人は特攻という言葉を使ったが、これは特別攻撃を意味する。

多くの哲学的概念が、特攻パイロットの動機になった。

すなわち、

(1)祖国、国民、天皇を救うという究極の犠牲、日の丸

(2)名誉と振る舞いに関する兵士の規範としての「武士道」への義務、および

(3)特攻任務が、1281年の元寇の艦隊を粉砕した台風、「神風」のような、かつての奇跡を再現できるだろうという信念、などだ。

 

https://airandspace.si.edu/collection-objects/kugisho-mxy7-ohka-cherry-blossom-22

 

と書かれています。

 

日本人の精神文化、大和魂を分析し、認めています。

日本の航空技術も高く評価し、

スミソニアン博物館本館、別館において、

アジア諸国で唯一、

日本の航空機、ロケットを展示しているのです。なるほど!

 

~続く~