私は元々意見をハッキリ言えるタイプではなく、他人の顔色を見る子だったのに、ますます自分の良いところを見失い、学生時代では楽しいと言う感覚が、良く分からなくなっていました。
それでも、その時その時で自分が出来る何かを、それなりに探してはいたのです
そしてその頃になると、自分達の部屋が与えられた事と、妹は部活で帰りが遅くなっていたので、あまり顔を合わせて話した記憶はありません。
相変わらず妹と母のやり取りを見ては、ざわざわする気持ちになり、勝手に疎外感を抱いていました
家庭とか家族団欒と言うキーワードが不快で、テレビのホームドラマなどは決して見る気分になれず、私にとってはあり得ない世界だと感じていました。
何かを決めるのも自分に選択肢はなく、親の価値判断が基準だったので、生きる意欲が薄れていた様な気がします
それでも何とか踏ん張りが効いていたのは、祖母がいてくれたおかげだと感謝しています。
今日も最後までお読み頂いて
ありがとうございます
それでも、その時その時で自分が出来る何かを、それなりに探してはいたのです
そしてその頃になると、自分達の部屋が与えられた事と、妹は部活で帰りが遅くなっていたので、あまり顔を合わせて話した記憶はありません。
相変わらず妹と母のやり取りを見ては、ざわざわする気持ちになり、勝手に疎外感を抱いていました
家庭とか家族団欒と言うキーワードが不快で、テレビのホームドラマなどは決して見る気分になれず、私にとってはあり得ない世界だと感じていました。
何かを決めるのも自分に選択肢はなく、親の価値判断が基準だったので、生きる意欲が薄れていた様な気がします
それでも何とか踏ん張りが効いていたのは、祖母がいてくれたおかげだと感謝しています。
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