昨日はアルパカとゴロゴロだらだら過ごした(・∀・)
多少の関節痛とだるさ、下痢ぎみはあったものの
気持ち悪さもほとんど抜けてたのでのほーんと平和に過ごせた。
とってものどかな午後、自分がガンであるということ以外は
何もかもが平穏で平和なのだなぁ…と思った。
来週、私たちはお付き合いしてやっとこさ一年記念日を迎えます(´∀`)
彼との話を、長々と回想していきます…
入社のタイミングはほぼ同時期。私中途、彼新卒。
同じ仕事をこなす営業と事務。気づいたらすんなりと両想いになっていた。
毎日会社で顔をあわせて、休みの日もずっと一緒にいた生活。
ホントに仲良しこよし!(ノ´∀`*)
会社には秘密だけど、上手にやっていた。
割と早い段階で同棲の話が出て、物件をたくさん見てまわり
ハイソな地域でありながらも、地震で地価の下がった狙い目の新浦安に家を決めた。
契約書も書いた!
引っ越し予定日も決めた!
アルパカは「俺、家出るんです」と会社で嬉しそうに話してまわった。
で、そんなタイミングで私の子宮頸がんが発覚。
全てはなかった事になったのでした(´Д`)
いつも一緒に居るのに、ガン宣告を受けたその時に限ってアルパカは出張中だった。
私はひとりでうずくまってたくさん泣いた。
いつぞやの飲み会で上司に「俺もいつか子供欲しいっす」と笑っていた彼の顔が思い出された。
私がこの時思ったのは
「あー…。やっぱり私なんて、幸せになっちゃいけない人間なんだ」と。
底の底から這い上がってきて毎日本当に幸せで
「今日もホントに幸せでした。みんなありがとう(*´ω`*)」って
宗教家でもないのに毎日天に祈れちゃうほど、当時は幸せな毎日だった。
だからこそ余計思った。
やっぱり、駄目なんですね私。って。
それからはさすがに毎日辛かった。
夜中、思い出したように不安になって泣いた。
街に出てみると、少子化とかいいつつどこにもかしこにも赤ちゃん赤ちゃんw
幸せそうなご家族たち。若いパパが子供の手をひいている。
意識せずとも、子供のはしゃぎ声や泣き声が耳ん中を突き抜けていく。
めまいがしそうな毎日でした(´Д`)
ある日、2人で手をつなぎながらひろい公園のベンチに座って
咲き始めの桜と、楽しそうに駆け回る幸せそうな親子連れをずっと見てた。
泣きながら。
今思うととんだドMプレイです。
子供が産めない女なんて…という理由で
何度も彼に別れてくれとお願いする⇒却下される日々(´Д`)
私、たまごクラブとか読みたかったっす…
マタニティマークつけて歩きたかったっす。
当時私の腫瘍は、浸潤は深いけれど2.5センチ程度と想定されてて
病院を渡り歩けばトラケもやってもらえる可能性があった。
でもかな~りリスキーだという事は言われていた。
悩んで、悩んで、悩んで悩んで、ついにどうするか決めた。
私は自分の意思で「全摘」を選んだ。
自分の意思で、「子宮をとる」という事を決めたその夜は
初めてガンを宣告された日から、抗がん剤治療している今までの中で一番辛い日でした。
だってその時はトラケを選ぶ事もできたのに
根治の為に「私が自分の意思で」全摘を選んだんですから。
それなのに…
その意思をアルパカに伝えようと思っていた丁度そのタイミングで
「子宮。残せるなら、残してほしいな」と彼に言われてしまった。
かろうじて保たれていた心のバランスが崩れ、ぐっしゃぐしゃになった。
私は彼に「よく自分で決めたね。偉いよ。」って言ってほしかったのに
後から聞いた話、産める可能性を少しでも残すことで
私の気持ちが少しでも楽になるなら…っていう「私の為に」と想って言ってくれた発言だったのだけど。
当時の私としては
「あー。私頑張って決意したのに。私の命なんてどうでもいいんだ…そーなんだ…」
なーんて卑屈な気持ちになっていたのです(゚Д゚)
まぁそんな事もあったがw
あれ以来、私がナーバスモードに入っても
「うんうん。そうだね」って慰めてくれて、必要以上に感情移入しない彼には大変助かっている(´Д`)
2人してしょんぼりしてたらキリがないから、どちらかは冷静である必要があると思うんだ。
彼はいまだ私に対し、なんの変りもなく大切に扱ってくれます。
たかが1年、将来の事を考えるには早すぎるといわれるかもしれないし
乗り越えなきゃいけないものも、人さまよりほんのちょっと多いのだけど
彼を幸せにするのは私しかいないのだと信じ
ジジババになるまで仲良くまったり生きていくことを、目指したい(ノ´∀`*)
☆(`・ω・´)↓ポチっとお願いします↓
