久々のブログ更新になってしまいました。
最近ちょっと多忙で・・・
というのも、私、こちらでエセ大学生をしているのです。
正確に言うと、インディアナ大学のイタリア語の授業を週4日、無料で「聴講」している状態。
去年身につけたイタリア語だが、使わないと急速に忘れるので少しでも触れていたくて。あわよくば前よりもしゃべれるようになりたいし。
7月頃から大学の色んなオフィスを巡り、たらい回しにされながら聴講させてもらえるよう頼み続け、
担当教授のご厚意もあって運良く大学のイタリア語の授業に潜り込ませてもらえた。
そう、19歳や20歳のアメリカ人の中に混じってしまっているのだ><
月曜から木曜までの週4日、たった50分の一コマ授業だがせっせと学校に通っている。
授業内容もためになっているし、この年になって大学の講義を受けるってのもなかなか新鮮で楽しく、周りの大学生観察もツッコミどころ満載で面白く、良い経験をさせてもらえていると思っている。
ということで今回は、アメリカの大学講義雑観について書きます。
先生は私と同い年の大学院生。
大学院生として研究をしつつ、生活を支えるために大学生を教えている、という感じ。
子供が二人もいるそうなので大変だろうなぁ。
クラスは終始イタリア語で行われるのだが、最初、
「ん?この人イタリア人っぽいけど発音にたまにちょいと違和感がある」
と思ったら、父親が南イタリアからの移民で、自身はブルーミントン生まれブルーミントン育ちのイタリア系アメリカ人であった。
アメリカ人なのにイタリア語をほぼネイティブに身に付けているのにはアッパレ。やはり自身を流れるイタリアの血のせいか、猛勉強のおかげか・・・
というのも、
アメリカ人のイタリア語(と恐らくスペイン語)の発音は、
超disgusting!!
なのだ。
去年イタリアにいた時から、アメリカ人とかカナダ人のイタリア語を聞くと虫唾が走った。っていうか、そもそも彼らは世界のどこに行っても英語以外基本的に話そうとしないのだが(もちろん、そんな事ない人もいますよ)、たまにイタリア語を話すと全部英語読みの巻き舌。単語そのものを変えてしまう。
そして、イタリア語みたいに母音をパキパキ話さなくてはいけない言語をレロレロと読まれると、それはホントに気色悪いものになるのだ。
イタリア料理のメニューとか読まれてみたら最後、全てが超不味そうに聞こえるんですよね。
多分母国語によって、「話しやすい他国語」ってのがそれぞれあって、
例えば日本人にとってはイタリア語はとても発音しやすい。
「R」の発音は生粋江戸っ子にしかできないけれど、他は大体「あいうえお」で事足り、日本語にとても似ているのだ。
実際、私の教材をイタリア語知識ゼロのT氏に「ローマ字読みしてごらん」と渡したら、ほぼちゃんと読めていた。
逆に、日本人と英語ってのは言語的に犬猿の仲で、帰国子女でもなければ完璧に英語を発音する事はまず無理であろう。
”The”を「ザ」と読むな!とか日本人向け英語のクラスではよく注意されるらしい。
そして、英語人種にとってイタリア語ってのもまた言語的に犬猿の仲だ、というわけ。
問題は、英語に対する日本人のように、「自分がうまくしゃべれてない」っていう自覚が奴らには全くないこと。
気取ったイタリアンレストランで、ウェイターに胸を張って「スパゲリィ~(スパゲッティ)」「モッツァゥルェゥァ(モッツァレッラ)」「キャゥリィ(キャンティ)」とか言われた日には、まず何も頼む気が起きなくなる。
授業中もまたしかり、大学生達の発音のひどい事ひどい事。
最初数回の授業は、彼らのイタリア語発音にイライラして気疲れしてしまった位だ。
英語と同じアルファベットだからってのもあり、ホントみんな、英語読みを貫き通そうとする。
ま、もう慣れたけどね。
そんな中、私は「アメリカ人のイタリア語」を完璧に真似できるようになってしまった。
ほんと上手なんですよ。自信あり。
と、ろくに文法も発音も完璧でない自分を棚に上げ、ひとしきりアメリカ人をバカにしてみたところで・・・。
アメリカ大学生の偉いところ。
やっぱ皆、積極的に勉強するんですね。
日本みたいに大学入学試験が難しくなく、皆高校時代遊び尽くしているため、大学で「勉強」するのが彼らにとっては新鮮な事らしい。
で、日本みたいに「入った大学の名前が全て」ではなく、「いかに良い成績で卒業するか」が就職のキーとなるため、まじめに将来を考える子は必死で勉強するらしい。
というのは、藤原正彦さん(「国家の品格」を書いた人)の、「若き数学者のアメリカ」という本にも書いてあった。
ちなみにこの本は、藤原正彦が若い頃にアメリカの大学で教鞭を取っていた時の事を書いてあるもの。良い感じに右寄りの彼がアメリカをいかに捉え、批判し、評価し、最後には好きになるか。
「ふむふむ」と共感することも多くて良い本だった。
私のクラスでも、
生徒は皆、積極的に授業に参加する。
「教室の端に座ってボケっとしてよう」とかいう、大学生時代の私みたいな子はゼロ。
頭の中が全く整理されてなくても、とりあえず思いついたことを発言してみる。
語学の勉強という意味においては、それはとても良いことだと思う。
。。。でもさ。
「イタリアの移民問題についてどう思いますか」
という質問に対し、勢い良く
「人々の権利(human rights。イタリア語では i diritti umani)が・・・」
と言いかけたものの、後が続かなくなったりすることがよくあるのよ。とりあえず知ってる「難しそうで政治に関係ありそう」な単語を発してみました。みたいな。
こういう事、とてもよくある。
そしてそういう突拍子も無い発言を先生はよく拾い、無理やりまとめ・・・で、授業がすすんでいくわけだ。
褒めて伸ばす、アメリカ教育ですね。
ちなみにこの”human rights”という言葉。さすがアメリカ人なだけあってパブロフの犬的にやたらと使いたがる。
「ベルルスコーニ政権は何故批判されているのでしょう?」
→「i diritti umaniが・・・・・」(の後が続かない)
「ファシズムの特徴は?」
→「i diritti umaniが・・・・・」(の後が続かない)
てな感じ。
「何でもhuman rightsと言えばいいと思ってるんかい!アホか!」
と思うが、彼ら若干20歳だもんね、可愛らしいものである。許す許す。
ただ、ここまで「詰まってない」ままに社会人になっちゃったらきっと苦労するんだろうなぁ;
アメリカの大学生の偉い所もう一つ。大量の宿題を毎日こなす。
彼らはしっかり勉強したいため、宿題を減らすと逆に抗議が来たりするらしい。感心である。
毎日かなりの量の宿題が出るので、テスト前日ともなると私も主婦業と勉強でいっぱいいっぱいになる。
でも宿題をする事は実際為になるんですよね。
文法について頭が整理されるし、イタリアのレストランでの生活においては使わなかった種類の単語も覚えられるからね。
っと、働きの大分鈍くなったアラサーの脳みそで毎日頑張っているわけだ。
エセ大学生をしてる上で困っている事としては・・・
IT世代の大学。宿題をオンラインでやったり、オンラインに自分の朗読の声を吹き込んだり・・・と、全てがパソコン作業。時代は変わりましたね~。
ITに極度に弱いアラサー的に、これには相当まいった。
先生に助けを求めたり、T氏に助けを求めたりしながら今のところ何とかこなせているけれど、周りの若者がすんなりとシステムを操っているのを見つつ、自分、かなり限界を感じている所であります。
あとは・・・
やはり隠し切れないジェネレーションギャップね。
アメリカ人は老けて見えるので、多分見た目は日本人アラサーと変わらないと思う。
でもねー。
やっぱみんな何かが違うんですよー。
可愛いなぁ、と思うときもあるし、説教したくなる時もある。
一度宿題に出された、「今後自分がしたい/今までしていた仕事(バイト含む)について」文章を書く、というものがあった。
皆の文章はオンラインで読めたりするのだが、とある子の作文。
「私は、ファッションの仕事に就きたいです。 大学を出たらイタリアやフランスでちょっと働いて、ビッグになって、それからロスに行って、ちょっと経験積んでビッグになって、それからハリウッドセレブのファッションアドバイザーになります。
そして超大金持ちになって、超大きな家に住みます。」
・・・・・。
若いとはいえ、一応大学生。
将来ヴィジョン、これでいいんか??
そしてそれに続く私の作文。
「前職は日本のメーカーでの原料調達。担当は銀、重油、天然ガスといった相場商品。この仕事をするにあたって苦労した点は、毎日の相場変動を予測し・・・・etc」
やばい、これはこれでおもいっきし浮くわっ!!!
次回からはもうちょっと柔らかい内容のものを書こうと反省した一件であった。
彼らに対し、いつも気になり説教したくなること。
それは「お行儀」。
授業が始まる前、生徒は前のクラスが解散するのを廊下で待つわけだが、初日に学校に行っておったまげた。
皆、「難民」のように廊下にベタっと座り込み、本を読んだりPCを開いたりしているのだ。
雨の日で床が泥だらけでも、ショートパンツで素肌が露出していても気にならないようで、ベターっと床に腰を下ろす。
立っているのは私だけである。
そこまで一瞬でも座りたいのかっ!!!
あと、これは女子生徒に言いたい事なのだが、
公衆の面前で、大股を広げるでないっ!!!
基本的に薄着な彼ら。暑い日はスポーツタイプのショートパンツとビーサンで学校に来るのだが、いちいち座る時に大股を広げるのだ。
廊下でパカーっと足を広げてボケーっと座り込む女子大生。非常に際どくてハラハラしてしまう。
もっとも、他の人も見慣れているのか、それに反応しているらしき人もいないんだけど。
日本だったらカメラ小僧の格好の餌食であろう。
と、何ともまとまりのない文章になってしまったが、色んな事を感じ、驚き、感心し、ハラハラしながら毎日楽しく学校に通っております。