志村けんさんの訃報で悲しみに暮れています。。。。どうもユミです。


朝の「スッキリ!」の近藤春菜さんにもらい泣きしちゃったよ。


ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに。
ちっちゃいころ変なおじさん大好きで真似してたなあー











ワタクシこう見えて?大学院まで出てるんですが、学部から院修了(大学院は「卒業」ではなく「修了」なのです)までお世話になった恩師がいます。
いわゆる指導教員ですね


私は学部から研究室を変えてないので丸っと6年間もお世話になった恩師なのですが、このお方がですね、仕事はデキるのはもちろんのこと、


博識でなんでも知ってて

穏やかで謙虚で人格者で

でもユーモアもあって

人当たりもよく

私含めた学生や部下の意見もちゃんと聞いてくれる

この人、


地上に舞い降りた神かな?


ってくらいのすんばらしー御方でしてね。 
ちなみに見た目は普通のおじさん(失礼)


まあ人間的にも仕事的にも一流の人とはこういう人をいうのだなと、そう思わせる方でして、言わずもがな(?)私の人生に多大なる影響を与えてくれた方です。
この先生がいなかったら今の私はいなかったです


特に恩師のすごいところが、


とにかく仕事が早くて正確。


私が恩師の研究室に配属になった時点で結構上の立場にいる方だったので、かなりの仕事量だったはずなんですけど、定時には帰ってたし、残業はしても1時間くらい。


恩師のこの仕事の早さと正確さは周りでも有名だったので、ある方が「(恩師)さんはその仕事量なのに、どうしてそんなに仕事が早いんですか?」って聞いたんですね。
私もその場にいた


恩師の答えはというと、
謙虚な方なので多少謙遜しながら


「捨てることですね」


って言ってたんですよね。


「捨てるというのは、モノもそうですが、情報もです」

「今は無料でたくさん情報が得られる時代です。だからこそ、自分にとって本当に必要な情報を見極めにくい」

「だからこれからの時代、求められるのは精度よく無駄な情報を削ぎ落していく技術だと思っています」


とても尊敬していた恩師だったけども、当時はこの言葉にいまいちピンときてなかったんですよね。


「へ~そんな考え方もあるのかぁ」ぐらいの意識で聞いていたような気がします。


でも今になってみて、この言葉の意味がだんだんわかってきました。


ブラウザの検索窓に知りたい言葉を入れれば、あっという間に情報が得られるけれども、


どの情報を信じればいいのか?っていうのはなかなか難しいですよね。

特に今はコロナウイルス関連の情報が錯綜してますね。トイレットペーパーのデマ以降多少マシになったと思いたいですが。


だからこそ、いろんな情報を手当たり次第に集めまくってしまって、それで安心する人って多いと思います。
私も含めね


ちゃんと腰を据えて自分の頭で考えれば自分自身でも答えが出せそうなことでも、たくさんの情報に踊らされて本質を見失ってしまっては本末転倒です。


今思うと、恩師はこの「腰を据えて自分で考える」ということがとても上手い(という表現で合ってるかどうかわからないけど)人だったのだと思います。


常に自分で考えてるから、残す情報、捨てる情報の選択が早くて正確だったんじゃないかなぁ。


一方で弟子の私はと言えば、相変わらず色んな情報に踊らされまくっています。笑


んが、恩師の下で色々経験させてもらったおかげか、自分自身色んなものをそぎ落としてきたと思うし、


なんとなく、自分にとっての判断基準みたいなのはできてきたと思う。


ひとつ言えるのは、そういう「自分なりの判断基準」って「自分」を総動員して使わないと見えてこないんですよね。


ときには恥かいたり悔しい思いしたり、苦しかったり損したり。


一見すると「失敗」に見えることでも、ちゃんと自分を「使って」得た経験からの判断基準って、あながち間違ってないと思ってます。


そーゆー意味ではきっと恩師もいろんな失敗もしてきたんだろうなあ。そばにいたときは「すごい人だなー」しか思ってなかったけど。




アナタの「捨てる」判断基準はなんですか??

いつもと違う道を散歩したら桜の穴場スポット発見!