Hi everyone!
お元気ですか?
ハワードは家で麻婆豆腐を作ったらしい。

私のランチはキムチチゲ雑炊。
さて、ハワードは主人の従兄弟で、義父ガスとハワードの父親サウルが兄弟です。でもなぜか苗字が微妙に違うのです。
主人のスペルは最後がCKなのに、ハワードはなぜかGで終わる。
主人から、グランマローズはロシア系ユダヤ人だと聞いていました。義父の最も好きな映画は、ロシア系ユダヤ人の苦悩を描いた名作『屋根の上のバイオリン弾き』。主人が義父に連れられて初めてブロードウェイを観たのも『屋根の上のバイオリン弾き』だったとか。見知らぬ先祖への郷愁があったに違いありません。
グランマローズは、20世紀の初めにロシアから移住し結婚しました。夫の苗字はゴールド。その2人の間にできたのがサウルです。なので出生時のサウルの名前はサウル・ゴールド。
なぜそんなことまで知ったかというと、先日ハワードと主人と苗字が微妙に違う話になった時に、サウルの出生証明書を見せてもらったから。
その後2人は離婚し、グランマローズはサウルを連れて再婚します。その相手がグランパジェイコブ。この2人の子供が義父です。
なので主人とハワードは、血縁上グランマローズが絆の従兄弟です。
出生証明書によると、サウルは1918年11月生まれ。義父は1920年9月生まれだから、グランマローズはサウルが赤ちゃんの時に離婚してグランパジェイコブと再婚したことになります。
グランマローズは再婚後、サウルの苗字もグランパジェイコブの苗字に変更しようとしました。
ところが彼女は文盲だったらしい。それでおそらく役所で口頭で告げたのだけど、英語も訛りがキツかったので間違って伝わったのが原因らしい。

でね。この出生証明書というのが、1918年のものだから手書きなんですよ。



歴史好きだから興味津々で、ハワードに写メを送ってもらいました。
それをよく見ていたら、ある事実に気がついた。
グランマローズの出生地がオーストリアになってるやんか!





「ハワード! グランマローズの出生地はオーストリアってあるで!」
「ホンマや」
「主人からずっとロシアって聞いてたのに」
「僕はポーランド出身と聞いてた」
エエーーー?!





するとハワードは、
「プロセインの時代のことやからな」
なるほど。
実はグランマローズの出生年も定かではないと主人から聞いていました。
墓石には1900年生まれとなっているけど、これはグランマローズが他界して死亡届を出す段階で、義父が苦し紛れに選んだ年だったらしい。

20世紀の初めまで、ヨーロッパはプロセインやらオスマン帝国やらが存在して、現在とは全く違う地図だったんですよね。
プロセインにはロシアもポーランドも含まれていたから、文盲だったグランマローズが現在のどっちだったかよくわからなかったのは考えられる。
でも。
グランマローズ!どこからオーストリアが出てきたん?!



主人や義父が知ったら、顎を落としたに違いありません。
教えてあげたかったー。

だってオーストリア出身だとしたら、『屋根の上のバイオリン弾き』はどーなる。

こうなったら、義父の出生証明書を見てみたい。
そこでグランマローズの出生地がロシアになってたら笑えるな。
待てよ。
きっとロシアになってるんですよね。
だって義父が自分の出生証明書の内容を知らないわけがないから。
ますますミステリーなグランマローズ。

それにしても。
義父の生まれた時代はヨーロッパからの移民もほぼ無条件で入国できたし、そもそもソーシャルセキュリティ番号もなかったゆる〜い時代。
チラッと調べたら、ソーシャルセキュリティ番号が導入されたのは、1935年。ルーズベルト大統領によるニューディール政策の一環だったらしい。
でね。
ものすごく驚いたのが、1986年の改正税法が成立するまで、子供は14歳くらいまでソーシャルセキュリティ番号の申請をしなかったらしい。それがこの改正法で、5歳以下の子供を税控除として申請するにはソーシャルセキュリティ番号が必要になったのだとか。

長男は1986年2月生まれで、この法律が成立したのは10月。
さらに5歳以下から2歳以下に引き下げられたのは1988年のこと。これは次男が生まれた年。
なんで私は2人とも生まれてすぐに取得したのか覚えてないけれど、実はそんなに慌てて取得せんでもよかったんやん。
でもね。こういう事実を知ると、自分がどんどん化石化しているのを実感する。

グランマローズのことから、巡り巡って自分の歳を感じた日ではありました。

では、お元気で。
Have a nice day!
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