ウィーンからハンガリーの首都、ブタペストまで高速バスでおよそ3時間。
夕方にバスに乗り込み、着いたのは夜の8時過ぎ。
航空券とホテル、そしてエアポートからホテルまでの送迎、
それを全て含んだツアーに申し込む事がほとんどを占めていた
私の今までの海外旅行。
それがParisに来てからは、フランス人は自己主義の為、
時間を守る事も、そして団体行動をとる事もできません。
その為、こちらにツアー旅行なんて物はなく、全てにおいて自由旅行。
移動手段からホテルまで全て個々に取り、
自己責任で全てをこなさなければいけません。
そのやり方で旅慣れてしまったせいか、
回数をこなす毎に全ての面においての緊張感が無くなってしまい、
終いには『どこへ行っても何とでもなる』と言う
変な安心感を持ってしまうように。
そのどこから来るのか分からない変な自信のせいで、
このハンガリーで痛い目をみる事になりました。
首都ブタペストに到着したのは夜の8時。
そして旅行に行った時期は2月。
Parisよりも南の癖に、Parisより数段寒い状態。
当然辺りはもう真っ暗です。
ハンガリーはユーロ圏ではありません。
よって通貨はフォリント。それをすっかり忘れ去り、着いたは良いけど、
持っているお金は全て€。地下鉄すら乗る事も出来ず、
とにかく3時間休憩がなかったので、トイレに行く事に。
そうした所がトイレにもお金が必要なヨーロッパ。
ユーロしかない私達はトイレにすら行けず、両替所は既に閉まっているので、
本当にどうしようか…と悩んで、横にATMを発見。
そのATMで友達が物価も何も分からないので、
最低料金をこちらの通貨で引き出しました。
そしてトイレの受付のおばさんにそのお金を差し出すと、
光に照らし、『これは使えない』様な事を言っています。
この事で後に散々な目に会う事になる私達ですが、
残念ながらハンガリーの方々は一切英語話せません。
話すのはハンガリー語のみ。私達のハンガリー語のボキャブラリーは当然0。
全く言っている意味が分かりません。
一切分からないハンガリー語で、お札を見て何か怒って言っているけれど、
何の事なのかはもうおばさんの行動から読み取るしかなく、
そして行きついた答えが『これは透かしがないから偽札だ』と…。
『そんな、今あなたの横にあるATMで引き出したばっかなんですけど…。
見てましたよね?そしてそれを…あなた…』
と、こちらも何語だかもうさっぱり分からない状態で主張を。
そして言い合いの末、何とかトイレに入る事が出来ました。
が、ここからが問題です。
ネットから適当に持って来たホテルの地図を見ながら、
最寄りの駅まで地下鉄で移動。
そしてその最寄りの駅の売店で道を尋ねてみました。
そうした所が地理を一切把握していない挙句に、
外はもうすっかり夜。そして一切言葉は通じない。
最寄りの駅に来たものの、道を一切見つける事が出来ず、
人は冷たく、治安も決して良いとは言えない雰囲気。
尋ねても尋ねても誰も英語もフランス語も分かってくれない。
タクシーに乗るにもお金がなく、途方に暮れる私達。
そんな所に、一人英語で声をかけて来てくれたおじさんがいました。
何かお探しですか?お助けしましょうか?と…。
私達はそのおじさんに状況を説明し、おじさんが理解し終えると、
ここはどうやら全く最寄りではなく、そのホテルはだいぶ先との事。
そして、残念ながらハンガリーの治安は悪く、夜は出歩かないでと。
おじさんが悪い訳でもないのに、こうして現実ハンガリーの治安が悪い事を、
私達観光客に謝っていました。
そしてそのおじさん、私達をホテルまで案内してくれるとの事。
再度地下鉄に戻り、そしてそこからバスで移動すると。
でも私達も全く調べて来てない訳ではないし、最寄りの駅のはずなのに…と、
疑わない気持ちもない訳じゃなかったけれど、他にもう頼る人も術もなく、
一か八かおじさんに全てを委ねる決心をしました。
ですが正直、本当に良い人なのか、それとも私達を騙そうとしているのか、
本当の事は分かるはずもなく、地下鉄に乗ってからも、
そしてバスに乗り継いでからも、
ホテルに到着するまでずっと冷や汗をかきっぱなし。
特に私は男性を基本疑ってかかっているので、
ホテルが見えるまで本当に終始生きた心地がしませんでした。
最終的に一か八かの賭けは…私達がWinner!!
おじさんはこの上なく、素敵な紳士でした。ホテルの中まで私達を送り届け、
そして何かまた困った事があったら連絡しなさいと、名刺まで頂き、
何とももう感動で胸がいっぱいでした。
もしあの時あの男性に出逢ってなければ、
きっと私達はホテルにすら行く事が出来ず、
朝方まで途方にくれていたはず…。
Parisに来て、相当の数旅をし、その旅の先々で何時も途方にくれた時、
必ずそんな救いの手を差し伸べてくれる人に出逢っている気がします。
そう考えると…
毎日生きて行く中で、辛くても辛くても誰も手を差し伸べてくれない時…
何時も私は『こんなに辛い思いをしているのに、
どうして誰も助けてくれないの』と、そう思っているけど、
きっとそれはまだ自分が頑張れる証拠なのではないかと
今はそう思えるのです。
本当にどうしようもなくなった時にだけ、その時にだけ神様が救いの神を、
人に委ね寄こすのではないかと。
本題に戻り…
ハンガリーの首都ブタペストは、
ドナウ側に沿って西岸がブタ地区、東岸がペスト地区。
そしてそのドナウ川に架かるくさり橋が
市内で最も美しいと言われています。
ウィーンの窮屈な宮廷生活を逃れたエリザベートが、
傷心の旅の末にたどり着いたブタペスト。
世は市民革命と民族主義が台頭する混乱の世紀末。
ですが、この地の人々の温かみに触れ、
孤独な王妃は次第にその心を開いて行きます。
世界一美しいとも言われる国会議事堂、
絢爛たるオペラ座や宮殿、美食に陶磁器…。
“ドナウの真珠”と讃えられエリザベートが愛した街の魅力は、
今もなお輝き続けています。
ブタペストでの滞在は3泊4日。
まずハンガリーの文化では欠かせない物、それは温泉。
温泉と言っても日本の様に『お風呂』と言った感じではなく、
どちらかと言うと温水プールと言った感覚に近いです。
泳ぎはせず、その温水に浸かると言った感じでしょうか。
水着着用、男女混浴、そんな状態の温泉は、
外が吹雪だと言うのに、想像を上回るぬるさで、
正直風邪を引くんじゃないかと思うほど。
そしてこの寒い地でのデートスポットなのか何なのか、
お年寄りからティーンエイジャーまで、カップルで溢れ返っています。
そして誰もがいちゃついている…。
そしてアジア人など私達以外は一切いませんでした(苦笑い)
そんな中終始苦笑いのまんまで、
温泉をハンガリー人の様な顔をして楽しんでいた私達。
そして『もうこの温泉は一生いいよね~』とか言いながら、
その温泉を出た足で、その、ブタとペストを上から眺めようと
吹雪の中ゲッレルートの丘へ。
なかなか吹雪の中を、散々温泉でのぼせた後に、
丘を登ると言うのは骨の折れる作業で、
頂上にたどり着いた時には正直クタクタに…。
こんな事なら先に丘に登っておくんだったと言いながら、
何とか頂上にたどり着き、
雪のブタとペストの眺望を堪能したのでした。
雪のブタペストの街は、本当に神秘的で、
目で見ている事が嘘のように感じました。
翌日、もう既に紹介済みのこの街で最も美しい言われるくさり橋を見に。
セーチェーニ鎖橋はハンガリーの首都・ブダペストを流れる
ドナウ川に架かる吊り橋です。全長375メートル。
ブダペストのドナウ川で最初に架かった橋であり、
西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結んでいます。
イギリス人の技師ウィリアム・ティアニー・クラークが設計し、
建設はスコットランド人アダム・クラークの監督と
ハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の
支援のもとでなされました。
1849年に開通した当時は中央径間(202メートル)が世界最長だった。
夜間ライトアップされ、
連なる電球が鎖のように見えることから鎖橋と呼ばれる様に。
朝一番からくさり橋を見た後、その足で向かったのはマーチャシュー教会。
ブタの丘にそびえるゴシック建築の殿堂。
15世紀にマチャーシュー王の手で改築された為にこの名が付いてるそう。
エリザベートが戴冠式を行ったことでも有名です。
壁の文様や色彩にビザンチンやアジアの影響も残っています。
そんなシシィことエリザベートの影を色濃く残すブタペストの街。
耳にするだけでは決して伝わりきる事もないその歴史を、
強く、そして重く感じました。
Parisに来て出逢った大切な友人えりちゃんと巡った3カ国の旅。
個人の好き嫌いはあれども、
どの街も歴史も全てが私にとっては興味深く、
そしてキラキラと光って見えました。
そしてたかが言葉、されど言葉の壁を、どの国より強く感じたハンガリー。
フランス語だってまだまだだけど、
自分の人生の中で可能な限りの言語を習得したいなと、
そう強く感じました。
言葉が通じると、分かりあえるはずのない人の気持ちが見えてきます。
そしてその国の言葉にしかない、決して訳す事の出来ないニュアンスが、
全ての言語の中に存在します。
母国語並みにとは行かなくとも、
人の気持ちや考えを少しでも理解出来るように、
同じ人間として通じ合えるように、
生きている限り私はこの“言語”を学び続けたいと、
そう思いました。
皆、興味ある物、そして手に入れたいものは千差万別。
でも私がこの1年Parisで生活し気付いた自分の本当に好きな物。
それはファッションと言語でした。
ゲッレルート丘から、雪のブタペスト
くさり橋のライトアップ
マーチャーシュー教会で冠を取るポーズ
くさり橋を挟んで、右岸がブタ、左岸がペスト
国会議事堂に入れず…(予約必要と知らず不機)
シシィが愛したケーキ
オペラ座にはダンスソワレで入館できず…(再度不機嫌)