今朝、シアトルから嬉しそうな声で電話をしてきた長男

お世話になった方々との久しぶりの再会と懐かしい街の匂いが嬉しいよ~ニコニコ と





スムーズに育った次男に比べて、苦労の多い長男でした。





12歳まで原因不明の頭痛に悩まされた長男






赤ちゃんのころは、とにかくお乳の飲みが悪く

言葉がしゃべれるようになったころから、「あたまがいたい」 とよく言う息子

とても心配になり、脳外科に連れていき調べていただきましたが原因がわからないと。






それから息子と長い手探りでの治療がはじまりました。

代替医療は、ほぼ全て経験しました。

鍼、カイロ、温熱、食事療法、ホメオパシー、オステオパシーなど





自然の中で、そしてモンテッソーリ教育で育ててやりたいと

思う気持から、毎日 山越えで幼稚園に通いました。





治療のために東京や鹿児島、毎月 次男を連れて通った時期もありました。

鹿児島は日帰りで飛行機でいくことも





10歳のときに舌小帯の手術をして呼吸がラクになり

12歳のときにオステオパシーで口のなかから頭がい骨の矯正をしていただき

ようやく 2つの治療で 頭痛から開放された息子





すべて、出産のときの問題でした。

先生方から、息子さん しんどかったと思う。

お母さんの頑張りもあったから育てられたんですよ。といわれたときに

診察室で、我慢していた気持ちが一気に溢れだし、涙が止まりませんでした。





自分が悪かったんじゃないかと自分を責める気持ちがずっとありましたから。。。






元気になった息子は、シアトルへの留学を決めました。

その直後に、今度は私が病気に





良き嫁、良き妻であるとともに

息子たちの子育ての責任はすべてが私にありましたから、

精神的にも肉体的のも限界がきていて





長男にとって、充実したシアトルでの学生生活でしたが

離れているだけに、私のことが心配になり





1年後、日本に帰国した息子

シアトルに想いを残してきていましたから、すぐにでも戻りたい気持ちがありましたが

日本で頑張ることを決めました。





そこから、

息子の自分らしく生きることの意味を考える 長いトンネルに入ることに。。。






長くなりそうなので、つづきは また。。。