このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として

始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、

現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。

 

時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。

番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事

になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。

 

 

 

 

5月18日に脾臓への影響は問題ないとの判断で無事に

パクさん、サイさんの投与を終えてホッとしていました。

病院からもらった血液検査の結果が気になりつつも、旦那も

治療ができた事に安堵感を覚え、治療ができなかった期間は

これからの治療で補えばいいかな。なんて考えていました。

 

5月20日 体の倦怠感を訴えつつも、自分なりに仕事に

懸命に取り組んでいました。でも、根っからの運転手。

内勤業務に面白みを感じだせず、

「俺、仕事に行きたくない。椅子に座って書類書いて楽させて

もらってるのはわかってるけど・・・仕事、休もうかな・・・」

 

こんな事を言いはじめていました。私からみたら会社は体の事を

優先できるように配慮してくれて、これ以上ない待遇だと思って

います。しかし、給料は頑張った分、見返りが大きかった

運転手に比べると寂しい気持ちになってしまう位、大幅に下がり、

給料の金額で働くモチベーションを上げていた旦那には

やりがいを全く感じられず、仕事の意欲さえも失くしてしまって

いました。それでも内勤になった最初の頃は、あれこれ考え、

自分がやりやすいように色々と考えて仕事に取り組んでいましたが、

最近ではそんな感情も忘れ、じっと座っている事に苦痛を

覚えるようになっていました。

 

「嫌なら無理に仕事に行けとは言わないよ。お父さんのしたいように

していいんだよ。今一番大事なのは体だし、仕事がストレスになる

なら休んでいいんだよ。」

 

がんとストレスは切れない関係ある事がわかっているので、

仕事でストレスが溜まるのであれば休んで、治療に専念した方が

いいかも・・・そんな思いでいましたが、旦那は一家の大黒柱として

の役割を果たす事を辞める事はありませんでした。

 

この日の夜、夕食時に寒気がする。というので熱を測ると

37.5℃あり、大事をとって早めに休みましたが、

私には気になる事がありました。パクさん、サイさんの投与を

始めてからずーっと血圧が高く、降圧剤を処方されて飲んでいました。

飲んでも高いままで推移していたのですが、数日前から急に

血圧が基準値内に収まるようになってきました。

がんになる前から高めで基準値内の数値なんて見たことなかった

のに、ここにきてなぜか収まっている・・・。

 

旦那の抗がん剤治療をみてきて、私が思うのは副作用が出てる

間は一生懸命体ががん細胞と闘っている証。副作用には重篤な

ものもたくさんあり、命の危機に及ぶものもあります。

でも、旦那に現れた副作用の微熱やだるさなどは抗がん剤の

効果として、頑張っている証拠として捉えていました。

当初、アレルギー反応が出て使えない状況も想定されましたが、

それに打ち勝ち、現在も継続して投与してきました。

アレルギーが治まった後は様ような副作用がでていますが、

高血圧もその一つで、投与している間は高血圧が続くもんだと

思ってみていました。

しかし、基準値内の血圧になぜか嫌な予感がしてしまい、

本来は喜ぶべき事なんだと思います。普通の血圧に。

でも、喜ぶどころか不安な気持ちしか湧き上がってこない。

 

嫌な予感は本当に当たる。当たってしまう。いい予感は

打ち消されるのに、こんな予感は後で「やっぱり・・・」に

なってしまう。基準値に収まった血圧が抗がん剤の効果が

薄れている。若しくは耐性がついてきた証だとしたら・・・

 

いつかそういう日がやってくるのは重々承知の上で

抗がん剤治療で命を繋いでいます。だから私が考えている事が

間違いであってくれたら、そう思いながら毎日、旦那の血圧を

測っていましたが、そんな私の思いとは裏腹に旦那の血圧は

「高血圧」と思える日はなくなっていました。

 

5月25日 パクさん、サイさん3クール1回目の投与予定で

診察の予約が入っていました。

常に付きまとうだるさとカロナールでは痛みが治まらない事が

しばしばあり、貧血のように少しフラッとする事があった日が

多かったので気になっていました。

血液検査と血圧を済ませ、今回は時間まで車の中で院内にある

ローソンで買ったきた物を軽く食べて過ごしました。

だるいので車で少し横になりたい。と旦那が言ったので車の中で

時間を潰しましたが、私達健康な者には想像のつかないだるさ

なのでしょう。車で目をつぶった途端眠ってしまいました。

 

診察の時間が近くなってきたので、旦那を起こしましたがぐっすり

と眠っていたので起こすのが申し訳ない気持ちでした。

消化器科に行くとすぐに受付番号が表示され、診察室に呼ばれ

ました。主治医は前回、問題となっていた脾臓の話をしました。

「その後。左側の痛みとかはどうですか?」

「腫れてる感じも今はないし、痛みも気になりません。それよりも

こっち(肝臓を指して)の痛みが出だして、結構きついです。」

 

あれから脾臓の痛みや腫れはなくなりました。消化器科に

来る前、朝一番に血液腫瘍内科での診察があり、そこでも

腫れはひいて、元に戻っているので問題はないでしょう。と

言われていたので安心はしましたが、結局腫れた原因は

わかりませんでした。

 

肝臓の痛みがきつく、息するのも苦しい時があるという事を

訴えた旦那に主治医が

「今、オプソを処方していますが、これをやめてオキシコンチン

を処方しようと思います。これを飲んでみて様子をみてみて

下さい。それと痛みと付き合う上で痛みの緩和も必要になってきます。これから時間があれば緩和ケアの先生にお話しますので、

受診してみたらいいと思うんですが、どうでしょう?」

「いや、今日はいいです。」

 

なんと!断ってしまった旦那。痛みのスペシャリストである緩和ケア

をなぜ断ったのか・・・強烈な痛みの波に襲われてからではなく、

今から先に向けての受診を見越してくれたらよかったのに・・・

 

どうも緩和ケアに抵抗があるらしい事を後で話してくれたました。

緩和ケア病棟のイメージが強く、最後の砦のように思っている

ように私には受け取れましたが、旦那には抗がん剤投与と並行して

受診する事で、治療は消化器科で痛みは緩和ケアで分けて

考え、消化器科の主治医も処方はできるけど、痛みに関しては

緩和ケアの先生の方がより細かい処方をしてもらえるし、

痛みだけじゃなくて、精神的な部分とか色々な部分のフォローも

してくれる所だから、緩和ケアを受診したら最後だなんて思う

必要はどこにもないし、何よりも自分の為なんだと言う事を

話して、次に先生が薦めてくれたら断らずに受診しよう。そして

機会をみて自分から受診したい。とお願いしてみてもいいかもね。

と言いました。

旦那も自分の考えていた緩和ケアのイメージが払拭され、

「じゃ、次回は断らないで行ってみることにする。」

と約束してくれました。

 

今回の血液検査は問題はなく、無事にパクさん、サイさん3クール

1回目投与を行う事ができ、治療は順調に進んでいる・・・

ように思えましたが、そうではありませんでした。