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信じる者は救われる 
という言葉。


実はこれ、
とっても大事な言葉だと

気づきました。


わたしはずっと、
神さまを信じると、
信仰すると、 

救われる と

とらえていました。

逆に、

信じていないと救われない
うまくいかない。と思ってました。

 


だから、
拝むのを強要するのか〜
何かしないと救われないのか〜
やだなあって思っていました。


だけど!

「神」のとらえ方を

間違えている

ことに気づきました!



神のとらえ方を考えてみてください。

神って、何ですか?

イエスですか?

ブッダですか?

アラーですか?


違います!

 


神=自分 ですよ!
 

 


神は自分なんです。
自分の中に神はいるんです。


つまり、

自分を信じる者は、救われる んです。
 

 


自分を、
自分の可能性を、
自分の素晴らしさを、

信じるんです。


そうすれば、道はひらけるんです。

 

 


信じる者は救われる。

とっても大事な言葉だったことに気づきました。

 


わたしは、

わたしを信じて行こうと思いまーす!


みなさんは、何を信じていますか?


 


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2018年となりました。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

新年明けてすぐの2日には、
スーパームーンの満月ということで
あちこちで色んなことが言われていましたね。

中でも、蟹座の満月しかも4ハウスにあるということで
「家族」がキーになると言われていました。
*蟹座、4ハウスというのは家族を意味し、
 月は蟹座の支配星になるので、さらに意味が強調されるようですね…


家族に感謝しよう とか、
一家団欒を心がけて という言葉を見かけましたが……


そんなことできるかよ! 
っていうのがわたしの気持ちでした。

 


そこまで暴力的ではないけど、
家族について長年悩まされてきた、
現在もモヤモヤ継続中のわたしにとって

家族に感謝というのはムリ! 
という状態で。

 

 

運をよくするためにとか、

開運ポイントとかいう言葉と一緒に紹介されていて、

わたしは幸せになれないのか!という諦念にまで至り、

参りました。(自分の思い込みなんですけどね)

 

 

 

家族に感謝はしています。
色々やってもらったこともあるし、
恨んだりしているワケではありません。


でも、感謝 とか 団欒 と言われると
心がザワザワするのは否めません。



で、思ったのが。

家族とのことを終わりにする満月

家族とのモヤモヤに区切りをつける満月

ということにしようかなということでした。


満月って、要らないものを手放す
というタイミング
でもあるから、
ちょうどいいかなと。



これまで、
家族のことにずっと引きずられてきました。

でもそれは、
家族のせい、ではなくて自分のせい


心の底で、心のどこかで、

家族に引っかかっていたかった
自分
がいる。

家族のことを理由にしていた
自分
がいる。

 



だから、

家族のことを理由にしない。

家族に影響されない。

 

究極は、
家族であって家族でない
としてもよい。

 


そう区切りをつけようと思ったのです。



そうやって家族と自分を切り離して
自立することができれば
(物理的にも精神的にも)

いつか、そのうち、
家族としてきちんと合流?することが
できるかなと思うのです。


だって、イヤだイヤだと言っても、
たぶん家族って切り離せないから。

離れられないとか、
結局家族が大事とか、

そういうことではなく、

離れていても、
どこかで繋がっているから。


だからこそ、

離れてもいいのかなと思うのです。


今までは、
離れてしまうのではないかという
刷り込みと、自分自身の恐れで
できなかったのですが、

最初から繋がっているし、
離れられないものなんだから、
逆に、

どんなに離れても大丈夫

なんじゃないかなと。


だから、離れて自立して
自分の幸せだけを追いかけることにします。
改めて。



新年早々、まとまりのない
ひとりごとの記事になってしまいました。


家族に感謝 とか
家族と団欒 と言われて

わたしのようにザワザワする人、
ツライ思いを抱いている人、
ひょっとして多いのでないかな?と思い、
今日、この記事を書くことにしました。


何かの気づきになると幸いです(^ ^)




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日本語っておもしろいんですよ。

ダブルミーニングになっていることがたくさんあって、
色んな意味が隠されています。

1234……
ひふみよ…… とも読みます。

そして
ひ ふ み は、
火 風 水 という
大切な要素を表しているとも言います。

そして、 は 
世=世の中 でもあり 
余・予=わたし でもあります。

つまり、
世の中=わたし がつながっているのです。

これって、よく言われる
世界は自分を表している 
……ということと同じですよね。


こんな感じで、
隠されている言葉や意味を知ると
日本語ってスゴイ!という驚きとともに
奥深さ
を感じるのですが、

そのうち、自分でも
気づきを得ていくようになります。


わたしも昨日、気づきました!

脳はNO!なのです。


何かっていうと……

あれやりたいなあ
とか思ったときに

でも、
今日はこれやらなくちゃでしょ!とか
そんな時間ないよ!とか
そんなことできるの?とか

色んな言い訳=NO!が出てきますよね。


それって、脳が言っていることです。

つまり、
脳はNO!を言うところなわけです。

 


だから、脳に何か申請したとしても
たいがいNO!って言われるだけなのです。


何かやりたいことがあったら、
脳にお伺いを立てない。
こっそり進めてみる(笑)



今までずっと、
脳で考えることが正しいと思って生きてきたから
脳にお伺いを立てることしか考えられないけど、
本当はそうじゃない。

あれやりたいな、食べたいな、行きたいな……って
出てきたら
何も考えず、それを優先させる。


なんでだろう?とか
意味ないのに、とか 
不思議に思うこともたくさんあるけど、
何だかわからないからこそ、やってみる。

自分でコントロールしない。
自分にコントロールできるという

驕りを持たない。

 


予測不可能なところに、

大きな可能性がやってくる。
それは人間には説明できないような大きなこと。


人間が説明できるようなことだったら、
人間ができる程度の

小さなことしか起こらない。



わからないことをやるのが
怖いと思うこともあるかもしれないけど、
怖くない程度の小さなことから

やってみればいい。

 


例えば、
目に入ってきたチーズタルトが食べたい!

と思ったら食べるとか。

 


いちいち自分を罰さない。

裁かない。

ジャッジしない。


かくいうわたしが、
チーズタルト食べたい!と思ったのに
与えてあげなかったのです。。。

家にまだ何かあるとか、
今日は食べる時間がないとか、

ホントに食べたいの?とか、

もう!脳=NO!で

色々考えてしまって!!!泣

 


わたしにやさしくして、従ってたら
何が起こったのかな〜〜〜〜〜〜〜???


小さなこと
少しの時間で済むとか、小さな金額で済むとか、
ちょっとした寄り道とか、
そういうことであれば、
絶対、自分の中の声に従うと決めました。

さあ、何が起こるかな???

って、起こることが目的ではないのですけどね。
ホントの自分回帰への一歩です。

 

 

このBAKEのチーズタルトが好きで、

買って帰ろうか迷って迷って迷ってやめちゃったんです〜〜〜〜

確実に脳=NO!の思考が入った判断でした。。。

*画像はBAKEさんからお借りしました

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昨日、わたしが本当にやりたいと思っていることは
自分を表現すること
身体を動かしてダンスしたり
声を出して歌うこと だった! と紹介しました。
あなたは何でもできる!の誤解


で、今日。

一人カラオケに行ってきました。

いやーーーーーーーーー
気持ちよかった!!!
楽しかった!!!




って、いかにも歌うことが好きな人みたいですが…

 


昨日も書きましたが、
歌うことは
本当に本当に本当に

苦手でした。

 


正確に言うと
声を出すことも聞くことも

苦手でした。

 


自分で聞くのも
人に聞かれるのも、すごく苦手だった。
 


声を出すこと=
自分がいると証明する・アピールする
ことになってしまうから。

 


自分の存在を否定していたわたしには、
それがとても苦痛だった。


さらに
歌が上手いか下手か、
きちんと歌えているかどうか、
そのことに意識が縛られてしまって、
ますます声を出せなくなってしまう

という悪循環。


苦手というより、コンプレックス。
恐怖に近かったかもしれません。



なのに、
なぜかカラオケに行こうとする。

友達や会社の人と飲んだあとに、
カラオケに〜という流れになると、
イヤだと思いつつも、帰れない。

今日こそ、上手く歌えるかもしれない。
今日こそ、みんなの前で声が出せるかもしれない。
みんなに聞かれてもイヤと思わないかもしれない。

 

どうしようどうしようどうしよう……

行ってみよう。。。

 

 

淡い思いを抱きつつ行くものの
やっぱり現状は変わらず、打ちのめされて。


なんで行ったんだろう……
やめればよかったのに。。。


恥かいた。
やっぱりダメなんだ。


その繰り返し。


家でも一生懸命
声を出し、歌ってみるものの
カラオケに行けばやっぱり同じだし、
そもそも、人前で声を出すことができない。

一生できないのかもしれない……と、
何度も絶望しました。

 


ボーカルレッスンに行くことも
何度も考えましたが、
人前で声を出せないのに、
行ってもまたショックを受けるだけだと思い
怖くて踏み出せませんでした。



別に、歌なんて歌えなくてもいいのだと思いました。
カラオケにだって行かなければいい話だし。


だけど、無意識?に歌おうとしてしまう。
曲にあわせて歌ってしまう。
歌いたいと思っている自分

いました。

 


心はボロボロになるし、自暴自棄になるのに
なぜか、決してあきらめない。




結局、わたしにとっては
声を出す=

自分をさらけだすことであり、
突き詰めると
自分を見る・自分と向き合う
ということだったのだと思います。

 


自己否定しつつも、
やるならしっかり

上手くやらなければならない、
恥はかきたくない 

という気持ちが葛藤して
自分を出せなかったし、見られなかったのでしょう。



ようやく今、
自分を見ることができて
自分を出してもいい

という許可ができて
声を出せるようになりました。


声を出せるようになった!というのが
数ヶ月前で
本当に自分の声を

聞けるようになったのは
ここ何日かの話。



音楽の授業で、みんなと一緒なら歌えるのに
1人でテストになると
蚊の鳴くような声しか出せない……と
泣きたい思いをしはじめて、30年。

 


長かったけど、
今 本当に楽しいし、うれしいです。

まだまだ歌は上手くないけど、
声が出せる、歌が歌えるというのは
涙が出るほど

幸せな気分です。




何になるかわからないし…
意味がないし…
そうやって、
自分の気持ちを、想いを閉じ込めて。


だけど、なぜだかやろうとしてしまって。
でも上手くいかなくて。

なんでやろうとするのか?
続けようとするのか?

自分がみじめに思えて
さらに自己否定してしまう。

そんな、わたしみたいな人いませんか?



心のどこかから、
ドアをノックするように
ずっと、サインが来ていると思います。

そのサインは、何を意味しているか
薄々は気づいているけど、
放っておいているのではないですか?

そのサイン、そろそろ拾って
扉を開いてみませんか?

それは多分、自分を解放する扉ですよ。

 

 

 

 

 

星野源の「Family Song」を歌ったら

本人映像で、PVが流れてきました。

 

これNHKでやった「おげんさんといっしょ」まんまじゃん!とビックリ。

(細野晴臣さんが出てこないくらい?)

PVと番組と、どっちが先だったんだろう……

 

ビックリしながら楽しく歌わせていただきました。

(採点しながらなので、画面に色々映ってます…)

 

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あなたには、

才能がある。力がある。
何でもできる。


って、聞く。


そうだ、

自分は好きなことができるんだ。

って思う。

 


でも、思ったようにできない

ことがある。

 


それは、

本当の自分の好きなことじゃないから。
本当にやろうと思っていることじゃないから。


だったりする。


やりたいと思っていることが、
実は全然違う
っていうことが

とっても多いと思う。


世間から見たらスゴイと
言われること・思われること・認められること、
それが自分の望みだと思い込んでしまっている。

親からの期待に応えたり、
社会で生きていく上での体裁を保つために
いつの間にか、すりかえてしまっている。


だから、才能があっても力があっても
なかなかうまくいかない。

 


そして実は、
才能なんかじゃない、力なんかじゃない、

みんな、

本当は  何でもできる。

 


でもそれは、
スゴイことをやるために

あるんじゃない。



心の底から、魂から、
やりたいと思うことをやるために
ある。

 


そのためになら、

その 何でもできる
いくらでも発揮される。

 

 


自分が本当にやりたいことって、

フタをされてる

 


本当にこれなのかな?
こんなことなのかな?

やりたいことって、
ステキなことじゃないのかな。

やったら評価されることじゃないのかな。

達成感があることじゃないのかな。

 


これやりたいって言ったら
ヘンな目で見られるんじゃないのかな。

こんなちっぽけなことなのかな。

 

 

そんな

不安や疑念が浮かぶことこそ、
やりたいこと。
魂的に言ったら、やるべきこと。


もし、そんな不安と疑念にかられながらも
気になることがあるなら、
ぜひ飛び込んでみてほしい。
一歩でいいから踏み出してみてほしい。

そこから、

きっと何かがはじまっていくから。




わたしがやりたいことは、
どうやら身体を動かしたり
歌をうたったりすることだったようです。

自分が存在することが

ずっと許せなかったので(心の奥底で)
人前で自分の姿を見ることや、声を出すことが
ものすごくイヤだったのですが。

ダンスや演劇をやっている人を見ていると
身体が動き出したくて仕方ないということが多く

カラオケでみんなと歌うのが苦手でたまらないのに、
どうしても上手くなりたいという気持ちが消えず
あきらめきれない。。。

(かと言って、習いにも行けない…)

 


こう書いてみると、
表現する、ということになるのかなあと思います。

ここ10年くらいは、
自分を潰してあんまり目立たないように…と思って
生きてきたのに、なんとまあ。という感じです。

 

ひとまず、初心者向けダンスの体験教室に行ってみようかと……

 

 

 

こうやって落ち葉と戯れることだって、

立派なやりたいこと。

 

やると笑顔になるっていうことが、

ひとつのキーかもしれませんね。

 

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今日も、最後まで読んでくださって

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