父は母と結婚した当初は

町工場で働いていたと思うけど、

あまり詳しい事は知らない。

 

写真の顔に穴を開けるくらい

憎んでた父の事を

母に聞く事は暗黙のタブー。

何も聞けなかった。

 

でも私が産まれた頃から

だんだん収入が増して

収入が良くなる→女遊びを始める

の、よくあるパターン。

 

その後もどんどん収入が増した父は

件の豪邸を建てた。

 

父が全く私達を見放したかと言うと

そうでもなく、滞りながらも

生活費なるものを母に

渡していたらしい。

当然やけどね。

 

今思えばその額は

大卒の初任給くらいはあった。

 

でもお嬢さんで育った母は

全く経済観念がない。

(この頃実家の両親は既に亡い)

 

もらった生活費は

ものの1週間で使い切って

しまうような人やった。

 

で、給食費が払えない!

姉妹に借りに行く、

このパターンの繰り返し。

 

今思えば生活の困窮は

仕事に行けなかったうえ

経済観念がなかった

母にも多少の責任あり。

 

でもその頃の私は

父が100%悪い!

極悪非道な人間!

と思ってた。

 

そしてついにアパートの

家賃さえ払えなくなって

伯母の1Kの家に母娘2人で

居候する事になる。


1つだけの和室に伯母夫婦。

キッチンにある2畳ほどの

スペースに私達母娘の

布団を敷いて寝てた。

 

今思えば流し台の下で

寝るなんて凄い事してたなー

と、思うけど小学生の私は

辛さも疑問も感じてなかった。

 

そして、中学校に入った頃、

辛い大きな試練が私を待ち受けてた。