最近、2つのエピソードで自覚した。
私の心は、やっぱり病んでいたんだね。
1つは、伊豆の家に何年かぶりに行って、
片付けものをしていた時のこと。
物に触れるだけで、
記憶の引き出しが一気に開いて、
胸が痛くなり、頭痛がしてきた。
楽しい思い出も思い出すが、
辛い思い出も思い出す。
それでも、せっかく来たのだからと、
我慢してその作業を続けていたが、
もうだめだ、と限界を感じた。
着物もたくさんあるので、
車に積み込もうとしたが、
この場所から離れなさいと心が叫ぶ。
こんなふうになるのが、
多分分かっていたから、
来れなかったのねと分かった。
ゴミの袋を4つと、着物を入れた袋を2つだけ、
車に乗せて横浜に帰ってきた。
たぶん、近所の人は、
親不孝な娘だと言っているだろう。
でも、自分が生きているだけで、
精一杯の時があったのよね。
もう一つは、
明治一代女の記憶を引き出しにしまっていた事。
調べたら、ちゃんと見ていたし、
内容も知っていた。
少しずつ記憶が蘇ってきたら、
当時の嫌な思い出も出て来て辛くなったので、
思い出すのをやめてしまった。
記憶は忘れたのではなく、
引き出しに仕舞うのよね。
物に触るだけで、その引き出しが開くのよね。
だから、断捨離の作業は辛い。