羽生結弦の平昌五輪★善と悪の2つのプライド、ジグザグの果てにつかんだ栄光~五輪2連覇の偉業 | ユマケン's take

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「明けない夜はないんです」

 平昌五輪の表彰式直後に生出演したTV番組で、羽生結弦はポロリとこう言った。右足首の大ケガをして以降、3ヶ月以上の間、姿を見せなかった彼は、ずっと1人で闇夜をさまよっていたような気分だったのか。この日、世界中の注目を浴びた23歳は、番組中にこんな言葉も残した。

 

 私生活の幸せを捨ててゆく中で、五輪への思いを洗練させ、小さなカケラにすることができた。

 

 平昌五輪のキャッチコピーは“Passion Connected”だ。羽生の言うその小さなカケラ、心の中の結晶こそが真の情熱である。孤独の闇夜の果てにあった光とは、まさにその情熱の光と呼応するものだったのではないか。羽生に限らず、ほとんどの五輪アスリートがまばゆく、見る人の感動を誘うのも、そこに研ぎ澄まされた情熱があり、命の輝きがあるからに他ならない。

 

 



 世界のスポーツ史に残るマイルストーンである。2018年、平昌五輪の男子フィギュアで、羽生結弦が2大会連続でオリンピック・ウィナーになった。五輪史上、男子で66年ぶりの偉業というが、実質的には彼が史上初の連覇達成者である。他の多くのスポーツにも言えるが、半世紀以上前の歴史的な記録とは、ほぼすべて貴族や富裕層といったごく一部の参加者だけの争いの中で出されたものだ。羽生こそが男子で史上初の五輪連覇選手だと言える。

 多くの人は、足首のじん帯損傷という大ケガから、たった3ヶ月で、羽生がどうやって、ここまで復調できたのかと思ったことだろう。

 しかし、まず彼のケガは治っていない。

 

 試合後のインタビューでは、ずっと治らない中で治療に見切りをつけ、痛み止めを飲むようにしたと口にしている。練習時にさえ使用していたらしく、相当量を服用したのではないか。つまり、将来にわたる健康リスクを覚悟した上で、強攻策に出たのである。鎮痛剤の過剰摂取は当然、命に関わるリスクを伴う。羽生はそこまでの代償をはらって、五輪連覇に賭けたのだといえる。それでも、すぐに復調したのは、すごいことだ。

 

だが、長期的なブランクから

早々にカムバックすることは

トップアスリートの中では、珍しいことではない。

それどころか、ケガ明け早々、

最高の成績を残す選手も少なくないのだ。

 


 2014年、24歳だった錦織圭は大ケガで2ヶ月ほどツアーを離れ、練習もろくに出来ず、ぶっつけ本番でグランドスラムのUSオープンに出場した。本人も1回戦が戦えればいいぐらいに思っていたが、思わぬ快進撃が続き、敗れはしたが決勝戦まで進むことになった。4年後の現在に至るまで、それが彼のキャリア最高成績である。

 16年、全豪オープンで優勝したフェデラーも、それまでケガで半年以上もツアーから離脱していた。充分な経験と高い実績があり、コンディションが最低限整っていれば、ブランク直後でもトップアスリートは活躍できる。むしろ休暇中に体力が温存できて、より良い成績が生まれることもある。平昌の羽生もその一例を作った。 

 10年、20年かけて必死に築き上げてきたことは、たった数ヶ月の空白で失われたりはしないのだ。

 

 

 

 



 羽生に勝利をもたらしたものは何か。僕は真のプライドと地力の大きさにあったと見る。

 

 英語圏においてプライドとは主に“Authentic Pride”と “Hubristic Pride”の2つに分かれる。善と悪のプライドであり、前者は何かを達成させる真性のプライド、後者が自信過剰のプライド、つまりごう慢を意味する。羽生のスケート人生とは、本質的にこの正と負のプライドの間で大きく揺れ続けてきた。


 ソチ五輪の翌年から、彼は2年続けて世界選手権で大きなミスを繰り返し、フェルナンデスに負け続けていた。自らの理想を遥かに高く設定したために起こった惨敗だった。その元には分不相応なプライド、ごう慢があった。

 

 そしてそれは去年11月のじん帯損傷の大ケガにつながる。ライバルたちが飛べるようになった最高難度の4回転ルッツの練習時に起こったアクシデントだった。ジャンプの完成度だけで充分にトップを守れる羽生にとって、明らかに不必要な挑戦だった。負けず嫌いの、ごう慢さによる自業自得。だが、彼はそこで終わらなかった。


 今回の五輪の本番前、羽生はこんな言葉を口にした。「今できることをやって、夢に描いてきた演技を見せます」

 SPとフリーを通して、羽生はそれを実践した。4回転ジャンプの難易度を落とし、最も簡単なトゥループとサルコーの2つに絞った構成にし、その中で完ぺきな演技を目指した。自らの現実的な実力に伴った理想を追求する。それこそが真のプライドである。
 もちろん、ケガの功名ということも考えられる。大ケガをしたおかげで、羽生は技の難度を下げることをすんなり受け入れられたのではないか。去年、NHK杯でケガをせず全日本で優勝し、意気揚々と五輪に入っていれば、はたして彼は今回のような構成にしただろうか。五輪で自らの世界記録を更新すべく、4回転ルッツやループを入れた構成にしていたのではないか…。

 精神的に成熟したのか、それともケガが謙虚さを呼んだのか。あるいはその両方が働いたのか。その答えは彼にしか分からないだろう。







 

 最後は、地力が決め手になった。地力、つまりその人の土台であり平均的な力、または小さなミスをふくめた最低限出せる力とも言える。

 

 スポーツ全体に言えることだが、大舞台になるほど地力がものを言う。シンクロの日本代表コーチ、井村雅代は、五輪という大舞台では誰もが本来の半分ほどしか力が出せないので、普段から地力を上げておく必要があると語ったことがある。要するに、すでに獲得した地力で、ほとんどの場合、五輪での戦いも決まる。五輪が始まる前から、大抵の勝負はすでに決しているのである。前評判が高い選手の大半はメダリストになるものだ。

 平昌五輪、男子フィギュアのトップ3、羽生、宇野、フェルナンデスは、4回転ジャンプでそれぞれほぼ同程度のミスをしたが、羽生が2位の宇野に10点差をつける結果になった。それも羽生の地力がもたらしたものだ。フィギュアの採点とは技術点と演技構成点に大別されるが、フィギュアの地力とは後者であり、それにジャンプ以外の技術点も加わるものになるだろう。

 


男子は4回転時代に入り、トップ10の選手の誰もが

2種類以上の4回転を跳ぶようになった。

だが、五輪のような重圧のかかる大舞台では

何よりも地力がものをいう。

高難度ジャンプとはギャンブルであり、運不運に

大きく左右される。特に五輪ではギャンブル的な

大ジャンプを連発すれば、大抵は自滅する。

 


 一方、地力、演技構成点はどんな時もほぼ確実に出せる。つまり、それが高ければ、無難なジャンプを成功させるだけで結果が出るのだ。

 今回の羽生の勝ち方はまさにそうだった。羽生をふくむトップ3の演技構成点の配分、スケーティングや音楽の解釈などの5項目はすべて9点台であり、3人全員が総合で90点以上をマークしていた。一方、ボーヤン・ジンやネイサン・チェンといったジャンプ勝負の選手は、そこで大差をつけられていた。

 

 

 

 



 羽生の最大のライバルと言われたネイサン・チェンは、前回ソチ大会の浅田真央とほぼ同じ悲劇を繰り返した。SPで大崩れしてメダル争いから脱落した後、翌日のフリーで奇跡的なカムバックを遂げた。結果、チェンはフリーでトップの215点を上げ、2位の羽生に10点近くの差をつけることになった。

 だが、彼には地力がなく演技構成点は87点に留まる。そのために、彼は最高難度の4回転ジャンプを6回もフリーに入れる構成に挑んだと言える。だが、五輪では地力がものを言うのだ。仮にチェンがSPでジャンプを成功していても、おそらくフリーでは大いに乱れていたのではないか。

 

 スケートの土台、地力がないのでチェンは高難度の4回転ジャンプを6回も飛ばざるを得なかったとも言える。ソチの浅田真央も女子としては初めて8回ものトリプルジャンプをフリーで成功させたが、それもまた地力の欠如がもたらしたものだと言える。ネイサン・チェンには将来性というものもない。確かにスケーティングや演技にも魅力はある。

 

 だが、僕の目に彼はフィギュアスケートの破壊者のように映る。

 とにかく4回転を飛びまくり、質を抜きにして回転しきることで高得点を荒稼ぎする。そんな数打ちゃ当たるギャンブル戦法で、チェンはここまでのしあがってきた。だが、今後もそれを続けていれば体は2年と持たないだろう。地力をつけない限り、彼に次の五輪はない。

 

 

 



 銀メダルに終わった宇野は致命的な過ちを犯した。最終滑走だった彼は、それまでのライバル選手のスコアをすべて頭に入れていて、金メダルを取るための演技プランを強く心がけていた。だが冒頭の4回転フリップをミスしてそれが崩れ、後は自分の演技に集中しなおしてほぼノーミスで滑り終えた。

 銀メダルという結果はすばらしいが、他選手のスコアを見ず、最初から自分のことだけに集中していれば結果は大きく違っていたのかも知れない。


 ライバルのスコアを見ておくとは、一見すごい精神力の持ち主のように感じられる。だが、人との比較で自らの立場を把握する人とは、実はエゴの弱い人である。本当にこころの強い人は他人の動向に関係なく、人に依存せずに自らの理想にまい進できるものだ。宇野はまったく緊張しなかったとも言っているが、ではなぜSPで飛べたジャンプを翌日のフリーの冒頭でミスしたのだろう。
 五輪メダルの魔物、重圧は確実に存在する。参加アスリートの大半は五輪に自らの人生の全てを賭けてくる。だからこそ重圧と競技レベルが最高潮になる。

 

宇野はオリンピックが

普通の試合だと豪語する。

だが、それはナルシズムが引き起こす

自己暗示に過ぎず

自分自身でさえ偽っている。

自らが五輪をどう認識しようが、

現実的には重圧が実在し、自身の無意識下にも

重いプレッシャーがかかっている。


 12年ロンドン五輪の際、体操の内村航平も五輪のプレッシャーはないと豪語していた。だが、団体戦で重圧に飲まれて自身がミスをし、銀メダルに終わることで、彼は魔物がいることをハッキリと受け止めた。そうして個人総合で金メダルに輝いた。16年リオ五輪に出た体操の白井健三も、五輪を普通の大会だと豪語した中、金が確実視されていた種目別の床でメダルを逃す結果になった。

 思い込みの小さな世界に引きこもれば、大舞台の重圧はより大きくなる。まずは自らの中にいる五輪の魔物に気づき、そして現実にある重圧を受け入れねばならない。ナルシズムの小さな世界の中には、最高の栄誉は存在しない。

 

 

 




 羽生結弦は今後、どこに向かうのか。23歳の青年は今、極度の満身創痍にある。治療は非常に長く困難な道になるだろう。ケガの治療をあきらめ、痛み止めという強攻策で五輪に出た代償は大きいハズだ。数週間、鎮痛剤を常用したことによる健康リスクは無視できない。彼は他にも多くのケガがあることを明かしている。

 

 羽生の五輪連覇は、今後のスケートキャリアだけではなく、将来にわたる自身の健康まで投げ打って得たものだったのではないか。


 2016年、アメリカ大統領選挙でトランプが勝った後、前任者のオバマ大統領はアメリカの将来を心配するメディアに対し、こんなことを語った。
「改革の道は常にジグザグだ。だが、長い目で見れば大抵の事は良くなってゆくものだよ」
 羽生の五輪連覇までの軌跡はまさにそういうものだった。善と悪の2つのプライドの間で大いに揺れ続け、山あり谷ありが続いたが、最後には頂上にたどりつけた。

 政治やスポーツだけでなく、幸不幸、運不運なども常に交互にやってくる。老子の格言「禍福は、あざなえる縄のごとし」も、良いことと悪いことは2本で編み合わされた縄のように一体になっていることを意味する。


 羽生の今後の治療は、彼にとって闇夜をさまようようなものになるのかも知れない。もう2度と競技者としてスケートリンクに戻ってこれない可能性もある。だが、どんな形であれ、いずれまた彼は大きな光を浴びることだろう。彼が口にしたよう、「明けない夜はない」のである。■