下妻物語・レヴュー(アメリに通じる、メタ・フィクションの魅力) | ユマケン's take

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デビュー作オンリー作家による政治・文化エッセイ。マスコミの盲点を突き、批判を中心にしながらも
世の再構築をインスパイアする健全なメディア空間を目指している。引用はご自由に、どなたもどうぞお立ち寄りを。

 

土屋アンナ

      [Kamikaze Girls/Written, Directed by Tetsuya Nakashima./Japan-2004.Dramedy-110m]


 映画が始まっていきなりフカキョン演じるモモコが軽トラにぶっ飛ばされるが、僕もこの映画を観終えると何かに、ぶっ飛ばされたように感じた。


 「下妻物語」。3年ほど前のいつか、土屋アンナのファンなんで、ちょっと観てみようかという感じで観たと思う。他の多くの人も、ちょっとスタイリッシュなガールズ・コメディーくらいの期待しか持ってなかったろう。
 

 それが開けてみると、ビックリ。傑作だった。なぜか?単にオモシロいからでもある。ユーモアが少女マンガの域を超え、世界の観客にも届くような豪快さと新しさを放っている。


 

フカキョン 土屋アンナ2
 
  
 が、本質的な魅力はマルチ・フィクションにある。1つの映画を観て、10コの映画を観終えたような感覚。それを引き出す映画を、僕は勝手にマルチ・フィクションと呼んでいる。
 
 
1つ1つのシーンが凝っている。
1シーンごとに素晴らしいアイデアが飛び出してくる。
そういう、多次元的で豊かな映画、
想像力やアイデアの宝庫のような映画が
マルチフィクションである。
例としては
 “フェリーニの8・1/2”
“パルプ・フィクション”や“アメリ”
などが例として挙げられる。
 
 
 アメリと下妻を両方観た人なら、分かるだろうが、この2作はホントに似てる。マルチな作りだけじゃなく、映画のファンシーな空気も似てる。
 
 アメリの国、フランスでは、この“下妻物語”が大ヒット。ちなみに、フランスでもアメリカでも“KAMIKAZE GIRLS”と名づけられてる。フランスでは、上映・映画館数が100を超え、日本映画としてNO-1の記録になった程だ。
 
 
下妻 宮迫と哀れな子供達
 
 

  また、メタ・フィクション的な遊びも多くある。これもマルチ・フィクションの特徴の1つで、映画という枠を飛び越えた次元を描くことだ。


 例えば、モモコがNHKの“青春の主張”みたいな番組に出演して、自分の身の上話をする。または、イチゴが族伝説の卑弥呼の話をする時、聞き役のモモコが、“長いんで、視聴者の皆さんは分かりやすいこのVを見てね” みたいなことを言う。


 その反面でリアリズムもある。

 

 イチゴとモモコが、確か自由が丘辺りの街をブラブラするシーン。僕の1番好きなシーンでもあるが、そこだけは、セピア調の質感で、ゲリラ的に撮られている。

 

 それは1980年の『セーラー服と機関銃』のラストで薬師丸ひろ子が街中をブラブラ歩くシーンを想起させた。この映画でもイチゴとモモコが街の中の大勢に混じった形で撮られることで、まるで2人がこの世に実在してるように感じさせられるのだ。



kamikaze3 水野晴夫

 


 そしてこの映画には、ハートドキドキがある。“本当に大人になるとはどういう事なのか” アンナ演じるイチゴとロリータなモモコ。彼女たちによってそれが突きつけられる。

 

 このシリアスで文学的なテーマが、ポップなMTVヴィジョンの映画に、ムリなくフィットし、奥深い余韻さえ残す。 


 それをもたらしたのは、土屋アンナ。 この大女の圧倒的な存在感だ。ドタバタ・コメディー、シリアスな場面、迫力のヴァイオレンス、どれも月並みなリアルを超えた自然体で演じていた。

 

 何よりビックリなのが、この年の日本の主要な映画賞の新人部門をアンナが独占したことだ。こんな型破りな演技を、日本文化のど真ん中が認めるだなんて1種の奇跡だろう。


 とにかく、僕には特別な一作だった。実写の邦画としては、93年の“ソナチネ”、2000年の“バトル・ロワイヤル” それに並ぶ革新的な映画だった。


 

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