Vol.14 本気でモロッコ移住を考え始める | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

私は医療通訳のため病院に出向いたり

出張モロッコ料理教室を開催しながら

日々の時間を過ごしていた。

 

 

その間に子供達が大きくなっていることに

喜びを感じると共に

 

絶望も感じていた。

 

 

 

義姉が頑として

この小さな家から引っ越そうとしないのだ。

 

義姉の時代のモロッコは

大家族で雑魚寝で育ったのだから

子供達だって、それで良いだろう!と言う真顔

 

 

時代は違うのに、そんなことは解ってくれない。

 

 

そしてさらに議論を続けようとすると

「お前が独り、出ていけば良いではないか!?」

と言ってのけるびっくり(→ほぼ嫌がらせ指差し

 

超エゴイストな義姉は

自分の可愛い弟と、子供達がいればそれで良くて

常に私だけ邪魔者扱いされていたもやもや

 

 

 

 

もちろん、では、サヨウナラ!

と言って、私達家族だけ引っ越せば良いではないか?

と言われればそうなのだけど

 

彼女は中途半端な障害が残っただけで

国からの補助もなく

彼女の年金だけでは生活できなかった。

 

だからまた、2軒分の家賃と生活費は賄えない

ということで依然同居生活を続けていた。

 

 

 

だけど、私は子供達の大きくなってきている身体を見ていて

精神的に限界に達していた。

 




 

そして、夏だけでも子供達を連れて

モロッコに3ヶ月間、滞在するようになった。

 

そして冬に1ヶ月間、日本に行けば

義姉の元から4ヶ月間離れられることになる。

 

 

義姉と別居したら、バカンスは行けなくなる。

せめて、子供達が親と一緒に動いてくれる小さなうちは

モロッコと日本で楽しい思い出を一緒に作ろうと

イタリアでの広い家は諦めていた。

 

 

そして空いた時間には

日本で一度挫折した、フランス語の勉強を再開した。

 

頻繁にモロッコに行くようになって

アラビア語モロッコ方言よりも

フランス語で答える方が早い場合が多いのだ。

 

何故なら、私はイタリア語脳になってしまっているので

イタリア語からフランス語への変換の方がラクなのだ。

 

 

 

こうして、また私は勉強することで

日頃のストレスを発散して

子供が学校に行っている間の貴重な時間を

無駄にしないように将来に備えた。

 

 

私はイタリアで、自宅での日常を

全く楽しめないでいた。

ただ、ただ、苦痛でしかなかった。

 

 

私も夫も、義姉の荒れっぷりには

ホトホト困っていた。

 

私は夫に提案した。

 

義姉の健康状態も安定しているし

(元気過ぎて、私への攻撃が激しくなっているし)

私、子供達を連れてモロッコへ移住するわ真顔

 

 

あなた独りが週末モロッコ×月2回とかで来てくれたら

イタリアで義姉と別居するより安く付くと思うの。

 

 

夫はモロッコの親友に事情を話して

子供達のプライベートスクールまで探してくれていた。

 

 

私は、ただ、ただ

この地獄のような窮屈な日常から

解放される術を模索する日々を送っていた。

 

 

夫は、義姉は昔はこんな人じゃなかったのだ.....と言う。

 

脳梗塞後に、人が変わってしまったように

鬱になり、その後

ずっと人生の不満を当てつけるかのように

一番近くにいる私にぶつけるようになったのだ。

 

 

しかしだよ、君、

私は変わり果てた義姉〜しか知らないし

まるで、私の事を苦しめるのが生き甲斐のような人間と

何故私がここで同居していなければならないのか?

 

それが問題なのだよ。

 

もうそろそろ、私の人権も主張して良いのではないかね??

 

 

 

男性からの暴力で振りかざす女性の権利はあるのに

親戚からの言葉の暴力から守られる術は無いのか!?

 

私は、そんなシェルターがあるのなら

その夜にでも逃げ込みたかった。



つづく