鶏屋のサイド | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住栄養士ritzcoが美味しいモロッコ料理情報を綴ります。
ず~っとやりたかったフランス語の勉強を再開!充実の勉強ライフも一緒にお届けいたします☆


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モロッコで鶏肉が必要な時は鶏屋に行く。

 

そこには生きた鶏がウジャウジャ店先に並んで餌を食べている。

檻の中のその子達を鶏屋のオジサンが選んで

その場で首を切って血抜きをし、機械で羽をむしって

ビニール袋に入れて、温かい鶏をハイ、どうぞ!とくれる。

 

 

初めはウォ〜ッ!と衝撃的で

温かな、もはや鶏肉となった命を受け取った時、責任を感じた。

 

 

スーパーの冷蔵ケースでパック詰めになって売っている

シラ〜ッと商品と化したモノではなく

さっきそこで餌をついばんでいた鶏の生命を

私の腕の中でまだ温かい肉から感じるのだ。

 

 

まるでお腹の中から出てきた赤子をポンと渡された気分だ。

温かな生命を受け取る行為。

 

 

スーパーの冷たいカット鶏肉だって同じ工程を辿っているのだけれど

それを目の前で見る、見ない

その鶏の温度を感じるか感じないかでは大違いだ。

 

 

命を受け取った私は

感謝と共に調理し、食卓でありがたく頂く。

 

こういう小さな感謝のエネルギー量が

モロッコでは至る所で沢山感じられるから

私はこの国にいると愛の量が増えていくような気がする。

 

そしてもちろん、モロッコ人が持ち合わせる愛の量は

きっと欧米や日本の人々の比にならないくらいの蓄えがある。

私が彼らから貰ってばかりで、自分からは充分に与えられないモノ。

 

 
 
 
 
 
義母の家から少し歩くと
毎朝スークという市場が出る広場があり
その広場を囲んで4軒の鶏屋が軒を連ねている。
 
 
それだけ需用があるという事なのだろうけれど
鶏肉も牛肉も、ほぼイタリアと同じか
牛肉に関してはイタリアよりも値段が高い。
他の物の支出を抑えてもお肉を買う人が多いのだろう。
 
 
3年前、息子が交通事故に遭い
モロッコ 滞在中ずっと車椅子でウロウロしていた事があった。
 
退屈する息子はいつも
鶏屋のオジちゃんのところに連れて行ってくれ
と私にせがむので、いつも鶏屋の脇に車椅子を置いて
息子は客が鶏を買いに来て、オジちゃんが鶏を殺して客に手渡すまでを観察した。
 
 
その鶏屋のオジちゃんは、夫の小学校からの同級生でサイドという。
サイドは独身なので子供はいなく、うちの息子を大層可愛がってくれる。
そしていつも息子にオヤツを買うお小遣いをくれる。
そして私には、たまに鶏をプレゼントしてくれる。
鶏の代金は、受け取ってくれない。
 
 
息子は鶏屋に連れて行けと言うし
でもいつも貰ってしまうので、私は行くのが気が引ける。
 
私が彼にあげたイタリアのカフェやらTシャツやらのお土産では
到底太刀打ち出来ないくらい貰ってしまっている.......。
 
 
とうとう私はサイドに
もうお小遣いも鶏もくれないでくれ、とお願いした。
 
 
すると、
君は僕の家族みたいなものなんだから
僕が君にあげると決めた物は黙って受け取ってくれればいいんだ
と言った。
 
 
夫にも相談してみると
彼がそう言うのなら受け取っておきなさい。
僕が何かまたイタリアからお土産を持って行くから
とのこと。
 
 
翌年からは、息子は元気に走り回り
鶏を興味深く観察しに行く事もなくなった。
たまにサイドの前を通りかかると
ギューッと抱きしめてもらい、お小遣いを貰っている。
 
 
私は、なるべく通りの中程から店内のサイドに挨拶する事にした。
こうすれば、私とお喋りした次いでに鶏に手を伸ばす事が無いから。
 
すると今度は本当に私が鶏が必要で買いに行くと
それをタダでくれるようになってしまった。
 
 
 
困った。
 
 
 
4軒も鶏屋があるのだから
他の店に買いに行けば良いのだが
素晴らしく見渡しの良いその広場では
誰が何を買っているかなど一目でわかる。
 
 
行きつけのサイドの店に行かずに
他の店に買いに行ったら
彼はあまり気分は良くないだろう。
 
 
 
暫くしてイードと言う、犠牲祭がやって来た。
羊を各家庭1頭屠って食べ続ける。
この時期は鶏屋は完全に休暇に入り
牛肉屋は羊の持ち込み解体作業に精を出す。
 
 
その間は、サイドを見る事もなく時が過ぎた。
 
 
イードが明けて、サイドの店頭は
真っ赤にペンキを塗り直して綺麗になっていた。
 
 
久しぶりにサイドの店先まで行き
元気?お店綺麗になったね!と挨拶すると
鶏の羽をむしる機械も新しくしたんだ
と嬉しそうに言いながら、鶏に手が伸びている。
 
私はすかさず、今日は鶏は要らないから!
と言っても鶏を持って奥に行ってしまい
 
ビスミッラー と鶏の命を断つ前にお祈りし
首にナイフを入れた。
 
 
ダメだ、気楽に挨拶も出来ない。
私が挨拶に来れば鶏をくれようとする。
 
 
君が要らないなら、誰か必要な人にあげればいい。
 
と、サイドはまた温かな鶏をポンとくれた。
 
 
 
私はこうしてご近所の人々からの善意を受け取る時
これは昔から夫が彼等と築いてきた
固い絆のほんの上澄みを受け取っているのだと感じる。
 
その昔私がここに足を踏み入れた時は、ただの異邦人だった。
息子が交通事故に遭った事で
私は近所を車椅子を押してウロつくようになり
沢山の人と知り合い、皆家族のように扱ってくれるようになった。
 
 
それもこれも、全て夫とその家族が
彼らと良好な関係を築いてきたからこそ成り立つモノ。
 
まるで故郷に帰る感覚で
モロッコに帰れるようになって
心から嬉しく思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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