えー前回の保育園が私の思考にどう影響を及ぼしたか、につながるテーマですが。

 

我が子には少しでも賢くなって欲しい、そんな思いで始める幼児教育。親戚に勧められて、我が子は乳幼児期から幼児教育に行きました。

しかしそのときから我が子は凡人である片鱗を見せています。

そして数々の道を通り保育園に行き、私は以下の結論にたどり着きました↓

 

my結論:親がちゃんとしてれば意味ある 

  or 小学校受験するなら必須

 

 

この結論含め完全に私の持論ではありますが、よほど勘の良い子やスペック高い子(出たよ)出ない限り、幼児教育は親がちゃんとしてないならただのイベントだと私は思いました。

 

 

そしてもう一つの結論ですが、「早くできたからって、何?」というところもありました。

これは保育園に行きだして私がその思考に染まったからもあるでしょう。

 

幼児教育ではとても早い段階から字をなぞらせたり、絵をかかせたり、運動させたり色々できるように訓練が始まります。

楽しそうにやっているなら、まあアリですよね。できるようになることが増えるのをみているのは、親としても嬉しく誇らしい。

ですが、半年でポットン落としができる、1歳で線がかける、ケンケンが上手・・・ほっといても年長さんなら全員できるっちゅーねん!

 

そうなんですよ、月齢がいけば当たり前のようにできるようになるんですよ。それを数ヶ月早くできるように、うん万かけて幼児教室に行くのって、小学校受験をする人以外意味!なし!としか思えなくなっちゃったんですよ。

そのために休日午前つぶして、たまに駐車場が空いてないから下に路駐して急いで預けにいって、帰ってきたら黄色い紙がボンネットに貼られていて途方にくれるあの出来事。

帰ってきても別に繰り返し練習するわけでもない我が家には無用の長物。それが幼児教育でした。

 

もいちどいいますが、家でちゃんとフィードバックしているご家庭は別です。

それは能力向上と言う意味だけではなく、親がそれだけ教育熱心だということがのちのち反映される、ということです。

 

いずれ待っていてもできるようになるとはいえ、できることをその都度先取りして周りの月例の子たちよりワンステップ高いところで進んでいく。それがそのまま成功体験となり、先には中学受験、その先へというイベントに大きく役立つこともあると思います。できる子はできる子のままでいける、ということですね。

 

ただ、件の保育園に通うようになった私には、「できる子がそんなにいいの?」という、今考えるといいに決まってんじゃんと思える思想に、どこかストップをかけるモードになってました。「できる子もできない子も、ありのままで一番」「できない子、と言われる子も勉強という意味だけでなく違うところでの長所が必ずある」という思想で子供を見つめる教育に多分に影響を受けていました。なので、幼児期というある意味一番可愛い時期を純粋に楽しむ、という意味ではその保育園に行って本当によかったと思っています。

しかし長い眼で見ると、やはり中学受験とかも幼少期から訓練を受けてきた子とかの方がスムーズにいくしそもそも基礎ができているので、その時期のみを見るのではなく長い目で先々を考えた場合は、幼児教育を「真面目に」行うというのは意味があるのだろうと思います。

 

長くなったのでわけます。つづく