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私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。



2024/9/26


雨が降るのか、晴れるのか。






先日たまたま、泣き叫ぶ子供達をじっくりと問いただす素敵な教師の動画を見たばかりだった日のこと。大声で「Mio Mio〜」と叫ぶ子供に、その時行ったレストランで居合わせた。Mioとは、「私の(もの)」という意味。イタリア人の子あるあるで、何でもかんでも、「これ、私の!」と主張する。普通より少しばかり大きい声は、レストラン中響き渡るのだけれど、イタリアにおいては、子供と犬猫は、「神」も同然がゆえ、そのテーブルの大人たちは、口々に言う。「まあ、なんて可愛らしいの〜」。親は…というと、慌てて、「わ、わかった。わかった。静かにして。」と言うけれど、子供の耳には届かず。全く、効果なし。挙げ句の果てには、テーブルの上に置いてあったナイフやフォークで、テーブルを叩き出す。こんな子のことを、イタリアのこの辺りでは viziato (甘やかされた子)というのだけれど、まさに、そんな感じ。最終的に、困り果てた親たちの口から出るは、「シー」。「わぁ」と子供が叫ぶたび、「シー」という親。躾けが悪いのは、子供のせいじゃあない気がした。普段、あれだけよく動く口が、子供の躾となると、「シー」になっちゃうんだ…と思うと、逆におかしな気持ちになったけれど、笑い事ではないんだと思う。今日、ニュースを見ていたら、教師に暴力を振るう生徒に、罰金制度をもうけるとか、そんな話をしていた。子供にとっては、多分、痛くも痒くもないだろう。だってそれは多分、親が払う。まあ、親の責任ではあるのだけれど。子供の世界は無法地帯。中学生くらいの子達がドラッグを買っているのを、昨日見てしまった。なかなか難しい世界になっている。そんな気がした。









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