先週、俳優のロバート・レッドフォードの訃報を知り、久々に映画「追憶」(The way we were)を視聴した。初めてこの映画を観たのは20代の前半、オフィスの先輩たちの勧めでリバイバル作品を上映する映画館へ観に行った。その時は「よくわからない」というのが正直な感想だった。先輩たちが言うほどには面白く感じず、ちょっと拍子抜けだった。

 

それから10年以上が過ぎて再度観た時、じんわりと感動した。妻役のケイティ(バーバラ・ストライサンド)は信念・主張が強すぎて傲慢なところがあるけれど、ハベル(レッドフォード)に対しては健気で、愛おしい女性だった。

 

いちばん感慨深いのは、偶然に再会するラスト・シーン。繰り返し観た場面である。

 

何回か観ている映画なので内容は知っているが、今回初めて「ん?この英語どういう意味」と引っかかったものがあった。他の英語が全部聞き取れているわけではない。政治のことになるとほとんどお手上げだけれども、最初に日本語の字幕を観ているので、だいたいのことは理解しているつもりである。今回耳に入ってきた言葉は響きがキャッチーだったし、とても大事な場面だったので印象にのこった。(何故、今まで気づかない!)

 

“Willy-Nilly” 辞書で引いておおよその意味は理解できたが、この言葉をアメリカ人が頻繁に使っているのだろうかという疑問があった。

 

(意味:行き当たりばったりの、いや応なしの、好むと好まざるとに関わらない、有無を言わせない、などを意味する)

 

NYに住む友人にラインで尋ねると、彼女も聞いたことがないという。しばらくしてからその友人がアメリカ人の夫に教えてもらい連絡をくれた。それは古くから使われている言葉で、高齢の人たちはまだ使っている人もいるけど、若い人はあまり使わないとのこと。

 

この映画は1973年に制作され、時代背景は1937年からその後約20年間の物語である。

 

久々に観た映画、今までとは異なるシーンで感動したり、解釈の仕方が変わったり、年齢と共に自分の内面が変化していることに気づく。

 

作品は変わらずとも、自分が変わっているから感想も以前とは微妙に異なる。

また、何年か後に観たい。今度はどう解釈するのか、また新たにどこが気になるのか。

 

この映画は私自身の変化を確認するバロメーターのようなものである。