右翼も左翼も、自由民主主義や個人主義を否定する「全体主義」や「専制主義」という面では共通する、という議論は、戦後日本に於いては、特に左翼陣営から否定されて来ました。それはソ連を「人類初の社会主義国家」として「理想郷」視し、「ソ連を守ることは共産主義者の義務」と考えることからスタートしています。その思考の延長線上で、左翼陣営は、中華人民共和国や北朝鮮の国家体制も擁護してきたことに繋がっていたわけです。しかしフルシチョフが行ったスターリン批判がきっかけとなり、またアレクサンドル・ソルジェニーツィンの「収容所群島」(1970年ノーベル文学賞)など、次第にそのソ連の実態が西側諸国にも伝わり、その後の研究によっても、想像を絶する規模の大粛清(つまりは人民の大虐殺)がソ連で行われていたことが、今日ではかなり判明しています。同様の人民大虐殺は、毛沢東支配下の中国でも行われていました。

   ご参考:今までに一億人の人民を虐殺してきた共産主義圏の「成績」https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12721515476.html

   そして昨今は、現代のロシアを「専制主義」と捉える観点から、また冒頭の「ものの見方」が成立する情況が現出しています。さらに言えば、イスラム原理主義の考え方の強い、アフガニスタンのタリバン政権や、大統領選挙に注目が集まっているイランなどのイスラム教の国々の政治体制も、特に女性の権利や教育、政治参加などの公民権に関して、その宗教原理から来る男性優位の「専制主義的」な性格を持っています。

 ロシアでは、1989年のベルリンの壁崩壊以降、政変を経て共産党一党独裁が倒れてソ連が崩壊し、東欧の共産圏政権も次々と倒れて民主化されました。しかし、そのあとに出てきたロシアやベラルーシといった国の政権は、当初は自由民主主義化されるかと思われていましたが、結果的には強権的で専制的な政権が登場し、「社会主義国」ではないとしても、「自由民主主義国」とも言い難い「専制主義的国家」となりつつあります。しかもそのロシアは、隣国ウクライナに「特別軍事作戦」と称する軍事侵攻を行い、ベラルーシもロシアを支援する姿勢を維持しています。一方で北朝鮮からは武器の輸入をし、つい先日はロシア・北朝鮮間の軍事同盟関係が改めて強化されました。その北朝鮮は、国連決議に違反する核武装強化を鋭意進めており、ロシアはその軍事技術支援も恐らく行っていると推測されます。また北朝鮮の一般国民が置かれている過酷な人権情況については、国連からも指摘されていますが、一向に改善される様子は窺えず、安保理常任理事国のロシアと中国は、基本的にこの北朝鮮の体制を擁護するスタンスを示してきています。

 また中華人民共和国は、台湾の中華民国を、軍事侵攻してでも「武力統一」するという姿勢を強めています。そして「一国二制度、五十年間の自由民主主義体制維持」の約束を反故にして、1997年の返還後僅か23年後の2020年6月末には「香港国家安全維持法」を成立させ、一層の政治支配を強めています。その他にも南沙諸島ではフィリピンやベトナムの領有権を侵して人工島を造成し、周囲の公海海域まで中国の領有権を主張し、さらにはわが国固有の領土たる尖閣諸島を、一方的なこじつけによって自国の領土であると主張し、長期連続して中国政府公船や中国海軍艦艇を派遣し、わが国領海との接続海域を侵犯する行為を繰り返しています。しかもこの(2024年)7月3日に開催された中・ロ首脳会談では「ロシアと中国の関係は歴史上最高」と評価しています。

 こうした国々の政府の姿勢を眺めていると、「中・ロ・北」はもはや「共産主義圏」という括り方はできないとしても、「専制主義圏」として認識されるべき共通性を有していると言えるのではないでしょうか。こうした客観的国際情勢の理解さえも、左翼陣営の方々は全否定されるのでしょうか。もしそうであるならば、その根拠は一体何なのでしょうか。「科学的」であることを標榜されるのであれば、ぜひ「論理整合的」にご説明を戴き度いと存じます。

 このような現代世界やその中に置かれた日本の情況にも、実は第二次世界大戦前後の国内外情勢や、そこで為されていた様々な政略・戦略・謀略の影響の残滓が、繋がっていると考えられるのです。ですから、今から約80年前のことは、決して「そんなに古いこと」ではなく、「現在を形成する構造や性質」が、この時代には読み取れる要素をたくさん含んでいるのです。

 そもそも左翼的立場の方々は、「企画院事件」を「拷問・捏造・弾圧の冤罪事件」として全否定する観点からの見方しかしないように感じられます。しかし、確かに「企画院事件」は複雑な入り組んだ性格を持ってはいますが、それは「短絡的な左翼対右翼という対立関係」で無理に解釈しようとするから「複雑に見える」のであって、むしろ同事件を「As it is (あるがまま)」に眺め、論理整合的かつ冷静に捉えるならば、そこには、左翼陣営が否定しようとしてきた「右翼的な国家社会主義(ファシズム)」と「左翼的な共産主義(コミュニズム)」の「共通性・同質性」を見出すことにより、その矛盾は解けるのです。その矛盾を止揚するものは「全体主義・専制主義」という観点での「共通性・同質性」なのです。

 「企画院事件」を「近衛政権に入り込んだ共産主義者」或いは「帝國陸軍に入り込んだ共産主義者」の「陰謀」であるというような「安直な括り方と表現」で捉えようとすると、「そんな馬鹿げたこと」というような皮相的否定や、これも「陰謀論」の一種だとして、まともな議論から「門前払い」をされてしまうことに繋がります。それも共産主義者的戦術の一つの疑いが濃厚です。つまりは「臭いものには蓋」ということなのですが、しかし「火のない所に煙は立たない」ともいうのです。

 ここで重要なのは、「共産主義者」の定義です。以前、本シリーズ第(87)回でご説明したことですが、要は「思想的・理論的にはマルクス主義を信奉」していても、「天皇制を否定しない」ことが警察・検察によって確認された人物であれば、それは「転向者」と見做され、しかも東大、京大をはじめ優秀な旧制大学・旧制高校出身の逮捕者が多かったことから、取り締まった側の司法省や検察・警察幹部にもその先輩が多かったことも恐らくは作用して、「天皇制さえ護持するのであれば問題なし」という判定により、釈放後むしろ積極的に官公庁への就職さえ支援したのです。〔 https://ameblo.jp/yukohwa/entry-12854598120.html

 その部分を、おさらいとして三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略**―戦争と共産主義―』(昭和62(1987)年自由社刊自由選書版)から見ておきましょう。

・・・所謂転向者の役割――ここでもう一つ問題とすべきものに転向者の果した役割がある。昭和6年(*1931年)頃から一度検挙された共産党関係者で、所謂、その思想の転向者と見られる人物については、司法省に於ても、或は警視庁の特高部(*思想取締)に於ても熱心に就職の斡旋をしたものである。そして、それらの連中は、官庁関係では嘱託名義で、調査部、研究室に就職し、民間の調査研究団体にも多数の転向者が就職していた筈である。更に又、軍部にも同様にその調査事務には相当数の転向者が入っていた。そこで問題となるのは、この転向者の思想傾向であるが、司法省、内務省で転向者として扱ったその所謂「転向」の判定は天皇制の問題に重点がおかれており、天皇制否定の主張を訂正したものは転向者とみたのである。従って転向者の大部分が、実はその頭の中はマルクス主義であり、亦彼等は、所謂秀才型が多く、進歩的分子を以て自認し、此等の人々が戦時国策の名に於てなした役割は軽視すべからざるものがある。・・・(**前掲書136頁より)  

 このように、頭の中の理論構造は「マルクス主義」を保ったまま、どこまで本心かは別としても、「踏み絵」を踏んで「天皇制を否定しない」と検事に誓約した者は「転向者」として処遇され、上記のような就職斡旋まで受けたのです。そしてその彼らが、企画院の主要スタッフとなり、「天皇制」のもとで、実質的には「社会主義的経済体制」を打ち立てようとしたことが、何よりその企画院作成による「新経済体制確立要綱」の他ならぬ内容から読み取れるのです。

   そこでは、前回の末尾に記述した通り、表面的には一応「民営」「企業担当者の創意と責任」「自主的経営」を謳ってはいるものの、その内実は政府による「指導統制」による「國家管理」「國家計画経済」であることがわかります。そしてこの「國家管理の手法」は具体的には「経済団体(業界団体)」の整備とこれに対する政府の「指導監督」によるものなのです。

 そのことを確認する意味で、ここからは『國防國家の綱領***』企画院研究会著 (昭和16年11月17日第一版発行、新紀元社刊)に記載されている上記「経済新体制確立要綱」の本文を読みたいと存じます。(*裕鴻註記。尚、旧字体旧仮名遣い片仮名文等の表記は部分的に現代文化。但し当時の國家を示す意味で旧字の「國」を用いた。)

・・・Ⅳ 経済新体制確立要綱((昭和15年(*1940年)12月7日閣議決定)

 (一)基本方針

 日満支(*華)を一環とし、大東亜を包含して自給自足の共栄圏における資源に基づきて國防経済の自主性を確保し、官民協力のもとに重要産業を中心として綜合計画経済を遂行し、もって時局の緊急に対処し、國防國家体制の完成に資し、よって軍備の充実、国民生活の安定、国民経済の恒久的繁栄を図らんとす。

 しかして、これがためには(一)企業体制を確立し資本、経営、労務の有機的一体たる企業をして國家綜合計画のもとに國民経済の構成部分として企業担当者の創意と責任において自主的経営に任ぜしめ、その最高能率の発揮によりて生産力を増強せしめ、(二)公益優先、職分奉公の趣旨に従って國民経済を指導するとともに、経済団体の編成により國民経済をして有機的一体として國家総力を発揮し高度國防の國家目的を達成せしむるを要す。

 本要綱の実施に当たりては、現下の時局に鑑み、その緊急なるものに重点を置き、必要に応じ逐次これを実施するものとし、生産力の低下、配給の不円滑を生ずることなく民心の不安を来すことなきを期す。なお、本体制の整備に即応して関係行政機構およびその事務の再編成を行う。

 (二)企業体制 

 企業体制を確立し各個の企業をして國家目的に従いその創意と責任においてこれを経営せしめ、生産の確保増強を期す。

 一、企業は民営を本位とし国営および国策会社による経営は特別の必要ある場合に限る。

 二、企業はその性質により一定の基準に従いこれが設立等につき必要に応じ制限を加う。

 三、企業はその性質により一定の基準に従い生産計画ならびに技術的見地より見てこれを分離結合せしむることを得。

 四、中小企業はこれを維持育成す、但しその維持困難なる場合においては自主的に整理統合せしめ、かつその円滑なる転移を助成す。

 五、企業は國家的生産増強に寄与せしめ、またその恒久的発展を遂げしむるため適当なる指導統制を加う。

 イ、主要物資の価格を公定するに当たりては、中庸生産費を基礎とし、適正なる利潤を計上す。

   ロ、國民経済の秩序維持に障害ある投機的利潤および独占的利潤の発生を防止するとともに、適正なる企業利潤を認め、とくに國家生産の増強に寄与したる者に対してはその利潤の増加を認む。

   ハ、企業利益の分配に当たりては、適当なる制限を加うるも、その超過部分は公債その他をもって留保し、一定条件に従い一定期間後において処分するの途を拓く。

   ニ、発明発見により國家生産の増強に寄与したる者に対しては、特別なる報奨の途を講ず。

   ホ、技術はこれを公開するの途を拓き、その優秀なるものに対しては、適当の報奨を与え、もってその進歩を促進す。

   ヘ、企業の設備更新を容易ならしめ、その他企業の基礎を強固ならしむるため償却を強化す。

   ト、企業の國家的生産増強に対する寄与に応じ重点的にその拡充発展を助成す

 六、農業水産業経営の企業体制については別途これを考慮す。

 (三)経済団体

一、経済団体組織

 イ、重要産業部門については、企業および組合を単位とし、同一業種に属する業者、または同一物資に関する業者を、網羅する業種別または物資別経済団体を組織す。その基本条件左の如し。

    (1) 経済団体はこれを特殊法人とす。

    (2) 経済団体は業者の推薦に基づき、政府の認可する理事者指導のもとにこれを運営す。

   ロ、その他の産業は、前項に準じ、業種別または地域別系統団体に組織す。

   ハ、外地の企業は、外地各地域において前各項に準じ、それぞれ経済団体を組織す。但し、内地との一元的統制をとくに必要とするものについては、全國的統制につき、適当なる措置を講ず。

   ニ、経済団体を組織するにつき、とくに留意すべき事項左の如し。

    (1) 経済団体の編成に当たりては、重要なるものより、逐次必要の順序によりこれを組織す。

    (2) 軍事上とくに必要ある企業については別途これを考慮す。

    (3) 全産業を統轄する最高経済団体は、必要ありと認めたるときにおいて、これを設置す。

二、経済団体の職能

   イ、重要産業経済団体の職能左の如し

  (1) 政府の協力機関として重要政策の立案に対し、政府に協力するとともに、実施計画の立案およびその計画実行の責に任じ、かつ必要ある場合においては、政府に意見を具申す。

    (2) 前項の計画実行につき、下部経済団体および所属企業の指導に任ず。

    (3) 必要に応じ、生産、配給等、経営の実際調査をなすとともに、生産品の品質規格の検査の衝に当たり、下部経済団体を監督す。

    (4) 共同計算その他の方法により、犠牲事業等に対し、共助の実を挙げ、産業の発展に資す。

   ロ、その他の団体の職能も概ね右に準ず。

三、政府の監督および大政翼賛会との関係

   イ、政府は経済団体を指導監督す。経済団体の整備に伴い、その運営はこれを出来得るかぎり自主的ならしめ、指導監督は大綱に止む。

   ロ、政府は経済団体の組成発達を図るため、大政翼賛会と協力す。

四、農林水産業に関する経済団体については、別途これを考慮す。

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・・・(***同上書53~55頁)

 同上書***では、この「経済新体制確立要綱」原文に引き続き、著者たる企画院研究会による同要綱の解説が記載されていますが、その中から順不同で少し拾遺・抜粋をしてみましょう。

・・・企業は、綜合計画経済の構成分子であり、部分責任者である。したがって、国家の綜合計画の見地から、必要がある場合は個々の企業に対し設立を制限したり、分離したり、結合したりするのは、当然のことである。また、そうするだけの権限がなければ、綜合計画経済の遂行は困難である。

   (*経済新体制確立)要綱は「企業はその性質により一定の基準に従いこれが設立等につき必要に応じ制限を加う」また「企業はその性質により一定の基準に従い生産計画ならびに技術的見地より見てこれを分離結合せしむることを得」と規定している。改正された国家総動員法第十六条は、それに法的背景を与え「政府は戦時に際し国家総動員上必要あるときは勅令の定むるところにより事業の開始、委託、共同経営、譲渡、廃止もしくは休止または法人の目的変更、合併もしくは解散に関し必要なる命令をなすことを得」と規定している。

 計画経済においては、自由経済におけるがごとき「企業の自由」は許されないのである。

・・・(***同上書66~67頁)

・・・自由経済における利潤と計画経済における利潤とは、その性格を異にする。自由経済においては自由価格から生産費を差引いたものが、利潤となって発生するのであるが、計画経済においては、企業に対する「報酬」として利潤が認められ計上されるのである。これを公式としてみれば、

自由経済においては、〔価格-生産費=利潤〕であり、

計画経済においては、〔生産費+利潤=価格〕となる。

 利潤はあとから発生するものでなく、企業に対する「報酬」として、はじめから計上されるものであるとの考え方は、すでに公定価格制度における「価格形成」という方式において実践されているが、計画経済においても利潤は「報酬」として取扱わるべきものである。同時に、報酬である以上、一般に適正な利潤が認められたうえ、とくに國家生産の増強に寄与するところがあれば、利潤(報酬)の増加が認められるべきである。(*中略)

   要綱は、つぎに「企業利益の分配に当たりては、適当なる制限を加うるも、その超過部分は公債その他をもって留保し、一定条件に従い一定期間後において処分するの途を拓く」と規定している。企業利益の分配に制限をくわえることは、すでに経理統制令によって一部分実施されつつあるが、ここに分配とは株式配当、賞与、拡大再生産資金などへの分配と見るべきである。無制限なる株式配当を制限し、國家的生産増強に貢献した経営者や労務者に対する報奨や厚生施設費(いづれも「賞与」に含まれる)や拡大再生産資金を厚くするのがその趣旨である。(*つまりは社会主義的経済構造。)

・・・(***同上書68~69頁)

・・・経済団体は、重要物資別または業種別に、所属の業者を網羅して組織されるのである。経済団体の組織は、鉄鋼統制会がすでに結成されたのを手はじめに、重要物資について、つぎつぎに設立をみようとしている。基準法たる勅令「産業団体令」(国家総動員法に基づく)も公布実施された。(*中略)

 かえりみれば(*日華)事変以来、統制は強化の一途をたどって来た。事変の急に応じて軍需を充足し、生産力を拡充するためには、従来の自由主義経済に対して、外部から制圧を加えなければならなかった。それは、法律の力を背景とした官僚によって行うよりほか途はなかった。事変の進展とともに、統制の範囲は、次第に拡げられて行った。(*中略)いまや統制経済も一段階に達し、東亜共栄圏を枠として自主的な國防経済を確立するため、綜合計画経済に移行せんとするに当って、従来とぢ込められていた民間の知識、経験、創意に対して、動員の呼び声がかけられたのである。(*中略)しかし、民間も、昔のままの民間ではない。また昔のままの民間であってはならぬ。すべてみな、國家目的の線に沿い、一団となって計画経済を遂行せんとの公共的存在でなければならぬ。それでなくては官僚も席は譲れない。(*後略)

 ここに重要なことは「理事者指導のもとにこれを運営す」ということである。これはいわゆる指導者原理による運営を意味する。業者が信頼する一人の理事者(指導者)を推薦し、政府もこの人ならばすべてを託するに足るとして認可すれば、その理事者は、上からの指図とか、役員会議とかに拘束されることなしに、その創意と責任において、おもう存分の腕を発揮することができる。これが指導者原理による運営の方法であって、新事態に相応し、自由主義的な多数決主義または会議主義では得られない高度の統制力によって、テキパキと事を運ぶ新しい方法である。(*つまりは独裁者的運営のこと。)

 (*中略)さて、それならば、経済団体は、どんな職能を与えられているか。第一に挙げられているのは、政府に対する協力という職能である。綜合計画経済は、政府おいて大綱を決定し、あとは民間に委ねるというのが建前であるが、政府の重要政策に対しても、民間は、これに協力し、必要に応じて参画する。こうすることによって、やがて民間の責任において実施さるべき政策に、あらかじめ民間の知識、経験、創意が注入されるのである。(*後略)

 つぎは、経営協同体としての(*経済団体の)職能である。「所属企業の指導に任」じ「生産、配給等経営の実績調査をなす」というのは、指導者原理のもとに活動する経営協同体としての経済団体に強力な権限を付与したものである。単位企業(*各個別企業)の内部まで入り込み、その経営の実績を調査し、指導し得て、はじめて従来の経済団体と異なる経営協同体としての公共的活動ができるからである。(*後略)

・・・(***同上書71~75頁より適宜部分抜粋)

 以上をよく読むと、結局は、國家・政府が「経済団体」に各業種別または各地域別の企業を所属させ、その「経済団体」は政府が認定した「理事者」の独裁的な統制・運営を通じて各個別企業の内部まで入り込み、生産・配給・価格統制・利潤決定・労働者給与賞与の決定・余剰利潤による公債(戦時国債など)買取りなどで、実質的には私企業を公営企業化(それが公益優先の意味)を図ろうとしていることが、わかります。つまり政府が、経済団体を介して、全ての企業を系列化して指導・監督するという國家経済体制です。

 結果的に、そこに現出するのは、共産党一党独裁下における国営企業群による国家計画経済体制に極めて近似しているのです。次回はこれに連接する陸軍統制派の考え方をトレースしたいと存じます。