前々回(45)にてご紹介した昭和天皇のお手紙にあった「軍人が跋扈して大局を考えず、進むを知って退くことを知らなかった」というお言葉を受け止め、果たして開戦直前の統帥部はこの「大局」をどう観ていたのかを今回は探りたいと思います。そのため、本シリーズ(27)~(31)で取り上げた陸軍の作戦中枢である参謀本部作戦部作戦課参謀であった俊秀、高山信武(たかやましのぶ)元陸軍大佐(陸士39期、陸大47期首席、戦後陸将)の著書「服部卓四郎と辻政信―先制主導コンビの実相」(芙蓉書房、1980年刊)から、対米英蘭と開戦する直前の陸軍中枢の「大局観」について記述された部分を見てみたいと思います。(*裕鴻註記)


・・・「南方作戦の見通しに関する奉答資料」

(*昭和16(1941)年)十月の初め、筆者(*当時の高山陸軍少佐)は服部(*卓四郎、作戦部作戦)課長から招致された。

 (*服部)「今や対米英戦争は必至である。しかし、これが決断は、政府としても大本営(*統帥部)としても重大な問題である。米英と戦って勝算ありや否やは、誰しもがまず考えることである。そこで陸海軍の両総長(*参謀総長と軍令部総長)から、対米英戦争の作戦的見通しについて、近く奏上することになった。そこでその案文を君に書いてもらいたいのだ」

(*高山)「私の主任務は一応対支(*中華民国)作戦でありますし、それに対米英作戦については必勝の確信がありません。本件については課長にもしばしば申し上げ、お叱りを受けたこともありました。誰か確信のある南方作戦担当者にご指命された方がよいのではないでしょうか」

(*服部)「君とはしばしば議論もしたし、君の意見は十分承知しているつもりだ。君は山下(*奉文)視察団員として、欧洲方面の情勢にも通暁している。(*本シリーズ(29)ご参照) 対米英戦争ともなれば、欧洲の戦局と不可分の関係にある。そこで極東だけの情勢にとらわれず、広い視野から見通す必要がある。田中(*新一)作戦部長とも相談した結果、君にお願いすることにしたのだ」

(*高山)「ご命令とあればお引受け致しますが、果たしてご満足いただけるような結論が得られるかどうか……」

(*服部)「というと?」

(*高山)「開戦に決断するための見通しという前提であると、必勝の確算ありとすべきでしょうが、私の現在の心境では到底そのような結論は求められません。かといって勝利の見通し皆無ということでもありません。その辺の表現は、今後国力、戦力等の細部を検討し、とくに海軍の制海、制空権確保の見通し等とも関連し、十分研究をつめる必要があると思います」

(*服部)「その通りだ。しっかり研究し給え。ただ帝国国策遂行要領に示すように、日本政府としても対米英戦争決意の下に目下戦争準備を遂行中だ。外交交渉の見通しはまず成功の見込みはあるまい。このことを念頭において起案することだな」

(*高山)「ハイ、仰しゃる通りだと思います。(*海軍)軍令部や陸軍省、企画院等とも密に連絡し、広い視野から検討致します」

 服部の胸中は痛い程判った。今や対米英開戦以外に日本の進むべき道はない。しかし政府大官としては、戦争の見通しが暗ければ決断のしようがない。しかも決断の時機は(*昭和16年)十月上旬頃と迫られている。油の関係(*米の対日禁輸)等を考えれば、一日の遷延も許されない。なんとしても早急に決断を望むのである。それがためには“対米英戦争に勝算あり”とか“不安なし”等の表現を求めたいのであろう。

 筆者(*高山陸軍少佐)は大いに責任を感じ、まず(*海軍)軍令部作戦課に連絡し、海軍作戦の見通しをきくことにした。軍令部は初期作戦には自信あり、戦争第三年頃以降は不明なりという正直な解答を寄せた。陸軍省や企画院方面では、飛行機、戦車その他軍需品等の生産量は、陸海軍の徴用船舶量と、南方物資の還送量等を勘案し各種の案を提示した。もちろん作戦の推移により大きく影響をうけることも当然である。見通しは初期の作戦と、数年に亙る見通しとに区分して記述することとした。

 初期作戦の見通しについては、(*陸軍)参謀本部作戦課内において、あるいは(*海軍)軍令部作戦課と協力してしばしば図上研究等を実施したので、大体においてその成果を利用することとした。

 数年に亙る見通しについては、初期作戦によって占領した南方要域を確保し、南方資源を導入して国力、戦力を培養しつつ持久態勢を確立し、不敗態勢を完整する、この間反攻し来る米英軍を随処に撃滅して、その戦力の消耗と戦意の喪失をはかることとして、素案を作製した。初期作戦終末期以降について、服部は特に関心を示した。

(*服部)「初期作戦の終末、換言すれば戦略持久態勢確立時の最前線(主防御陣地線)をいかに考えるか」

(*高山)「大東亜共栄圏の安全を保持し、本土と南方要域との交通を確保するため、敵の反撃に備えて戦略上重要な地域を包含しなければなりません。対英正面においてはビルマ西域、対濠(*オーストラリア)正面においてはニューギニア東西の線、対米正面においてはマーシャル、カロリン、ビスマルク諸島、ソロモン群島等であります。とくに海洋島嶼方面については海軍の協力に期待しなければなりませんが、少くも重要方面においては陸上航空基地の設定により、陸海空協力一体化のもとに、不敗の態勢を確立しなければなりません。

 対東方防衛の第一線を南鳥島…ウェーク…マーシャルの線とするか、小笠原…マリアナ…トラック…カロリン群島の線とするかは、海洋作戦の特性と、守備部隊への補給、増援等を考えなければなりません。

 海軍としては作戦軍の懐(ふところ)を大きくする意味で、なるべく最前線を希望すると思いますが、陸軍としては守備部隊の補給、運用等の関係上、過度に進出分散するのは一考を要すると思います。本件につきましては、概ね初期作戦終了後、現地に即して十分に検討協議しなければなりません」

(*服部)「そこで対米作戦構想は、長期持久作戦であることには異論はないが、徒らに防勢のみに堕せず、機をみて積極攻勢作戦に転じ敵の戦力を撃滅し、あるいは敵の戦意を破摧する方策も考えねばいかんな」

(*高山)「ハイ、初期作戦の成果いかん、とくに海軍作戦の推移に影響されるところ大であると思います。常識的に判断して、米本土を直接攻略する手段が見当たらないところに、対米決戦の決めてがない所以(*ゆえん)と存じます。したがってご指摘の積極的攻勢作戦とは、西部太平洋に所在し、あるいは将来出現を予想される米軍作戦根拠を攻略することを意味されるかと思いますが……」

(*服部)「いろいろな場合が考えられると思う。これは私の希望的構想に止まるかとは思うがわが海軍が概ね西太平洋の制海制空権を握れば、あるいはミッドウェーとか、濠洲の一角を攻略することも可能であろうし、情勢最も有利な場合にはハワイの攻略占領も夢ではないかもしれない。またアリューシャン群島の要域を占領して、北方から米国を威嚇し、あるいは米ソの遮断を策することも考えられる。

 大局としては君のいうように、初期作戦の成果による防衛圏を確保し、反攻し来る敵を随所に撃滅する方策をとるべきであろうが、積極方策も一応脳裏におくべしということだ。但し、これも欧洲の戦局の影響もあるので、初期作戦と異り、今から直ちに計画的に実行するわけにはゆくまい」

(*高山)「ハイ、独ソ戦の推移いかんによっては、南方初期作戦一段落後、明春以降再び満洲から北進(*対ソ開戦)ということも考えられるわけですね。したがって只今課長のご指示の作戦は、初期作戦の状況並びに欧洲戦線の推移と睨み合わせ、今後作戦課で研究を続けることとして、今次の作戦的見通しには、あるいは具体的に明示することはできないかも判りません」

(*服部)「独ソ戦については、日本軍はヒットラーの要請に応えられなかったが、ドイツ軍の健闘に期待したい。来年好機があればもちろん北攻を決断するが、独ソ戦が長期戦になる場合も一応念頭におかねばならない。そうなると日米戦も当然長期となるし、日本としては支那事変の早期解決と、英国の崩壊をはかり、米国を孤立化せしめるよう考えねばならぬ」

(*高山)「仰しゃる通りだと思います。独ソ戦も、さいきんの情報によると、ドイツ軍の進撃が目覚ましく、今やドイツ大軍団はモスクワ周辺に進出しつつある模様であります。ドイツ軍の活躍を期待してやみません。ソ連が脱落すれば、ドイツは続いて対英作戦に全力を傾注するでありましょうし、英米の主力は欧洲に牽制されるでしょう。そうすれば日本軍の作戦は極めて順調に推移すると思われます。そして(*服部)課長の仰しゃられる積極攻勢案も、あるいは可能になろうかと存じます

 このように考えてみますと、差し当り現時点における数年に亙る見通しとしては“初期作戦により占領した南方要域を確保し、南方物資を導入して国力、戦力を培養しつつ、反攻し来る米英軍を撃滅して長期戦を完遂する。この間欧洲情勢の推移と相俟ち戦争目的の達成を図る”といったような表現になるのでしょうか……」

(*服部)「だいたいそういった趣旨だろうが、他の班長諸君や、(*田中新一作戦)部長等上司のご意向も伺って、検討し給え」・・・(前掲書83~87頁より)


 この服部卓四郎陸軍作戦課長と高山信武作戦課参謀の対話で興味深いことのひとつは、服部課長が開戦前の昭和16(1941)年10月初めの時点で、「ミッドウェーの攻略や、将来的なハワイ攻略占領」にも言及している事実です。従来「ミッドウェー攻略」は大本営海軍部の反対を連合艦隊司令部が押し切って実施させたという風に巷間伝えられていますが、陸軍の作戦中枢である作戦課長にもこうした「ミッドウェー攻略」の構想が開戦前すでにあったという事は、無視しえないところです。しかもよく海軍(特に井上成美第四艦隊長官)が勝手に展開したように言われることの多い「ソロモン群島(ガダルカナルを含む)」が戦略持久態勢確立時の最前線(主防御陣地線)として当初より陸軍作戦課の構想に含まれていることにも注目が必要です。海軍側の富岡定俊軍令部作戦課長が強く主張した濠洲一部攻略や米濠遮断のためのFS作戦(フィージー・サモア攻略)などの構想も、海軍単独ではなく、陸軍作戦課長の「濠洲の一角を攻略」すること、更には「アリューシャン群島の要域を占領して、北方から米国を威嚇し、あるいは米ソの遮断を策する」ことも言及されており、こうしたことからすれば、陸軍の作戦中枢部においても、こうした構想が共有されていたことがわかります。

 さて引き続きもう少しこの高山信武元陸軍大佐の著述を見てゆきましょう。


・・・作戦の遂行と、国力戦力の培養には競合する場合が少くなかった。陸海軍の作戦部門においては、なるべく大量の輸送船を徴用保有して、部隊の運用に支障なからしめようとするし、政府としては軍徴用船はなるべく制限して、南方物資の導入と、国力戦力の培養に資せしめるようとするのである。初期作戦一段落後は一部の軍徴用船を解傭して、持久態勢に入るという全般構想は、右趣旨にも即応するものであった。しかし純作戦的観点からみれば、当然異論の存するところである。

筆者(*高山少佐)は陸軍省、企画院等の物動(物資動員計画)関係者とも諮り、船舶保有量と軍需品生産量との関係等を詳細に亙り検討を加えた。そして飛行機、戦車、地上弾薬、爆弾、液体燃料(航空機、自動車等)、船腹等の生産見通しを作製し、長期戦遂行の資料とした。その結果次のような案文を起草した。

対米英蘭戦争における作戦的見通し

  • 作戦初期の見通しに就て

英米等の極東におきまする主要軍事根拠に対しましては、逐次之を攻略し、概ね百日余を以て之を覆滅し得、又概ね五ヶ月をもちまして、所期する南方要域の大部の占拠が可能であると判断致します。但し之がためには、開戦の時期はなるべく速かなるを要します。

  • 数年に亙る作戦的見通し

戦争第二年頃におきましては、物的戦力につきまして相当の困難を伴いまするが、軍民一致の努力によりまして、逐次持久戦態勢を確立し、戦争的にも、作戦的にも、不敗の態勢を確立することができるものと信じます。

(以下細項略、芙蓉書房発行『参謀本部作戦課』参照:*原注)

 右案文を井本(*熊男中佐、陸士37期、陸大46期のち陸軍大佐、戦後陸将)南方班長、高瀬(*啓治中佐、陸士38期、陸大48期首席のち陸軍大佐)北方班長の閲覧を経て、服部課長に提出した。服部は数年に亙る見通しに対し、とくに大きな関心を示した。

(*服部)「数年に亙る見通しにおいて、とくに物的戦力の見通しを重視しているが理由は如何?」

(*高山)「国力と物的戦力に勝る米英を相手として大持久作戦を完遂するためには、まずわが方の国力、戦力の維持培養をはからなければなりません。物資に乏しいわが国が、待望の南方資源地域を入手して、いかなる戦力を維持し、発揮し得るかを洞察する必要があります。検討の結果は詳細記述した通り、飛行機、戦車等の兵器はじめ、爆弾、弾薬、燃料等、作戦の遂行に概ね支障なき旨結論を得た次第であります。もちろん、これらは当時の作戦の状況に影響されることも大きいのでありますが、特別の事態が発生しない限り、南方物資の導入により、長期大持久作戦の遂行には概ね支障ないものと判断致します」

(*服部)「初期作戦の推移如何によっては、私が前にいったように初期の既定計画作戦の外に、例えばミッドウェー作戦とか、その他の積極作戦を引続き実施する可能性もなしとしない。また長期持久作戦間、機をみて攻勢作戦を発動し、敵戦力の撃滅とその戦意の破摧を策することもあり得ると思うがどうか」

(*高山)「ご指摘の件に関しましては、先般のご指示とも関連し一応検討したのでありますが、一応現在準備しつつある兵力や船腹量等をもってしては、初期作戦に引き続き相当規模の積極作戦を遂行することは過望かと存ぜられます。(*中略) したがって作戦方針としては、まず必要な要域を占領確保して長期不敗の態勢を確立することを第一義とし、その後の積極作戦については当時の情勢によるべきではないでしょうか。とくに明春以降の対ソ攻勢を考えますと、過度に南方に深入りすることはいかがかとも思われます。また支那(*ママ)に対しては概ね現作戦を継続しますが、南方作戦の発動により米英等の援蒋ルートを概ね遮断し得ますので、南方作戦との一環において蔣政権の屈服を期し得るかと思います」

(*服部)「私がいいたいのは、米本土への直接攻撃の手段はないとしても、いかにして敵戦力を破砕し、敵の戦意を喪失せしむべきかを真剣に考えよということだ。君のいうように速やかに本防御線を確立し、陸海空統合戦力を発揮して、反攻し来る敵を迎撃破砕するのが本則ではあるが、徒らに防勢のみに堕することなく、時として好機を作為捕捉して積極的に敵を撃滅することも考えるべきだ」

(*高山)「ハイ、判りました。(*作戦)課内でさらに検討することに致します」

 同様趣旨のことは田中(*新一)作戦部長の口からも強く指示された。作戦を担当する責任部課長としては、主敵米軍に対し徒らに防勢的に対処するだけでは、戦争の終末を求めるため物足りなかったのではあるまいか。しかし各般に亙る計画と準備は、未だ次期攻勢計画を具体化するに至らず、まして上奏するほどの腹案にも達していなかった。筆者(*高山少佐)は右の事情を具して服部に進言した。

(*高山)「次期作戦計画は初期作戦の成果如何、とくに海軍の戦勢に影響されること大であり、充用すべき兵団や船腹の準備も見通しがつきません。また、初期作戦一段落頃は、北方(*対ソ開戦)への準備も考えなければならぬと思います。したがって現時点(*昭和16年10月)において次期攻勢計画の策定は無理かと存じます。差し当り、南方作戦に関しては、南方資源要域ならびに本土と南方との交通に必要な地域を安定確保して、長期不敗の態勢を堅持することを第一義としてはいかがでございましょうか。その後の作戦は当時の戦況により、あるいは対米決戦攻勢に、あるいは日独協力しての対ソ攻勢に、時として英国の脱落を企図してインド作戦を企図する等、柔軟に考えたらいかがでございましょうか」

服部課長も了承して捺印された。そして、

(*服部)「なにか次期積極攻勢作戦を香(*にお)わすような表現をとも考えたが、却て誤解をうむ恐れもあるので止めておこう」と呟かれた、服部の気持は筆者にも十分諒解ができた。・・・(前掲書87~91頁)

こうして「対米英蘭戦争の作戦的見通し」は起案されたのです。(今回はここまで)