HSS型HSPの日常・二面性に由来する腹黒さへの苦悩と自罰行動

 

  

  

  前回は、

  ここ最近の出来事から

  私が学んだことを

  HSS型HSPの視点での気づきの

  総括をお話しします。

 

  内容は、

  HSSH型HSPは

  自分に都合の悪いこと(記憶含む)には

  自分を守る無意識の働きで

  目を逸らすこと、

  自分に向き合うことは

  大切だが、

  それにはタイミングがあること

  ことなどについてです。

 

 

   世界観episode98~自分に向き合うタイミングの大切さ(epi92-97の総括)

  

   

 

  今回も引き続き、

  HSS型HSPの

  日常の中で

  よくあること・

  よく感じることについてのうち、

  二面性を持つことへの苦悩と

  人を傷つけたり失敗する(過ちを犯す)

  ことを許すことができず自分を責める

  ことなどをお話しします。

 

 

   HSS型HSPは、

  「人好きのする人」を演じながら

  自分の二面性と

  腹黒さに苦悩する
  リアル「ジキルとハイド」

  つまり、

  皆のためなら

  自己犠牲を厭わぬ

  「慈愛深さ」と

  情を挟まず物事を見る

  「冷酷さ」を併せ持ち、

  そんな自分を腹黒いと思い、

  密かに後ろめたさを感じて

  悩む愛すべきヒトビト。

  平和主義で

  普段は

  周りと無駄な摩擦を起こさぬよう、

  そして不必要に踏み込まれぬよう

  「人当たり良く感じの良い、

   明るく優しい人」を演じている。

  基本は思いやりがあり、

  自分を後回しにするのが常の

  「超気遣いの人」。
 

  でも同時に、

  無駄を嫌い本質を冷徹に見抜き、

  私情抜きで

  最適解を考える合理主義者でもある。

  そして、

  繊細さと道徳心から

  ドン引きされることを恐れ、

  ブラックな部分はきっちり隠す。
 

  極親しい信頼する相手にだけは、

  その一部を見せるが、

  それでも、

  本音の奥底にある
  「腹黒い部分」まで

  曝け出すことはない。

  でも、余裕がなくなると

  普段の鉄壁

  「対外交用仮面」が剥がれ、

  そこから腹黒い部分を

  露呈させてしまうことがある。
 

  自分でも抑えが効かず、

  うっかり出した瞬間

  「しまった…」と思い、

  後から一人反省会を開き、

  脳内の可愛くない小人達に

  散々断罪され、

  落ち込んでしまう。

  でも安心して。
  そんな時は、

  アレグザンダー・ポープの

  この格言を思い出せば良き。
 

  「過つは人の常、

   許すは神の業(わざ)」
 

  人間は神様ではないので

  完璧じゃない。
 

  失敗はつきもの。
  自分を許し、

  一人反省会は

  早めに閉会するのが何より良き。

  

 

  

 

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  これは、

  以前TikTokで

  発信したお話です。

  

  この投稿をした時にも

  二面性について悩むことに

  多くの方に共感をいただきました。

 

  先日からのブログで

  振り返ったように

  幼い頃から

  親を始めとする世の中から

  刷り込まれる道徳意識と

  「より良い人になりたい」という

  比類ない向上心とを持つ

  HSS型HSPは、

  「良い人」はこう思わないのではないか

  ということに縛られがちです。

 

  その結果、

  自分の中の「黒い部分」について

  過剰に反応し、

  「こんな部分人に見せられない…

  見せたら

  きっとドン引きされる…

  きっと嫌われる…」と思うわけです。

 

  私もそうでした。

    

  人間なのでそもそも

  「暗い部分」は持ちます。

  もちろん程度の差はあります。

 

  HSS型HSPの抱える苦悩の一つに

  「黒い自分」への否定と

  「黒さ度合い」への恐れです。

   

  「腹黒さ」ブラックな部分を

  人に話す必要はないのですが、

  それを持っているからと

  自分を責める必要もないなと

  最近思うようになりました。

 

  いわゆるこのブラックな部分は

  「エゴ」と呼ばれるものです。

 

  エゴを自分が持っていることを

  私もなかなか

  認められませんでした。

 

  「みんな持っている」と言われても

  いやいや、私の方が絶対黒い、

  もしかしたら一番黒いかも。。。

  そして、

  人は持っていてもいいけれど

  自分はできるなら持ちたくない、

  可能なら無くしたい、

  本気でそう思っていました。

 

  そうなると

  持っていないような「善人」を

  演じるようになります。

 

  もちろん全く嘘を演じるのでなく

  「少し隠して少し盛って」

  みたいな感じです。

 

  でも作っているので

  相手を騙す感じもしていて

  無意識になんとなく

  後ろめたさを覚えます。

 

  そして「善人」を演じられることで

  「自分は真っ黒じゃない」と感じ、

  ほっともしていました。

 

  ・・・傲慢ですよね。

  「もうこの未熟さんめ!」

  と少し前の私に

  にっこり笑顔でデコピンして

  やりたいくらいです。

  

  同じように感じている方も

  多いのではないでしょうか?

 

  ですが、

  このエゴの黒い部分があるから、

   HSS型HSPは

  人との比較に基づく劣等感を

  圧倒的な負のエネルギーに変えて

  勉強や仕事で成功している方が

  多いのだと思います。

 

  (比較による負のエネルギーを

  推奨しているわけではありません。

  効果はありますが、

  未熟な自分はダメという

  自己否定がスタートでの

  成長パターンなので、

  長く続けていくと人生がつらくなります)

  

 

  HSS型HSPに限らず、

  そもそも人類の発展は

  この黒いエゴのおかげ。

 

  より良い暮らしを求めて頑張ったり

  技術が進歩したりで

  より良い製品が出来上がり

  人類は進歩したのだと思うのです。

 

  不要なものならそもそも

  進化の過程で淘汰されていると

  思うのです。

 

  大体動物だって

  繁殖する際には結構腹黒いことを

  していますし。

 

  可愛く見えるその影に。。。と

  動物系ドキュメンタリーで

  知って衝撃を受けたことが

  何度もあります。

 

  そう考えると

  「黒い部分」を

  持っていること自体

  恥じなくても悩まなくても

  良いのだと思うのです。

 

  

  黒い部分を持っていることと、

  それを実行に移して

  人に危害を与えることとは

  別の問題です。

 

  加えて、

  そもそも他人の心の内を

  全て推し量ることはできません。

 

  自分よりもあの人の方が黒い、

  確かに「その部分」は自分の方が

  黒いかもしれません。

 

  でも他の部分はどうでしょうか?

  自分の方が圧倒的に

  白いかもしれません。

  

  人を傷つけたと悩むことも

  あると思います。

 

  傷つけたと思ば謝り、

  次にそうしないようにすれば

  よくて、

  自分を過度に責めず

  そんな自分を許してあげることが

  大切だとようやく思えるように

  なりました。

 

  相手は自分の鏡なので、

  疑えば相手にも

  猜疑心が湧いてきます。

 

  逆の立場で考えると、

  巧妙であっても

  探るように質問ばかりされると

  疑われるような気がして嫌ですよね。

 

  疑っている感じはなんとなく

  相手に伝わります。

  疑われるのならこっちだって。。。

  みたいに相手から無意識に

  心に壁を造られたり

  好意的ではない感情をもらうように

  なってしまいます。

 

  また、

  HSS型HSPは

  機嫌を損ねていないか

  相手の顔色を過度に伺うことを

  弱気になるとやりがちです。

 

  ですが、

  この相手の顔色を過度に伺うことは

  相手に媚びる感じにもなり、

  普段なら好きではないですよね。

  プライドも高いので 

  そんなことをする

  自分を嫌になると思います。

  

  これはそのまま相手にも

  同じことが言えると思うのです。

 

  確かに黒い部分は

  「黒が強め」かもしれません。

  自分への制限が強くかつ

  「道徳的であろう、

  範たるべし、

  ここはグッと我慢して

  そうするもの(べき)」

  と思う気持ちが強いと

  そうではない振る舞いをする人への

  心の中での当たりは当然強くなります。

 

  自分が大切にしていること  

  (守らなければいけないと

   無意識に強く思っているルール)

  を蔑ろにされると嫌な気持ちが

  しますよね。

 

  ですが、

  実はここにオチがあって、

  なぜ嫌な気持ちになるのかというと、

  それは、

  本当は自分がしたいことではなく

  「べき」でしていることかも

  しれない場合があるのです。

 

  相手を責める気持ちや

  心の中でのブラックな批判や冷笑が

  沸き起こった背後には、

  実は、自分は我慢して

  是とは思っていないが

  そうするものだと、

  自分に強いる我慢を”当たり前』

  としている価値観が潜んでいる

  ことが多いのです。

 

  HSS型HSPは感受性が鋭いため、

  「社会を円滑に回すこと」

  をしなかった人に対する批判の言葉や

  「波風を立てると爪弾きにされたり

  批判されたこと」への

  過去の経験を

  世の中の「フツーの人」より

  深刻に受け止め、

  受けたダメージは「フツーの人」より

  圧倒的に強めです。

 

  このため、

  繊細な自分が非難されて傷つかないよう

  無意識に自衛として

  「批判されないよう

   世の中多数が従うルール」を

  ”当たり前”として受け入れるように

  なっているのです。

  

  極々最近気づきました。

  

  失敗した場合は

  自分を許せば良いのだと思います。

 

  神様だって失敗したら

  許してくれる♪

  それなら

  自分だけ許さないのは傲慢。

  そう思うことにしました。

 

  (失敗を許してくれないような

  心の狭いカミサマはいないと

  勝手に思っています)

 

 

  そう思うと心が軽くなりました。

 

  そして、

  コーチングでの学びでも

  「嫌だな」と思うなら

  「では自分はどうしたいか?」

  と自分に聞いて

  「自分らしい選択」をして

  「自分らしく生き、

  最後に良い人生だった」と

  思うことが大切だと知りました。

 

  自分を責めるばかりでは

  つらくなるので

  「良い人生だった」とは思ません。

 

  今自分が心に抱いている

  本当のセルフイメージが今の自分を

  決定しています。

 

  それならば  

  後ろぐらさを感じることへの自分責めや

  人を傷つけたと過度に自分を責める

  心の動きは、

  「できていない、ダメな自分」と

  自分のセルフイメージを

  下げることにつながります。


  

  今日ズームミーティングで

  久しぶりにお会いした方々に

  「うんと雰囲気が柔らかくなった」

  「なんとなくエネルギーの質が

  上がったっぽい」

  そう褒めていただきました。

 

  

  

  この点に気づくことが

  本当に大切だと思いますし、

  気をつけていきたいと改めて思いました。

 

  

 

 

 「傷つきやすいのに刺激を求める人たち」

    ~フォレスト出版

   トレイシー・クーパー著

     (カリフォルニア

     統合学研究所の統合学哲学博士。

     HSPのアーロン博士の

     ドキュメンタリー映画にも

     出演、自信もHSS型HSPと公表)

   時田ひさ子監訳

    (HSS型HSP専門心理カウンセラー)

   長沼睦雄監修

    (精神科医)

 

 

 

     

  明日も引き続き、  

  HSS型HSPとして気づいたことを

  お話しします。