犬捨て山が終わるとき -動物×社会の福祉の未来を考える座談会- | あにまるとーくをしよう

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今までの動物に関する経験を忘備録として喋っています。時々、趣味の旅や物作りの話も載せています。

こんにちは。ゆっこです。

 
残暑が厳しいですね。
 
目黒区立美術館で行われている『犬捨て山が終わるとき』の写真展での座談会に参加したので、その話をします。

犬捨て山が終わるとき -動物×社会の福祉の未来を考える座談会-』

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10/8更新

それでは、スタート。

 
***
 
O君「本日はお集まりいただきありがとうございます。」
 
座談会に参加したのは全員で8人。
 
O君…この写真展の主催。動物愛護施設職員
Oさん…動物園飼育員
Hさん…介護施設ケースワーカー
Sさん…障害者施設職員
Iちゃん…精神保健福祉士
Wさん…動物医療薬品会社勤務
(お名前を失念したのでゲストのGとして)Gさん…山梨県を中心に動物の保護活動を行なっている。
 
職種で紹介しましたが、こう並ぶと皆さんすごいですね・・・
私は学生時代4年間現場でボランティアしてきたという関わりはあったものの、今の私の職種は事務で障害者雇用枠なので、専門性が違うというか、自分はここに居ていいのか…?という感でした。。。
 
まず、O君から導入の話があり、全員で軽い自己紹介をしてから本題に入りました。
 
以下は、それぞれの会話の概要です。
 
【注意】すべての発言をメモで追えず、理解不足も所々あります。また、終盤は頭がパンクして書き取りが難しくなりました。メモが少ないため、記憶での会話再現になっています。もし、会場にいた方で、これは違う等ありましたらご指摘いただけると幸いです。
 
↓↓↓
 
O君:まずは、この山梨県多頭飼育の終息やこの写真展について感想をお聞かせください。
 
Sさん:まず、400頭も犬がいたという事にびっくりした。しかも38年という長い間の問題だったことに驚いた。途中、行政は住宅街の犬がいなくなったら解決という流れになったようだが、そうではなかったのではないか。
 
O君:行政は犬の飼育によって問題が起きているのは知っていましたが、本人から強制的に引き剥がすことは出来ませんでした。それは本人が手放さなかったからです。こういった背景には本人の障害があったりしますが、その人へのケアは動物業界の人にはわからない。こういった問題はこれからも投げかけたいテーマだと思っています。
 
O君:テーマをいくつか用意してきました。この内、まずは「動物保護のボランティアへの依存」について話していきたいと思います。
動物保護のボランティアの現状として、誰でも出来てしまうということがあります。また、金銭面や労働力をボランティアに依存してしまっているということもあります。このあたりは、人間の福祉ではどうですか?
 
Hさん:自分は福祉施設で働いていて、グループホーム(高齢者や障害者など、一人で生活するのが難しい人たちが集まって自分たちで支えあって自立していくことを目的とした家)に関わっていたとき、補助としてボランティアのおばさんを入れるという出来事があった。いつしかそのおばさんが全部やってくれるようになり、自立とは違う方向にいってしまった。でも頼りきってしまっている状態で、やめさせることも難しかった。ボランティアが役割を全部取ってしまうということが起きた。
 
O君:契約書などはあったのですか?
 
Hさん:(聞き取れませんでした)。高齢者への介護行為など、身体に関わることなどは一歩踏み込んだらリスクがある。ボランティアがやる行為の線引きが難しい。
 
Sさん:今回の多頭飼育問題でいうと、すべての飼育管理をボランティアでしていた小林さんが入院したから終息したという、あまりよくない終息になってしまったのではないか。福祉では、作業所は元々は社会の居場所としてお母さん方が作り出したもので、今は制度化されたことでボランティアがいなくなった。これは、人だから人権を配慮するという背景で制度化されたが、動物の場合、人権などがない。それが制度化が難しい理由なのではないか。
 
Gさん:今回の問題では、悪い言い方をすれば、小林さんや学生は「良い様に使われてしまった」ということがあるのではないか。リンちゃん(現場に持ち込まれた犬)の件で、行政が何日後には処分するから引き取らないと処分する(そちらで引き取ってくれ)など、やっと成人した位の大学生によくそういうことが言えたなと思う。
 
Oさん:ただ、対応にあたった県職員も課を超えて連携が出来ない現状などがあり、権限を持っていない職員たちのジレンマもあったのではないか。
 
Gさん:山梨県の行政は一般人が保護している犬猫は車に乗せて譲渡協力などをしてくれない。断られた後、隣の県に相談したらうちは協力します、という。なぜ県内の動物を、何時間もかけて他県に連れて行って譲渡活動をしなければならないのかが疑問だった。この件で、多くの犬は殺処分をまぬがれたが、どうして県ごとでこんなに協力体制が違うのかと感じた。
 
O君:なるほど。行政同士の連携が出来ていないという現状はあると思います。
 
O君:続いてのテーマに移りたいと思います。動物保護団体というと、個人で保護をしている数を含めるとものすごい数があります。海外ではトップの取りまとめ(RSPCAなどの動物虐待防止協会等の団体)がありますが、日本ではありません。このトップがいない分裂した状態というのは、独特な日本の動物観だと思います。ここで福祉の方々に質問ですが、人間の福祉団体などでは分裂はあるのでしょうか?
 
Hさん:個人間の意見の対立はある。たとえば、このおばあさんはリハビリをたくさんして出来ることを増やしたほうがいいという意見と、今出来ることを長く継続できるように支えるほうがいいという意見など。ただ、施設間での対立のようなものはあまり聞かない。持ちつ持たれつという感じ。どちらかというと、国の方針がズレているように感じるときはある。動物愛護業界では、具体的にどのような対立があるのか?
 
O君:団体それぞれの「方針」で対立することがかなりあります。たとえば、犬のトレーニングでチョークでのリードショック(悪いことをした時にリード強く引いて首輪を締め、首にショックを与えてその行動をやめさせる方法)を使うのはOK、ある程度ならいい、まったくダメ、といった方針の違いもあります。どこまで治療をするかや安楽死をするか否かなど、医療面での対立もかなりあります。
 
Hさん:人間の場合は、自分の意思を伝えられる。でも、動物はそれが出来ないという点が大きいのでは。
 
Wさん:その通り。その解釈の仕方でふり幅が大きいというのは感じる。
 
O君:病院ではどうですか?
 
Iちゃん:病院はいろいろな職種(医師、看護師、ケースワーカーなど)の集まりなので、職種間でまったく違う見立てや意見を持っている。たとえば、患者一人とっても、医師は症状や治療の見立て、作業療法士は生活面の見立て、などその患者への視点が違う。そのため、医師はその患者が退院した後の生活状況(金銭を適切に使えるかなど)までは見立てをたてることは出来ない。そういったいろいろな視点が必要で、むしろ意見としては対立しないと困る。
 
Iちゃん:病院で言えば、他機関とは持ちつ持たれつの関係。対立はあんまりない。福祉と同じように、国への疑問はある。法律は、問題が起きてから対応策として出来るが、これからの想定として出来ることがない。それは「予防」の観点からどうなのかとは思う。
 
O君:ここで、次のテーマに移りたいと思います。個人的にも気になっているテーマですが、「大人を教育する機会や手段はどのようなものがあるか」です。こういった動物問題は興味がある人は自発的に考えたり活動ができますが、興味を持っていない人へのアプローチはどのようにしていけばよいのか、考えてみたいと思います。
 
Oさん:動物園で言えば、動物園は4つの目的(保護、繁殖、研究、教育普及)がある。動物園は博物館等に比べてもたくさんの人が来るが、教育が行き届いていない。また、飼育員としての実感だが、メディアが強すぎる。某○村動物園の足音に効果音をつけて可愛らしい演出をした動物が映し出されていたりというものに負けてしまう。自分は動物園を「種をまく場所」として、これからも情報発信を続けていきたい。このようにメディアが強すぎると情報発信の意味を考えてしまうが、ステップを踏まないと目的にたどり着けないと考えている。
 
O君:なるほど。一般人の人にアプローチするにはどのような方法があると考えますか?
 
Hさん:今日、銀木犀(高齢者施設に駄菓子屋を併設し、社会的な居場所を作っているサービス付き高齢者住宅)の講演会に行って、認知症をVRで体験してきた。つまり、体験するという目的ではVRという手段があると思う。ただ、個人的には、講演会を聞いていて、認知症というものをポジティブに伝えすぎていて、「ポジティブな偏見」を生む弊害もあるのではと感じた。なぜ偏見が生まれるのかというと、少しの違和感を人々が共有することで社会化されて生まれる。本当はポジティブでもネガティブでもなく、誰もがフラットに受け止められるというのが理想。
 
Oさん:教育には答えがない。こうだから絶対にこうなる、ということもない。
 
O君:横山先生(あいわクリニック医師。元帝京科学大学教員)も言っていましたが、医療はゴールがあり、教育はゴールがないものだという話を聞きました。
 
O君:では、次のテーマになりますが、高齢者などで動物の管理が出来なくなった人たちへの金銭的支援やフォローはどこまでされるべきなのでしょうか?
 
Iちゃん:事例として紹介すると、統合失調症の女性で猫の多頭飼育を適切に出来なくなった症例があった。(個人情報に係る事例なのでブログでは詳細は伏せます。)また、別の症例ではカナリヤを知り合いの宗教友達に預けて解決した例もあった。これらの件では、自分が動物の勉強をしていたのもあって対応にあたったが、誰がやるのか?というところが不明瞭だった。とりあえずケースワーカーに相談したりもしていた。
 
Gさん:そう、多頭飼育現場の相談はとりあえずケースワーカーへいく。
 
Iちゃん:その問題は「誰が」やるのか?ということが誰もわかっていなかった。多頭飼育で問題が起きていても、長年家族も介入できなかった。こういった精神疾患と動物の問題は、誰がやるのかというところをはっきりしていく必要があると思う。
 
Gさん:アニマルホーダーの国内の研究はあるのか?
 
Sさん:あまりない。本人にとっては、集めてしまうモノや動物は大事なもの。それを他人がどうこうするということは難しい。人のために動物を使うような研究は積極的にされるが、現時点では、人が動物を所有して問題を起こしてしまうことについての研究は国内ではほとんどされていないと思う。
 
Iちゃん:このような精神疾患を持っている人は、孤立しやすい。
 
Sさん:先程の誰がやるかという話にも通じるが、孤立する人はどうしてもいる。孤立しても専門職が関わる仕組みが必要ではないか。対人関係で孤立してもペットがいれば幸福度が高い、という研究がある一方、中高年女性の場合、ペット飼育者の方が対人関係が希薄という研究もある。 幸福でも、誰もつながりがなければ問題が起こったときに恐ろしいことになる。
 
O君:動物との関係で満足してしまい、人との関わりがなくなってしまうということですね。動物で弊害があるなら、ロボペットを使うという話もありますが、これはどうなのでしょうか。
 
Wさん:アニマルセラピーになればと、ロボペットを精神障害を持つ子供たちに渡したらヒゲを全部切ってしまったという話を聞いた。本物の犬ではしなかったのに。
 
O君:ロボペットの限界とは、本物の動物でないと補えない部分とは、どんなことなのかが気になりますね。
 
O君:では、最後にこの座談会の感想でもいいですし、20年後の福祉と動物についての予想でもよいので、ご意見をお聞かせください。
 
Gさん:動物愛護協会についての質問をいくつかして、締めとしたい。(具体的な内容をあまり書き留められませんでした。すみません。)
 
Wさん:普段あまり聞くことの出来ない福祉関係の方のお話が聞けてよかった。聞けば聞くほどたくさんの問題があることがわかった。これから多くの人達と話をして問題を共有したい。みなさん頑張りましょう。
 
Iちゃん:これからの20年後の福祉と動物について、欧米のようになっていくかというとそうではないと思う。ガラパゴス化していくのでは。
 
Sさん:アニマルホーダーについての議論になると、必ず最後に「福祉関係者との連携が大切だ」というオチになるが、肝心のどうするのかがぜんぜんない。これからもっと動物業界と福祉業界の人達で話し合って、現実的に話を詰めなければと思った。
 
Hさん:これから問題を可視化することをしていきたい。もっと福祉業界の人たちと動物問題について共有して、仲間を増やしていきたい。
 
Oさん:動物園は動物業界で一番人が来る場所。動物園という場を使って、動物問題を世に広めたい。また、それを衝撃的に伝えるのではなく、楽しく伝えたい。
 
O君:みなさん、ご感想ありがとうございました。それでは、座談会を終了したいと思います。本日はありがとうございました。
 
全員:ありがとうございました。
 
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以上が、座談会での内容でした。
なかなか話題が多岐にわたっていました。
 
上の流れでは私の発言は抜いて書きましたが、私も言葉少なですが話しました。
 
・現場へのボランティアは、途中からは犬の為というより小林さんの負担を減らしたいという気持ちでやっていた。
・人と関わるのが苦手な人達が、法律が出来れば人と関わろうと思うのか、といったら違う気がする。(そのときはうまくまとめて言えませんでしたが、自分も人とうまく関われない人間サイドなので、人と関わることの大切さは分かるものの、法律が出来たからといって理解してやろう・改善してやろうという志で来られたら嫌なのでは、無理にくっつけられるのは反発と動物への依存を深めるのではと思いました。)
・自分や周りの人がアニマルホーダーになる可能性もあること。もしそれが起こったときにどうするのかを、自分で考えておくことが大事なのでは。
・だから、周りに伝える前にきちんと自分の中で整理しておきたいし、むしろその作業が大切なのでは。
・この現場は終息したけれど、全国で多頭飼育崩壊が起きている。それぞれの事情やストーリーがあるということに想像を膨らませて、これからもこの問題を考えていきたい。
 
ここまで読んでいただいた方がいるか分からずに書いていますが…
 
これからもこの現場のことは忘れないし、人々の中から忘れられないようにするのが、この現場に携わった人間としての役目だと思っています。
専門職ではない自分に何ができるのか、さらに考えることになりそうです。
 
できれば、この「専門職ではないけれど、動物や人のために何かをしたい、でも何が出来るのかがわからない、苦しい。」という思いを共有したいです。
 
 
それでは、またの更新まで。