昨年末の挨拶も、新年の挨拶も、ブログには何も書きませんでした。

旦那の父親である、高齢の義父が、寝たきり状態になっていて、いつどうなるか分からない状態だったので、年末年始の行事等、あまり考えられなくて。

 

義父と同じ敷地内に、旦那の弟夫婦が住んでいるので、普段は義父の世話を義弟夫婦にお願いしているのですが、昨年末から、もう義弟夫婦では介護するのが難しくなってきて、年明けに緩和ケア専門の病院に入院してもらう手続きをとっていました。

義父の体の都合で、食事も無理、点滴も受け付けない状態になっていたので、あとは痛みをとって安らかに逝ってもらうしかない状態でした。

 

そして、緩和ケアの病院に入院したのが昨日。

数日前から、介護で寝られぬ日々を過ごして疲れ切っていた義弟の様子を旦那から聞いていたので、とりあえずこれで義弟も体を休めることが出来るだろうと、ほっとしていました。

そうしたら、昨夜の21時過ぎ頃。義弟から旦那に電話がありました。義父が危篤状態になったから、すぐ来てくれと。

ちょうど風呂から上がったばかりの息子に、急いで身支度をしてもらい、旦那と息子と私で病院に向かいました。旦那は晩酌をしてしまっているので、車の運転は私です。

 

病院に着き、急いで病室に駆け込むと、義父は管に繋がれてはいましたが、目を開けていました。

息子は、義父にとって、ただ一人の孫なので、義父は息子の到着を待っていてくれたのかもしれません。

身動きひとつ出来なくなっていて、話すことも出来ない義父でしたが、息子が義父の手を握り、話しかけると、かすかに頷きました。それも、一回ではなく、何回も。

意識はまだはっきりしているんだ!私は張りつめていた気持ちが少し緩んで、ほっとしました。危篤と聞いたけれど、まだしばらくは大丈夫なのでは?と思ったのです。

 

息子の呼びかけに、かすかに頷いている義父の顔は、表情は固まったままなのに、なぜか嬉しそうに見えたのは、私の気のせいだったのでしょうか?顔の周りが、うっすらと明るくなったような、そんなふうに感じられたのです。

 

しばらくして、義父が頷かなくなったので、「少し疲れたのかな?」と私が言い、息子もそっと手を離しました。

この時、病室の外に居た義弟夫婦が病室に入ってきたので、私達は病室を出ました。入室は4人までという人数制限があり、私達家族と義弟夫婦の計5人が一緒に病室に入ることは出来なかったのです。

 

私は、なぜ急に義弟夫婦が入室してきたか、深く考えませんでした。病室を出ようとしていた私が振り返ると、義弟はベッドの脇に立つなり、ナースコールを押しました。

あとから思うと、義弟は病室の外に居た時から、義父の容態を表すような機械(?)を見ていたのかもしれません。義父の呼吸あるいは心臓が止まったのを知り、急いで病室に入ってきたのだと思います。

私はそんなことに気づかず、なぜいきなり義弟がナースコールを押したのかも深く考えず、義弟夫婦と入れ違いに病室を出ました。

 

間もなく、看護師さんが病室に入り、数分して、看護師さんが、病室の外に居た私達を手招きしました。

病室には4人までしか入れないのでは?と、疑問が湧きましたが、それを私が問う前に、看護師さんが小さな声で、「最後にご家族全員で見守ってあげてください」と言いました。

最初、何を言っているのか分かりませんでした。さっきまでの義父の様子から、少なくともあと数日は大丈夫だろうと、安堵していた矢先の出来事です。義父は、今も目を開いていて、さっきと何も変わらない表情なのです。

息子も訳が分からなくて、「え?え?」とつぶやいていました。

 

疲れ切った様子で、ベッドの脇に立つ義弟。義父の顔の覗き込むようにして、旅行の思い出などを明るく語る義弟の奥さん。

その様子を見ながら、私はようやく事実を悟りました。

息子は泣いていました。息子が泣いているのを見たのは、本当に久しぶりでした。

 

しばらくして義弟の奥さんがベッドのそばを離れたので、私は義父の傍に行き、心からお礼の言葉を述べて、これからも息子を見守ってくださいとお願いしました。

 

おそらく義父は、さきほど息子が手を握っているうちに、静かに逝ったのでしょう。

悲しかったけれど、義父は多分、最高に嬉しかったのではないかと思います。愛する孫に手を握られながら逝ったのですから。

 

その後、一時間ほど経ち、義父を葬儀会社まで運ぶため、深夜にも関わらず葬儀会社の車が来ました。

義弟は、私達家族に、帰ってくれていいと言っていましたが、疲れ切っている義弟の事が気になった旦那は、義弟夫婦と一緒に葬儀会社に行くと言うので、私と息子だけ、車で家に帰りました。

息子は眠れそうもないと言い、しばらくリビングで二人でお茶を飲んでぼうっとしていましたが、私は翌日に旦那を迎えに、また車を飛ばさなければならないので、睡眠をとらねばと思い、息子にも寝るように言って、夜中の3時頃に、ようやくベッドに入りました。頭は冴えていましたが、慣れぬ道を深夜に運転したこともあり、体はかなり疲れていたようで、すぐに睡魔に襲われましした。

私は4時間ほど眠って、朝に起きましたが、息子は学校を休み、まだ眠り続けています。精神的ショックが強かったのでしょう。今日だけは、思う存分眠らせてあげようと思います。

 

 

義父は、義母が生きていたころは、口うるさいばかりで、何事も妻まかせの、典型的な「昭和のオヤジ」でした。

しかし、義母が病気になり、最期は自宅で往生したいという義母の願いを聞き、義母が寝たきりになってからは、つきっきりで義母の世話をしていました。義両親の息子である旦那や義弟が、「あのオヤジが・・・」と驚くほど、献身的に介護していました。

そして、義母亡きあと、家事もかなり頑張っていたようで、掃除や洗濯をきちんとしていたようです。料理はさすがに無理だったみたいで、義弟夫婦の世話になっていたようですが。

 

元気なころは、口うるさい年寄りだと思っていましたが、晩年はとっても立派な人間でした。

昨年末、体調が悪化したころ、「話せるうちに」と言って、旦那や義弟に、遺産の話をきちんとしていたり、たった一人の孫に、大学入学金の相場の金額の預金を残してくれたり。

今思うと、感謝しかないです。口うるさいなどと思わずに、もう少し話し相手になってあげれば良かったと、後悔しています。

と、綺麗事を言っても、私のようなワガママな人間は、もし過去に戻れても、同じことを繰り返すのでしょうけれど。

 

 

私には姉と妹がいますが、姉の義両親も、妹の義両親も、まだ健在なのに、私の義両親だけ、二人とも逝ってしまいました。

何だか寂しいかぎりです。

これからは、実家で一人暮らしをしている母を、今まで以上に気遣いながら、生きて行こうと思います。