パクって、していい?集合的無意識 | 九段下・渋谷・池袋・新宿・品川・上野・秋葉原★心療内科ゆうメンタルクリニック

パクって、していい?集合的無意識

赤西くんがやめるも何も、いまだにどれがその人なのか区別がつかない今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

メルマガ・セクシー心理学は、とてもライトなお話をお届けいたします。


◆ パクリの心理学。

あなたは、「約束の場所」という歌をご存じでしょうか。

槇原敬之が作詞・作曲した歌ですが、これが「銀河鉄道999」の中に出てくる
セリフと非常に似ているというニュースがありました。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/10/19/01.html

比較すると、こんな感じだそうです。

「夢は時間を裏切らない/時間も夢を決して裏切らない」
(「約束の場所」)

「時間は夢を裏切らない。夢もまた時間を裏切ってはならない」
(「銀河鉄道999」第15巻)


知った上でマネしたのか、もしくは偶然の一致なのかは分かりません。

ただ一番の問題は、どっちにしても何を言っているのかよく分からないということだと思います。


時間がたてば必ず夢はかなうから、時間がたっても夢をあきらめるな、ということでしょうか。

ちなみに自分はよくセクシーな夢を見ますが、目覚まし時計によってジャマされます。

そういう意味では、時間は夢を裏切ると思います。


それはそれとして、こういう「パクリ論争」。
すごく昔から、たくさんたくさん存在しています。

特にネットやメディアの発達と共に、情報の量、そして情報にアクセスする方法は、爆発的に増えました。

そのため、「これとこれ、同じでは!?」と気がつくことも、より加速度的に増えていると思います。


ではあなたは、日本最古の「パクリ疑惑」をご存じでしょうか。

◆ あの文学に。

「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしご
とを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」


言うまでもなく、徒然草の中の、誰でも知っている序文です。

しかし実はこれ、「マネ」なのです。

この徒然草が書かれたのは14世紀。

その約300年前に、和泉式部という歌人の作った歌に、こんな表現があります。

「つれづれなりし折、よしなしごとにおぼえし事、世の中にあらまほしきこと」

「いとつれづれなる夕暮れに、端に臥して、前なる前栽どもを、唯に見るより
はとて、物に書きつけたれば、いとあやしうこそ見ゆれ」


いかがでしょうか。

「つれづれ」「よしなしごと」「書きつく」「あやしう」

などが共通しています。

文全体の意味も、

「退屈だから、どーでもいいことを色々書いてみよう。変な気分になってくるけど」

というような内容で、意図するところも似ています。

日本の文学者である鈴木健一氏によると、
「博識だった兼好法師がその歌を知らないとは考えにくく、明らかに知った上で徒然草を書いたと考えられる」そうです。

しかし、もちろん徒然草の序文には、「日ぐらし」や「ものぐるほしけれ」など、彼なりのアレンジがくわわり、別の表現として完成されています。

このことが徒然草の価値を少しも減らすことはないでしょう。

◆ ユングの患者のその言葉。

さて、では現在加熱している「パクリ論争」。

心理学的にはどんな説明がされるのでしょうか。

実はかの心理分析家であるユングは、こんな話を紹介しています。


彼が、ある分裂病(今で言う統合失調症)の患者を診察したときに、その患者がこんなことを言いました。

「先生、太陽から男性器がブラさがって、それが風を起こすんです」


ステキ。
太陽だけに、サイズもすごいことになっているでしょう。
放映するときは、太陽にモザイクかけなきゃいけなくなります。

それが風を。
あの子の頬を優しくなでる風も、すべて太陽のアレからの風。最悪です。

童話「北風と太陽」では、旅人の服を脱がせようとするわけですが、太陽がこの太陽だったら、
「いいからお前が服着ろ」
とツッこまれそうです。


とはいえ、まぁ。
この患者さんの発言内容。

とりたてて、どうこう言うほどのものではないでしょう。(言いましたが)

精神医学的に言えば、幻視もしくは妄想でしょうか。


しかし、です。
ユングは、古代ローマのミトラ信仰に関する文献の中で、こんな一文があることを発見します。

「太陽から一本の管がたれ下がり、それが風をまきおこす」


これを見て、ユングは思いました。

「すさまじい一致だ! あの患者が、この文献を読んだとは考えにくい!」


そして彼は、ここから「集合的無意識」という概念を考えました。


すなわち、「すべての人間の心は、無意識のレベルでつながりあっている」という考え方です。

たとえるなら、人間が木のようなもので、同じ一個の地球からニョキニョキと生えてきているような状態。

すべての人間は別々に見えても、実は根源的な共有している部分がある、というわけです。


すなわち!
この考えでいくと!

すべてのパクリは「集合的無意識」で説明されるわけです!

これであなたが「パクリだ!」と糾弾されても、
「いえ、集合的無意識ですよ」
と説明すればオールOKです。うん。


………。

問題がさらにややこしくなっても責任は取れません。


◆ すべて、組み合わせ?

はい。まぁ。

実際にこの「すべての人の意識が、無意識部分で共通している」という「集合的無意識」。

普通に考えたら、ややオカルティックで、ちょっとありえるとは思いにくいでしょう。

ユングが例に出している「太陽から男性器」の話も、太陽なんて誰もが常に目にしているものですし、男性器だって、男なら基本的にエンドレスで見ています。

神話と妄想のそれぞれでその二つを結びつけていても、決して不思議ではありません。


しかし、です。

この「集合的無意識」という考えそのものは、根拠がまったく0とは言い切れません。


実際、地球上のすべての人は、ほぼ同じものを見て生活しています。


動物。植物。虫。色。言葉。遊び。生活用品。


そして、今までのすべての発明や作品は、その組み合わせにすぎません。

「犬」+「猿」+「キジ」+「鬼退治」から『桃太郎』が生まれますし、

「豚」+「猿」+「河童」+「お坊さん」から『西遊記』が生まれます。

「球」+「蹴る」+「11人」から『サッカー』が生まれますし、

「泳ぐ」+「走る」+「自転車」から『トライアスロン』が生まれます。


極端な話、地球上のほぼすべての発明品は、今までに存在した分子・原子の配置を変えただけですし、文学作品だって、たくさんの言葉の順列組み合わせで
す。

そこまで行かなくても、ほぼすべての人類が、同じ教科書や古典、そしてメディアなどで育っているわけですから、意識の核はかなり似て当然です。


たとえるなら、全員が同じオモチャ箱の中で生活しているようなもの。

AというオモチャとBというオモチャを組み合わせて遊ぼうと思う人もいれば、
CとDとEというオモチャを組み合わせて遊ぼうと思う人もいるでしょう。


すなわち、「材料」が共通している限り、「類似」が起こるのは、十分にありえる話です。

そういう意味で、「集合的無意識」という考え方は、正しいと言えるかもしれません。

◆ 一番の楽しみは。

もちろん、他人の組み合わせたオモチャを見て、そのまんまなものを作り、なおかつ「自分が作った」と発表したら、「パクリ」になるでしょう。

言うまでもありませんが、その行為そのものを認めるわけではありません。

ただ、徒然草のように、それを踏まえた上で自分なりのアレンジをくわえたり、
また別の多くの人を楽しませることができたのなら、そこにはちゃんと意味があるように思えます。


実際「後ろめたさ」のある作品というのは、「バレたら恐い」という恐怖があ
るためか、本物に比べて、小さくまとまってしまう傾向があるように思えます。

しかしその模倣が無意識のもので、「これを通して自分なりの表現をしよう」
という意志がある場合は、より大きな作品に仕上がるのではないでしょうか。


というわけで、何よりあなた自身が、

「劣化してる…」と思えば「パクリだ!」と考えればいいでしょうし、

「より楽しいじゃん!」と思えば、そう考えなければいいでしょう。


すなわち冒頭の事件は、銀河鉄道999側と槇原敬之側が、
「自分の方が優れている!」という主張をぶつけあっているだけなのではないかと思います。


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◆ 今回のまとめ。
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○ すべての人には「集合的無意識」があるとユングは言った。

○ みんな共通の世界に生きているので、その意味では不思議じゃない。

○ マネするなら、より濃密なものを作る自負を持つこと。



そして、最後に思うのですが。

この世の中で一番楽しいことというのは、
「オモチャを自分で組み立てること」だと思います。


ちなみに自分の話で恐縮ですが。

たとえばこのメルマガで出てくる心理学理論は、もちろんのごとく、今までの心理学者・精神分析家が発見・提唱したものです。
本当に言うまでもありませんが、自分のオリジナルではありません。

すでにできたオモチャです。

ただ、それらを使って、

「この事実って、この理論から考えるとこうなのでは?」
「この理論って、こうしたらより遊べるよ?」

というように、別の組み合わせや見方を作ることが、自分が今夢中な遊びだと思っています。



たとえるなら。

バレーボールを2個持ってきて、バストに見立てて悦に入っているようなものでしょうか。


………。

たとえなきゃ良かった。
心からそう思います。

いつかはその目的にピッタリなバレーボールを自作する!という野望を抱きつ
つも、今夜は筆を置きたいと思います。

みなさまここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。


(完)



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