こんにちはうさぎ

お立ち寄りくださり、ありがとうございます
 

私の娘(HSC)は中学生になって間もなく、学校に行かなくなりました。自分と向き合い、娘と向き合い、そして娘に寄り添った結果、2ヶ月で自分から学校に戻った娘。そしてその1年半後の2度目の不登校も、1か月半で学校に戻りました。

 

当時私が意識したことや、UMIで学んだ心のことなどを、これから綴っていきたいと思います。

 

必ずどなたかのお役に立てると信じてピンク薔薇

 

 

先週私の住む地域では、雪が降って

とーっても寒かったです雪だるま

皆さんのところは、いかがでしたかニコニコ




ところで前回は、1回目の不登校の時に、

早く完全不登校になることを待っていた

という話を記事にしました。

↓↓↓

 
今回はその第2弾。
2度目の不登校の時の話です照れ



かなり長いです。
 
 
 
1度目の不登校で、不登校からの回復についてはある程度学んだ私ですが…
 
 
 
中3の11月。
また娘が学校に行かなくなりましたショボーン
 
 
 
最初はなぜ行かなくなったのか、
はっきりとは分からなかったので、
 
 
 
自分のこれまでの対応は実は間違っていたのかなと、放心状態になりました。



でもそうではなかった。
娘は私の言葉が受験のプレッシャーとなり、
潰れてしまったのです。
(その時の話はこちらから)
 
この時の娘の様子は、1度目の時とは全く違っていて、五月雨登校が無かったんです。
 
 
 
朝起きては来るのですが頑張って行こうとはしていませんでした。行けないことが分かっている感じ。



それでも受験のことは常に気にしていて、最初の頃はどうしようかな?と口にしていましたが、



そのうち受験以外の何かを探しているような、できれば回避したいと言うような、そんな雰囲気さえありました。



2週間ほど様子を見ていましたが、
そこから先はベッドから起き上がることすら難しく、部屋から出てくることも殆どなくなっていました。



外出を促しても、返事もない。
娘はひたすら寝ていて、起きても部屋から出てこないし、どうなっちゃったのかなと本当に心配しました。
 
 
 
1度目のことを思い出すと、
対応を間違えなければ学校に戻るまで
早くても約2ヶ月。



でも高校受験までは、
冬休みを除くと約2か月半しかない。
 
 
 
ギリギリのラインピリピリ
 
 
 
さぁ、どうするか。
そして覚悟を決めました。
 
 
 
「しばらく学校はお休みしようニコニコ
そう伝えることが最短の道だと判断しました。
 
 
 
娘からは、
「え?なんで?」
 
 
 
すごくドキドキしました。
でも、「え?なんで?」って言われたときに、
 
 
 
”行かなきゃだめだ” がまだ強くなってないうちにそう言ってあげれて良かった、



学校へのトラウマが少ないうちに、行けたら行った方がいいよなぁという気持ちがまだあるうちに、行かない選択をさせてあげられたのは良かった、



私はそんなことを考えていました。
 
 
 
そこからは、勉強の話も受験の話も一切しない。
この対応で合ってるはず。
 
 
 
何度も自分に言い聞かせて、
だけど、こうなったのも私のよけいな声がけのせいだと自分を責め、
真っ暗な暗闇から抜け出す術も全く分からず、
 
 
 
その思いが私の心を徐々に蝕んで、気が付いたら私もベッドから起き上がれなくなっていました。



娘から勉強の話も受験の話も一切なく、娘はベッドの中でひたすらKindleで、これまでに何度も読んだハリーポッターをまた読んで、その感想をベッドに横たわったまま私に教えてくれました。



その時は確か、
ハリーポッターのその後の映画化が話題になっていて、その話をしてくれました。



へぇーそうなんだ!
面白そうだね指差し



娘が話してくれる話は少なかったけど、
そうやって一生懸命話を聞いて、
とにかく娘の心に寄り添う何かを探し出そうと必死だったと思います。



でも娘の元へ歩いていくだけでも息が切れて、身体が思うように動かなくて、廊下や階段に寝転がっては起きて、



じっとしていることがとにかくキツくて、
胃の中にうじゃうじゃと動く物体が100匹ぐらい住んでいるようなそんな感覚で、気が狂って暴れ出したい衝動に駆られていて。



娘が起きていなくて良かった。
今思い出しても本当に辛かったです。



そんな時にママ友から電話がありました。
このママ友は、娘の同級生Yちゃんのお母さんです。



Yちゃんは、うちの娘によく意地悪していました。仲間はずれってやつですね。
自分が仲間外れになりたくないので、うちの娘を仲間外れにして自分を守っていました。



でも、お母さんはとっても良い人でハート
私は大好きだったんです。



そんな彼女に、私は「死にたい」って言いました。



娘が学校に行けないからではないですよ?
そこは行けなくても問題ないことは分かっているんです。



私を苦しめたのは、
私のせいで行けなくなったという自責の念です。



死にたいと言う私に、ママ友はこう言いました。



それ本当に死にたい訳じゃないからね?病気だからそう思うだけだからね。
ハムスターちゃんは大丈夫だから、ゆきうさぎちゃんが病気を治すのが先だよ!ハムスターちゃんのことはその後だよ!



言われた言葉がとても腑に落ちました。
そしてこう思ったんです。



私もうできない!
娘のこと心配することはもうできない!
自分の病気を治してから、それからにする!
娘のことは、後回しだ!ごめんなさい!



そして、娘のところに行って、
娘をぎゅーっと抱きしめて、



好きなことだけしてればいいからね!
どんなハムスターでも大好きだよ泣き笑い



それだけ伝えました。
もう精神状態がギリギリのところ。



娘はその言葉を聞くと、
布団をかぶって向こうを向いてしまいました。



そしてその日の夕方。
担任の先生がお電話をくださいました。
「どうですか?ハムスターさんのご様子は。」
 
 
 
「報告できることが、何も無いんです・・・」
ベッドから殆ど起き上がることのできない娘が今学校に戻るのは難しいと思った私は、正直にそうお答えして電話を切りました。
 
 
 
その2日後。始業式の日の早朝。
私はいよいよ身体が耐えられなくなり、自分で救急車を呼び、でも年始のその時間帯に開いている精神科などなく、



予約なしでも受診できる病院を紹介だけしてもらって、その足で夫が運転する車に横たわって病院に向かいました。
 
 
 
その車の中で、



ベッドから起き上がれなかったはずの娘から電話が入ります。
「お母さん、私の体操服どこ?」
 
 
 
すっごくびっくりしました不安



学校に行く準備をしていたようです。
そして私たちが病院に行っている間に登校し、
驚いた担任の先生から電話がありました。



「間違いなく登校しています。」
 
 
 
ベッドから起き上がれなくても、
娘の心のエネルギーは充電されていた!



前日までそんな状態でも、分からないものです。
いきなりこんなこともあるんです。



私はこのとき学びました。
自分が辛いときは、自分を大事にすることを優先していいんだ、って。



だって娘は大丈夫だから。
寝ているだけに見えても、身体も心も前を向いて頑張っているから。



もしあなたの体調が悪かったり、
うつ病になったりしたら、そのときは、



まずはお母さん、
あなたを最優先してくださいね。



そうすることでお子さんから手が離れて、
苦しかったお子さんが動き出すこともあるってことを、覚えていてほしいですスター



そして、Yちゃんママ、ありがとう。
私の命の恩人ですおねがい



今でも当時の辛さと胸の辺りの感覚が

自然に込み上げてくることがあります。




そんな日は、大好きな曲を聴いて、

周りの人たちの優しさを思い出して自分を癒しています。




誰かに話を聞いてもらうって大事。

春休みに、皆さんのお話を聞かせていただく機会を設けたいと、そう思っています。




誰にも言えないあなたの辛さを、

私に共有させてくださいね。





 
あなたとお子さんの
幸せな未来を応援していますクローバー