「蓮」と聞いてこれは逃してはならないと参加した、たまさんのワークショップ。

蓮って、一筋縄ではいかない印象がありまして。なんだろうか、生半可な状態じゃ向き合えないというか、中途半端な自分でいったら、全て露呈しそうで怖いと言うか。正直言ってビビっており。

でも、長らく参加できなかったたまさんの花の会が蓮と言うのは、何かのタイミングかもしれないと。今の自分を試してみたくなり、えいや、と参加表明致しまして。

いざ行ってみたら、その日の朝に京都で刈られたという、それはそれはパワフルな蓮がわんさかと。ただ第一印象が、厳かというより、野生児のようで、意外だった。ぐんぐん生えたいように生えている感じ。



宇敬先生の美しい字で書かれた数々の花。特にこの「姫ひまわり」という字がね、可憐さ、柔らかさ、羨望合相まってたまらないのですが、伝わりますか、この興奮?



 まずは持参した花器2つで蓮と姫ひまわりを。コスタボーダーのこの鉢は、たっぷりと水を入れて涼やかな印象にしたくて、水中花に。他も試して見たけれど、結局姫ひまわり一つ。どうもクルンクルン回っちゃって、安定しなかったのを、たまさんがくっと一捻りしたら、見事に静止。ねぇさん、さすがっす。



もう1つの花器はシンプルに蓮の蕾と葉を一本ずつ。少しずつ長さを調節していって、最終的に自分の安心する場所にすとんとおさまった感じ。

が、しかし。



ワークショップ側でご用意されていた花器の中に、真っ黒の三角錐を2つくっつけたような不思議なものがかりまして、私一目惚れしてしまい。

最後にその花器を目の前に置いて、じーっと見つめ。バケツに残っていた蓮を丸ごとざばっと取り、一本ずつ花器へ。1つ入れるたびに、浮いたり揺れたりしていた花が、4本目、真っ直ぐな一本を差し入れたところで、当然微動だにしなくなって。

それが花の道を学ぶ人から見たら、正しいかどうかわからないのだけれど、ここ!と花が言っている気がしてどうにも手がつけられず。

もう一本だけ挿してみるも、まるでこみ藁に立てているかのようにしっかり止まっているので、徐々にもうこのままで良いのかも、と思い始め。

たまさんに教えを請うと、「どうやって止まってるん、これ、直そうとしても動かせへんわ。」と。最後にご助言通りに、葉を一枚入れておしまい。



別にそれに特別な意味を見出すつもりもなく、単なる偶然とも取れることだけれど、最初の2つと並べて見たときに、自然と「顕在意識」と「潜在意識」という2つの言葉が浮かびました。

周りからどれだけ言われてもわからなかった、私の中の暴れ馬の部分が、段々主導権を握りつつあるこの頃。この日の蓮の花の第一印象である、「野生児」とリンクするように、好き放題ぐんぐん延びていくようなこの最後の蓮には、毒も巻き込んで爆発するような勢いがあって、潔いったらない。

たまさんがふらりと寄ってきて、勉強会に使っているプリントを見せてくれて。「花の力を信じきる。汚泥のせいにしない。感情はいっときのこと。即忘れなさい。」なるほどなぁ。蓮の姿に、遠くない未来の自分を見たような、なんとも不思議な感覚でした。



全てをバラして帰宅して、今度は大きな鉢に投げ入れてみたら….なんだこりゃ…。いやぁぁ、つくづく花って面白いけれど、怖いです。すげぇ生き物だな。

次に帰国した時にまたどうなるか。花と正々堂々向き合える自分でありますように。