なんだか 急に思い出しました。


小さい頃のこと。


私は 小学4年まで、両親と、父親の両親と弟、いわゆる祖父母と叔父と一緒に住んでいたんです。

少し 大きな家で、1階は祖父母と叔父が住んでいて、
2階は、私たち親子、そして他の空いてる部屋は、下宿?みたいに貸していたんです。

だから、2階はアパートみたいな感じですね。3世帯が住んでいました。

両親は祖父母と叔父と仲が良くない状態でしたが、私が小学2年くらいまでは、まだ交流がありました。
同じ屋根の下で、交流ってガーン
と、思われるかもしれませんが、

両親と祖父母たちのケンカ、ケンカの毎日になり、
ある日、突然1階と2階に通じる扉が封鎖されました。

ひとつの家の中に 国境ができ、
その国境を越えることは、できなくなりました。


私も祖父母には、たまに冷たくされたけど、遊んでもらったり、お菓子を買ってもらったり、そこそこ可愛がってもらったほうではないか?と。
内孫だったし、そんなに嫌な思い出はなかったです。


だから、国境ができた時は、
なんだか、悲しいような、寂しいような、悔しいような、複雑な気持ちでした。
もっと 私に何かできたのではないか?
仲を取り持つことができたのではないか?

小学生ながら、そんなことも思い、力不足を感じていました。


そして、
ある日、国境が一時的に解放されました。
両国の、話し合いが行われることになりました。

会談は、荒々しい雰囲気で始まり、
両方の国の言い分を言っていましたが、

結果、
歩み寄ることができず、
会談は物別れで終わり、


冷戦状態の両国には、春は訪れず、
領地の広い、 祖父母国が勝ち、
私たちの親子国は、撤退することになりました。


撤退条件も、なかなかまとまらず、
激しい怒号が響き渡る中、
小学生の私は耳👂を塞ぎながら、
「私が戦ったら、勝てたのかもしれない」
と、自分を責めたりしていました。



そんなことを、思い出してしまった。



それからは、ある程度 離れた場所のアパートで暮らすんですがね。


まぁ、そんな小学生時代がありました。


なかなか、エキサイティングな毎日でした。