フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受け

 

た思想家で、フランスの著名な哲学者である

 

ジョルジュ・バタイユの有名な言葉に:

 

エロティシズムは死にまで至る

生の称揚(しょうよう)である

 

というのがある。

 

有り体に言えば、性愛の快感に身を委ねられ

 

るなら死んでもいい、と言うことだ。死と隣

 

り合わせの性の快楽とはどんなものか、人は

 

そのような性の快楽を求めて生きているのか

 

性の形而上学(けいじじょうがく)である。

 

つまり、性を性たらしめている超越的な原理

 

である。

 

 

不倫は美しく表現しろ、と言われればいくら

 

でも美化できるし、卑猥に表現しろ、と言わ

 

れれば、いくらでも「わいせつ」化できる。

 

 

己の妻との日常生活では絶対観ることの出来

 

ない陰と陽。つまり、女が性に魂まで奪われ

 

た変幻が50代男にはたまらない。

 

男が家路につくときには、「抜け殻」同然に

 

してしてまうくらい男という男を吸い尽くす

 

そんな「女」がたまらない。

 

そして、性愛時には微塵も見せない清楚さを

 

その場に見合ったセンスの良いファッション

 

強調する。その外見からは想像だにできない

 

覆い隠された「女のスケベさ」。これほど男

 

を魅了するものはない。

 

男は、快感の渦の中で喘ぎ声を漏らす貴女に

 

そっと耳元でこう囁いたことがあるはずだ。

 

「スケベな軀になったなァ」と。

 

 

私は「夫」の為に産まれてきたわけではな

 

いし、生涯を伴にしなければならない義務

 

もない。私には私の人生がある。

 

 

相手の奥様に対する罪悪感はありません。

 

なぜなら、結婚と恋愛は全く別世界のもの

 

で「同一人物」では、両方のニーズは満た

 

せないからです。

 

 

どちらも、コメント投稿者の御意見だ。女の

 

生き様の多様化や価値観の変化に伴い、今や

 

女性達にとっては不倫に対する薄暗い罪悪感

 

は薄れ、身近な存在となってしまったことが

 

この二つのコメントからも透けて見える

 

 

昔は、不義密通や不貞は「悪」として、社会

 

から疎まれたが、現代社会に於いては、不倫

 

或いは「婚外恋愛」と表現を変え、ひとつの

 

恋愛の有り様として世間が認め始め、女性は

 

己のその根源的な「スケベさ」を自由に好き

 

な男の前でさらけ出せるようになったという

 

ことである。

 

 

ネットで不倫をしている女性の相談サイトを

 

読んでいると、男性の実態をまるで理解して

 

いないことに驚く。

 

その多くの女性たちは、不倫という理不尽極

 

まりない行為に対して、明らかに己の理想論

 

やロマンティックな幻想を上書きして勝手に

 

美化している。

 

真剣に不倫をしている、勝手に他人様の夫と

 

逢瀬を重ねて悩んでいる「その姿」は、女が

 

如何に「すけべ」かを象徴しているようだ。

 

 

特に「W不倫」をしている女性は、あれだけ

 

「夫」なる生き物をぞんざいに扱いながらも

 

彼女たちに共通しているものは、不倫相手に

 

は盲目になり、全てを許し、いけないことは

 

全て自分のせいにし「性愛のめり込む」こと

 

である。そして、のめり込むことで、相手の

 

男が何を求めているのか見失ってしまってい

 

ることだ。

 

 

その典型的な例が、既読のつかない、或いは

 

既読スルーされたLINEや返事の来ないメール

 

を「一生懸命」待っている姿だ。自分を責め

 

必死で「返事が来ない」理由ずけをする姿。

 

 

己は「スケベな女だ」とさえ認めれば、全て

 

自分が悪いのだと己を責める必要などない。

 

相手の男に己の「スケベさ」を伝えれば直ぐ

 

に返事がくるはずだ。

 

自分の送ったメールやLINEに、返事が来ない

 

理由に悩む前に、もっと不倫適齢期の50代

 

以上の男たちが、不倫で求めるものは何かを

 

正確に把握して欲しいと思う。

 

 

男も50代ともなると社会や家庭での責任が

 

やたらと重くなり、その反動で性愛への快楽

 

そのものが変質する。具体的に言えば、行為

 

そのものより、むしろそれに関わる様々な女

 

の反応のほうに快感を抱くようになる。

 

それは好きになった女の燃えていく姿であり

 

透き通る喘ぎ声であったり、悦楽に浸る顔の

 

表情であったりする。

 

そして、それが最終的には、躰を小刻み痙攣

 

させながら昇りつめていく姿に魅了される。

 

それを知り実感してこそ、50代男は初めて

 

躰と心が両面から満たされていく。

 

 

この年代の男は「行為」そのものには、長い

 

結婚生活で充分に「妻」と堪能しきって卒業

 

している。いま求めているのは「行為」では

 

なく己の妻からは得られなくなってしまった

 

妖艶な反応と新鮮さ、そして「驚き」なので

 

ある。

 

特に魅了される驚きとは「女って、こんなに

 

スケベだったんだ」ということである。

 

また、歳を重ねた男にとって己の放出の快感

 

など、その性愛の極みによって創出された女

 

の「醜態」を観る悦びの前には、何の意味も

 

持たない。

 

同年代の男性や夫に、己が持っていた潜在的

 

な性的魅力や性癖を見出してもらえなかった

 

女が50代男によって初めて性の悦びに目覚

 

めていく。その清楚さを惜しげも無くかなぐ

 

り捨てて「スケベな女」になる。その開花の

 

過程に関わったということは、愛しくてしよ

 

うがない女の中に深く、自分の存在が植え付

 

けられた証しになる。

 

50代以上の男性にとってこれほどの悦びが

 

あろうはずもない。

 

 

よくコメント欄に「今度会ったら、いっぱい

 

サービスしてあげよかな」とさりげなく言う

 

女性がいるが、まさに50代以上の男性にと

 

って、このスケベさがたまらないのである。

 

女性が「スケベになる」というくらい非日常

 

的なものはない。

 

 

女が燃えすぎて男が困ることは絶対にない。

 

女が燃えれば、燃えるほど、狂気の如く乱れ

 

れば乱れるほど、女へ愛しさが増していく。

 

己の体液で濡らす肢体や唾液を男に啜らせる

 

そのスケベさは、何にものにも代えがたい愛

 

しさに通じる。

 

ぶっちゃけて本音を言えば、男が不倫をやめ

 

られない一番の理由は、普段は絶対に見せな

 

い、想像もつかない女の「スケベさ」を己の

 

性技で創造できるところにある。

 

男の愛撫を浴びながら、「スケベな軀だ」と

 

言われる時、女性にとって、男が発する様々

 

な愛の表現・言葉で、これほどの誉め言葉は

 

ないと思っていい。