最近、立て続けに僕の妻に関わるコメントを

 

頂いた皆様に対して、返事が「塩対応」にな

 

ってしまい、この場を借りてお詫び申し上げ

 

ます。この機会に、僕の「塩対応」の裏側に

 

ある男の卑怯で身勝手な背景を今回は書いて

 

みました。

 

 

男という生き物の異性愛が、一生を通して躰

 

重視である以上、いくらきれいごとを並べ立

 

てたところで卑怯者の誹りは免れない。

 

以前、ある読者に「不倫しても家庭を持つ男

 

は決して離婚しない」という言葉の根拠につ

 

いて聞かれたことがあった。

 

 

一般的に、不倫男というものは不埒な面だけ

 

が目立つが、「家庭を守らなけばいけない」

 

という、真っ当と言えば、真っ当な、卑怯と

 

と言えば、極めて卑怯な一面がある。

 

男は、己の「妻」という存在を、他の女性に

 

語られるを極端に嫌う、つまり「比較」する

 

ことを何より嫌うところがあって、己の不倫

 

相手の女性の気持ちや立場を無視する訳では

 

ないが、妻と己の都合を一番に優先する傾向

 

がある。

 

もっと具体的に言うと、妻の存在には特別な

 

思いがあって、それは出会いであったり子育

 

てであったり、病気であったり、他の人には

 

言えない二人だけの苦労であったり、幸福で

 

あったり、不倫相手とは到底比較したり同じ

 

舞台で語れないものがある。

 

いかに「愛しい女」であってもその琴線には

 

触れて欲しくない。妻を裏切っているという

 

贖罪で、男はいっぱい・いっぱいなのだ。己

 

の男としての責任とオスとして淫欲の狭間で

 

既に大きく傷ついているからである。

 

あえて例えるなら、なにか犯罪を犯して警察

 

から逃げ回っている、そんなギリギリな気持

 

ちで不倫相手と接しているからだ。

 

だから冗談でも「妻」のことを揶揄されると

 

どんなに愛しい女に対してでも不快になるか

 

内容によってはキレてしまうことがある。

 

たとえ、その男が妻と不仲であったしても同

 

じことだ。

 

下世話な表現をすれが、それとこれは別な話

 

だということだ。

 

 

男は、結婚して数年も経つと、妻に対しては

 

性的なものよりも、親戚や近所との付き合い

 

を含め周囲との対人関係・家事や育児の能力

 

家計費などのお金の管理能力が重要な要素に

 

なって信頼と伴に向かい合っている。

 

そう言う意味で、当たり前だが不倫相手とは

 

求めるものは、初めから全く違うのである。

 

 

その当たり前の「自分の立ち位置」を忘れて

 

たとえ愛しい女であれ、「私と奥様とどっち

 

が好き」と聞かれれば、男は困惑し、答えに

 

窮する。最後には男は同じ舞台では語れない

 

語ってはいけない「己の狼藉の罪の重さ」で

 

己自身を責めるしかなくなる。

 

なぜなら、愛しく思う女が「それ」を聞いて

 

くるということは至極当然であって、相手を

 

責められないし、責める資格もないと自覚し

 

ているからである。

 

 

男が生きていく上で、先に述べた妻との積み

 

重ねた歴史や平穏な日常生活の方の重要度が

 

高いゆえに、男は強烈な性欲をもって、常に

 

他の女性に淫欲を求めてはいるが、最後には

 

不倫しても「家庭を持つ男は、決して離婚し

 

ない」という言葉になってしまう。

 

 

日本ではまた「家」という価値観が生きてい

 

るし、浮気して離婚するとなると、社会的な

 

制裁が厳しい。

 

特に子供が居るとなると複雑な手続きが必要

 

になり、膨大なエネルギーを消耗することに

 

なる。

 

 

男が「不倫相手」として、答えに窮するよう

 

な質問をして来ない、男の裏側にある面倒な

 

ことに興味を示さない女性を愛しいと感じる

 

ようになる。結婚とか、己の妻への嫉妬とか

 

つまり「己の家の事情」に直接関わってこな

 

いところが「癒し」となり、別な視点から見

 

れば、不倫は極めて男にとっては都合の良い

 

ものになっている。

 

 

前提として、男はその愛しい女だって、妻子

 

ある男と付き合う以上、いっときの粋な大人

 

の遊びと分かった上で付き合ってくれている

 

ものと思っている。お互いの人生や運命をも

 

引き受けなくてはいけないという、重い責任

 

からは逃れられるということも合意の上だと

 

信じている。

 

 

そこで、女性側がその男心の有り様に気付が

 

ついて、どう判断し、如何に選択できるかが

 

実はその不倫の恋が修羅場化するかどうかの

 

分かれ目になることは言うまでもない。

 

 

愛しい女には、最後まで己の妻とは違う舞台

 

で美しく舞っていて欲しい。

 

非日常という時空で、淫靡に「女」をさらけ

 

出し、勝って気ままにその妖艶な肉体を芳し

 

い匂いの汗とほとばしる体液で濡らし、男を

 

非日常に誘って欲しい。

 

決して、日常に降りてきて「現実」という埃

 

に汚れない欲しい。そのために男は、己の妻

 

見せたことない本当の男・雄の顔をさらして

 

女の躰をこれでもかと、一途に愛撫を続ける

 

のである。

 

男は、愛しい女には具体的な保障は与えられ

 

ないが、代わりに「妻」の何十倍にもおよぶ

 

優しさや親切、寛大さ、そして情緒的な愛を

 

捧げているはずだ。

 

妻に与えているものは法的に保障され、明確

 

に目に見えるが、男が愛しい女に与えている

 

ものは極めてプライベートなものだけに見え

 

ずらい。でも女に捧げている精神的・肉体的

 

な献身は、決して嘘はない。

 

 

人間は論理的な生き物じゃない。論理や理性

 

で説明できないから恋愛と呼ぶわけで見方を

 

変えれば、恋愛は論理や道徳を超えたところ

 

にあるからこそ魅力的だとも言える。

 

男に限らず、女だって、頭でどんなに道徳や

 

倫理、常識というものが判っていても嫉妬や

 

欲望が勝るときがあって、ついぞ「男の妻」

 

ことが聞きたくなるのは無理からぬことだと

 

思うのではあるのだが。