婚外恋愛かァ、この言葉、最近よくきかれるようになったが、意味は、ご存知の通り

 

既婚の身なれど他の異性と付き合うこと。それもとくに「妻」が、夫以外の男性と付

 

き合う場合に多く使われる。要するに「妻」の浮気を美化した「粉飾表現」である。

 

これまで、この種(しゅ)のことは「不倫」と言われてきた。

 

 

初めは、唯の不倫だったが、20年ほど前に「失楽園」という小説が、渡辺淳一氏に

 

よって世に出るや、その様相が変わる。不倫小説と呼ばれながらも、300万部以上

 

のベストセラーになると、主人公の二人が、伴に既婚者であったことから、この小説

 

をきっかけに、既婚者同士の不倫を「ダブル不倫」と呼ばれるようになった。

 

たしかにその通りだが、それにしても「ダブル不倫」とは、いささか大げさ過ぎない

 

かと思う。

 

それに、不倫とは、如何にも「人の道」に外れていることだけが、「一人歩き」し

 

ロマンティストで、ナイーブな、ちょいワルを自称する50代以上の男性には、なん

 

も不快な言葉だ。

 

 

だいだい、既婚であろうがなかろうが「好きな人」を懸命に愛しむことが、どうして

 

人の道に外れることなのか。たとえ結婚していたとしても、長い歳月の間に、全てが

 

日常化してしまい、なんの刺激もなくってくる。そんな時に「素敵な人」に出会って

 

好きになることはよくあることで、まさに人間的ではないのか。それこそ、つまづい

 

たっていいじゃないか、だって人間だもの。

 

 

奇しくも、当事者が「既婚者」でありながら、「他の人」を激しく愛している。この

 

二つの意味を含んだ言葉を、不倫以外で、もっと気が利いていて文学的な表現はない

 

のか調べてみた。

 

淫風・邪恋・不義・密通・姦通・情交・背徳などしか思い当たらず、いずれも不快な

 

ものばかりだ。「間男」という表現に至っては、男のプライドはずたずたになる。

 

そのままなかば、諦めかけていたところに「女性の浮気」を粉飾するべく、ひょいと

 

現れてきたのが、この「婚外恋愛」という言葉である。

 

 

僕の知る限りでは、この言葉、すこし前から女性誌などでも見かけるようになったが

 

言われてみると成る程、なかなかうまくできている。当事者が、結婚していることが

 

わかるし、不倫のような陰湿なイメージもない。むろんそれだけ、表現が軽い分だけ

 

調子が良過ぎるところは否めないが。

 

 

それにしても「婚外恋愛」とは、苦肉の策というか、面白い表現である。先ず、奥せ

 

ず、堂々と「恋愛」と言い切っているところがうまい。これなら、物事の良し悪しも

 

酸いも甘いも噛み分けてきた50代以上の男性は、どんどんやっても大丈夫、という

 

安心感を「呼ぶ。女性においても然りだ。

 

 

正直言って馴染みのない言葉だが、それに「婚外」という言葉をつけたところがミソ

 

である。実に巧妙だ。言葉の概念が馴染まないうちに「どさくさ」にまみれて不埒な

 

行為に走れる気がする。以来「不倫の恋」は、女性にとっては「婚外恋愛」となって

 

今さら、面倒な恋愛を嫌う50代以上の男性にとっては、「婚外セックス」となって

 

妻に対して最悪場合の言い訳にもなる。つまり、妻以外の女性と性行為全てを包括し

 

てくれる。

 

 

しかし、この言葉、眺めているうちに、なにかつまらないというか、女性にとっては

 

恋愛が持つあの胸が締め付けられ、突き上げてくるような「ときめき」が醒めてくる

 

のではないか。

 

確かに「状況」だけは、なんとなく分かるが、どこか他人行儀で解説用語的である。

 

実際、これを会話の中で使うには違和感がある。「あの人、婚外恋愛しているのよ」

 

では、意味がぼけて、迫力が欠け、鬼気迫るものがない。

 

だから、やっぱり「不倫」いい、などとはいう気はないが、不倫という言葉には倫理

 

に反しても、毅然と愛していく、という「ひたむきさ」が滲んでいて「女の覚悟」の

 

圧力を男は感じる。

 

 

もっとも、平成になってからの「浮気」は、そういう重いものは捨てて、軽くやりま

 

しょう的な空気感が漂っていて「婚外恋愛」の方が、それだけ、平成の時代を表して

 

いるのかも知れない。最近知った「パパ活」という言葉と、どこか同じ匂いと軽さを

 

感じる。

 

 

 

日本には、男女間に肉体関係があると「いやらしい」とか「不潔」と言いたがる文化

 

が、未だに根付いて居る。やっかいなことに、昔からセックスは「卑しく忌み嫌うべ

 

きもの」という意識があって、特に女性たちには今も染み込んでいる。つい最近まで

 

「不純異性交遊」という言葉があったくらいだ。

 

 

そもそも論になるが、肉体関係のない不倫は、内容が「きれいごと」過ぎて、幼く

 

「大人の恋」とは到底なり得ないものだ。誤解を恐れずに言わせて頂けば「幼稚愛」

 

に他ならない。大人の純愛とは次元を異にする。それは、それで、意味のあること

 

なので、ここで否定する気は毛頭ない。

 

 

ネット情報の氾濫から「女性の浮気」が、社会性を帯びてきたことに気がつき、その

 

「証」として現れてきたのが、この「婚外恋愛」という言葉に象徴されてるのかもし

 

れない。女性の不倫とネット社会の広がりが同時期なのは単なる偶然とは思えない。

 

 

人間は確かに素晴らしい文明を創り上げて来たけれど、男も女もその根幹の部分では

 

まだまだ動物的なものをいっぱい抱え込んでいる。

 

「セックスなんて、しなくとも相手を尊敬したり、愛したり出来る」と言い切る女性

 

に、たまに出会うことがあるが、僕は本来「男と女」はセックスをして初めてお互い

 

の「本当の姿」がわかるものだと思っている。

 

 

50代以上の男性にとって、若い彼の下手クソな性技しか知らない独身女性や、夫と

 

の触れ合いから遠ざかって久しい女性たちに、肉体を通してしか知り得ない圧倒的な

 

快感が、どんなものかを体現させ、教えるのが不倫の醍醐味なのである。

 

事実、「イッタ経験がない」という女性の多くが、不倫で初めて「イク」ということ

 

を知ったという婦人公論の記事に、今の夫婦の現状が透けて見える。

 

 

これまでは「倫理や道徳、人の道から外れた不倫」という言葉の重さで、踏み止まっ

 

ていた女性も多いに違いない。この「婚外恋愛」という軽い響きで表現されることで

 

既婚女性たちにも、久しぶりに「口説かれることの悦び」が蘇り、その気になり易く

 

なったことも否めない事実である。

 

この50代男は、不届き者につき、こういう社会現象を嘆きながらも、悩める女性の

 

相談にのっては、食事に誘い、己の巧みの技で女性を虜にしていると言える。

 

 

つまりは、女性たちによる「巧みな言葉のすり替え」によって、罪悪感は薄くなった

 

ということである。要するに、妻たちは夫以外の男性に目移りし、関係したとしても

 

男性ほど悪いとは思っていないのかもしれない。

 

ただここで面白いのは、昭和生まれの僕らの時代の男性と違って、総じて若い「夫」

 

たちは元気を失い、妻たちだけが生き生きとしている。

 

 

婦人公論のような女性誌のデータで、いつか、夫と妻の浮気率が同じになり、やがて

 

「妻」に抜かれる日も近いに違いない。これは、きっと女性の方が度胸が据わってい

 

て図太いからか、それとも、世の夫たちが普段、「己の妻」をないがしろにしている

 

ことへの「はらいせ」か。

 

 

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