そんな男のひとりごと

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おかげさまで、このブログを立ち上げて、4年近くなるが、今では月間で30万件の

 

アクセス数を頂けるようになった。最初は、平成生まれの、なんとも信じがたい女性

 

に出会った恋の喜びを、ひとり胸にしまっておくことが出来ず、その溢れる高揚感を

 

吐き出していた過ぎなかった。だから、自ずとアクセス数も、日に30件程度だった

 

が、気がついてみると一日に一万件を超えるようになっていた。止めるに止められず

 

自分でも戸惑っている次第である。

 

 

僕が、ブログのタイトルを「きっと不倫の恋も恋のだから」と題したのは、不倫は

 

秘なるもってこそ意味がある。「この恋、隠し通して地獄の底まで持って行く」覚悟

 

がなければいけない、という意味が隠されいる。その覚悟なくして、この恋は決して

 

「純粋」とも「恋」も言えない代物で、ただの裏切り行為に過ぎない。

 

 

ある種の嫉妬や憎しみが、エネルギーとなって燃え上がり、良い意味でも悪い意味で

 

も、それが意外な結末を引き出すこともある。不倫が「修羅の道」と呼ばれる所以

 

でもある。

 

男女の関係は、結果論だけでは言い尽くせないものがある。たとえ「道ならぬ恋」を

 

したとしても、その人と「うまく結ばれた否かがだけが問題」ではない。別れても

 

深く記憶に残り、別れたが故に、いっそう鮮明に心に「甦る恋」でもあるはずだ。

 

 

実際に不倫が終焉を迎えたとしても、性と愛に満ち足り満足仕切った女性は、綺麗に

 

変貌しているというが、確かにこれは事実である。常に、望む時に性愛に身を委ねら

 

れる女性の肌は、みずみずしく艶があるものだ。

 

性愛を堪能してきた女性の表情は和んでいて、肌は濡れているようだ。女性の多く

 

は、美しくなるために身体の外側に化粧品を使うが「性愛」は体の内側から湧き出る

 

コラーゲンそのものと言える。

 

 

特に、不倫の場合はこの作用機構は、著しく機能する。先ず、仮初めの恋であっても

 

「自分の心も躰も愛おしいと思われている」と言う自信が、久しく眠っていた「女」

 

としての高揚感を煽り、それが刺激となって血の巡りが活性化され、さらに「イカさ

 

れる」という性的充足感で「女性ホルモン」が活発に分泌するようになる。

 

しかも、それが定期的に施されたいうことで、全身がいっそう「女らしく」艶めいて

 

妖艶さすらおびてくる。それは、恋の宴が終焉したのちも、女の佇まいから自ずと香

 

ってくるもだ。

 

さらに「道ならぬ恋を経験している」という、その「思い」が、適度な緊張感を含む

 

女のとして自信を生み、その結果として、いつまでも「女としての佇まい」が磨かれ

 

凛として、美しくなれる部分もあるのだ。

 

不思議なことに、この場合「背信による後ろめたさ」は、性愛の悦びを刺激すること

 

はあっても、けっして妨げにはならないものである。

 

 

これに反して、独身であれ、既婚者であれ、女性特有の正義感や幼い頃から植え付け

 

られた「女のたしなみ」そして、時代、時代の為政者や宗教家によって都合よく形付

 

けられた倫理感に縛られ、我慢を強いられて「己の欲望」に素直に向き合わない女性

 

は、外見がいくら綺麗でも、どこかギスギスして乾いた感じになる。無論、夫との絆

 

がしかっりした女性を対象にして言っているわけでない。

 

 

自分の中で、知らぬ間に遠ざかってしまった性愛を不潔なものとして、心のバランス

 

をなんとか保ち、子育てを含む日常の中で肥大化してしまった正義感と己の中に未だ

 

燻る「女」に翻弄されながらも怖いもの見たさで出会い系サイトや不倫に関する情報

 

に触れる自分がいる事に驚く女性も居る。

 

その女性にとって、あってはならない己の「驚き」を叩き潰すために、他人の不倫を

 

必要以上に攻撃する。その行為は、自分自身の「女の躰の本音」を攻撃していること

 

に、気が付いてはいない。

 

 

様々な不倫関する本を読んでみると「婚外セックスや婚外恋愛」を円満に行うために

 

は心身ともに健康で、経済的にも時間的に余裕を持ち、夫婦関係や家族関係が安定し

 

ていなければならないと書いてある。

 

つまりは、不倫相手との関係をマネジメントできるのは、夫婦・家庭関係が安定して

 

いる人のみと言う、そこには究極の「自己矛盾」が生じている。

 

そこで、求められるものは、婚外恋愛を相対化できるという精神的な安定と自立だ。

 

つまり、己の人生で、愛すべき人はきちんと愛することができてこそ、婚外恋愛が

 

成立するのである。

 

 

自分の恋路の進路は自分で決める。そこに責任があり、主体がある。現代人はあまり

 

に「良い子」でいすぎる。それは本当に良い子ではなく、良い子のふりをして、なん

 

とか「責任をとる」という行為から逃げているに過ぎない。

 

 

コンサルタントと呼ばれる人に「不倫」で相談にくる人を見ていて感じることは、何

 

とかして自分の人生に責任を取らないでおこうという姿勢である。自分で、自分の人

 

生に責任を取らないでいるのにはどうしたらよいかということばり考えている。

 

不倫で悩んでいる人は「結果責任を、どう逃れるか」ということばかり考えているか

 

ら悩むのである。

 

「避けられない責任」をなんとか避けようとするから悩むのである。つまり、何かを

 

相談に来るのではあるが、それは「かたち」だけである。

 

 

質問というのは皆「かたち」だけである。それでは何をしにくるのか、それは他人に

 

己の人生を決めてもらいに来ているだけなのある。

 

 

不倫における答えは概ね決まっている。別れた方がいいのか。こんまま続けた方いい

 

のか。しばらく会わない方がいいのか、このまま離婚しないで我慢した方がいいのか

 

別れるべきか。本人には、明らかに選択肢は見えているはずだ。悩んで「他人」に

 

相談するするということは「自分で決める」という「覚悟」と「勇気」がないから

 

自分で決められず、他人に決めてもらうということなのである。

 

 

不倫をするということは、男であろうが、女であろうが、肝が座っていなければなら

 

ない。常に、自分自身で決断しなければならない様々な「責任」というものが、伴う

 

ということ忘れてはいけない。

 

 

 

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