男が惚れる女・美しさと愛しさと

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男にとっても「別れ」は、辛いものだが、中高年になってからの「それ」は辛さの色

 

合いが全く違う。

 

若い頃の恋なら、理由がある程度分かるもので、「あのとき、あ〜しておけば良かっ

 

た」と悔やみ、やがて忘れ、気がつくとまた新しい恋に堕ちている。


 

でも、不倫と呼ばれる恋には、賞味期限があってその時期がくれば黙っていても消滅

 

するし、終わっても陽は差しては来ない。代わりに、なにも知らない「妻」の笑顔だ

 

けが、贖罪の気持ちともに眩しいだけだ。

 

 

妻の知らないところで、別な女と出会い、そして結ばれ、痴話ケンカをしては、その

 

勢いでまた肌を合わせる。

 

やがて別れが来て、ふっと我に帰ると「俺って何やってんだろう」と忸怩(じくじ)

 

たる思いに陥る。

 

 

こうした恋の物語は、最後まで隠し覆せた分だけ、終わってみれば、夢の如く女との

 

様々な出来事は、日常の喧騒の中に紛れ、消えていく。

 

 

しかし魅了された女の「美しさ」だけは、その匂いともに、胸に染み込んでいて男は

 

なかなか忘れられない。女の美しさは、様々な「女の様子」で成り立っていて実態が

 

なく、極めて精神的なものだからだ。

 

 

「美しい」という言葉ほど、わかったようでわからない言葉はない。

 

一般的には、容姿や姿・形などが綺麗で見映えのよいことを、美しいという。さらに

 

心や気持ちのように、精神、或いは「心もち」がきれいなことの形容詞にもこの言葉

 

をつかう。だからと言って、この言葉の本当の意味がわかったかというといまひとつ

 

ピンとこない。

 

 

顔や姿・形やがいいと言っても、人それぞれに「いい」と思う基準が違し、心持ちも

 

ある男にはきれいと映る心も、他の男にはずるいと映るかもしれない。結局、美しい

 

と言っても、見る人によって、千差万別、不明瞭で漠然としている。このような言葉

 

を、いわゆる抽象語と言って、言葉の具体的なイメージは意外につかまえにくい。

 

 

しかし、惚れた女の「美しさ」は違う。そこに「愛(いと)しさ」がまとわりつくか

 

らである。

 

古代においては、古語においては「美しい」は「愛しい」が原点で、昔の人は美しい

 

と表現した場合には、まず愛しいということが第一であった。

 

これは「男が女に惚れる」時には、極めて重要なことで、「美しい」の本当の意味が

 

「愛しい」だとわかると、「美しい」という抽象的な言葉が、急に艶かしく現実味を

 

帯びて、女の体温がよみがえり、体臭すら漂いはじめる。

 

 

男は、すべてを剥ぎ取った女に、挑むつもりであっても、その肢体の美しさに見惚れ

 

ているうちに惜しくなり、なおしばらくこのまま眺めていたい気持ちになる。

 

また、ことが済んで、シャワールームから出た瞬間に見せる一糸まとわぬ「後ろ姿」

 

に愛しさを覚え、「この女で良かった」と思う。男が、女への「思い入れの度合い」

 

を測るときには、ことが済んだ後の「残り香」が基準になる。

 

 

若いときは、ひたすら貪り尽くすことしかしなかったが、年を経た今はむしろ、その

 

肢体を「目で愛しむ悦び」を知る。やがて、ゆっくりとその美しさに、箍(たが)が

 

外れ、女に浸透するような欲望が生じ、目で愛しむ行為から、舐め回すような「視線

 

を這わせる」行為へと変わる。美しさと愛しさが交差するときだ。

 

 

惚れた「女」の美しさと愛しさは、心と視線でしか感じ取れない。この感覚の甘美さ

 

は、物理的な快感とは全く違う。年齢を重ねて初めてわかるものだ。

 

 

年齢を重ねた男の躰は、体力も落ち、いつも同じ速度で同じ方向に吹く西海岸の偏西

 

風のようなもので、淡々とし過ぎて変化に乏しい。だが、女の躰は、東海岸の台風の

 

ように、ときに瞬間風速何十メートルの暴風雨が吹き、ときに台風の目のようにぴた

 

りと風がやむ。

 

そんな、いったん荒れ狂うと何をしでかすかわからないエネルギーを秘めた女の躰に

 

男は「神秘性」が透けて見え、奥深く微妙な美しさに惹かれ、愛しさを感じてくる。

 

 

単に、美しい女はたくさんいるが、男が惚れる本当の美しい女とは、姿・形と装い

 

の美しさに加えて、一緒の居て「口にこそ出さない」が、なにをしでかすか分からな

 

いエネルギーと神秘性を持ち、その性に於いて、いつもなにかを期待させてくれるよ

 

うな「愛おしさ」を感じさせてくれる女のこという。

 

 

なぜなら、男は本来、性感に関して「熟する」ということがない。女のように苦痛か

 

ら快感になり、やがて「坂の上の雲」を掴むという進歩の過程がない。つまり、青年

 

期も老年期も、性感そのものには大して変わりがないのだ。

 

 

性の交渉で男が、特に中年を過ぎた男が求めるものは、女の「未知なる部分」であり

 

行為そのものより、そこまで到達する手続きとか、その時、そして、その前後の女の

 

反応の仕方である。この一連の流れが、美しく愛しいのである。

 

 

さらに、女は、相手の男が、その瞬間どのような取り乱し方をするかなどいうことに

 

は関心を示さない。そんなことへは目を向けないで、自ら目を閉じて快感に浸ろうと

 

する。そして、性を熟知した女には、自ら快楽を貪るといった感じすらある。そこが

 

男にとっては、最も美しく、愛しさを感じるところなのである。そこに、ただ美しい

 

だけの女とは、長続きしない理由もある。

 

 

 

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