愛すること、或いは、生きることに疲れた貴女は真面目に生きてきた。貴女は真面目

 

であることが望ましいことと思い、「真面目」を信じて生きてきた。

 

しかしその間、真面目な自分の「心の底」に何が堆積されているのか、注意を払わな

 

かった。

 

 

よく人は「人生に疲れた」と言う。「愛することに疲れた」と言う。

 

しかし、人生に疲れたのではない、愛することにも疲れたのではない。正確には、己

 

に内包する「憎しみ」を「抑圧すること」に疲れたのである。

 

 

その「憎しみ」は、過去に幼児的願望が満たされないで、自分を傷つけ続けて、訳の

 

わからないまま貴女の胸に内包されてしまったものである。

 

 

貴女は、幼児期に親から、期待通りになるよう責め立てられ、さらに「見返り」など

 

求められない「無償の愛」を得られなかった。だから今でも感情自体が矛盾している

 

のだ。心の中では不安と相手への愛着と「憎しみ」が、同時に発生している。

 

相手とは、幼児期には「親」だったが、今は「夫」や「恋人」含む、周囲の人々だ。

 

 

貴女は、確かに真面目に生きてきた。しかし、自分の憎しみの感情を吐き出すことは

 

なかった。他人の目、愛する男の気持ちを必要以上に気遣い、その「憎しみの感情」

 

を吐き出すことができないで、内的緊張をずっと強いられてきたのだ。

 

感情を爆発すれば、台風一過のように晴れ晴れする。しかし、貴女は「親」に強いら

 

れた「良い子」が故に、それができない。

 

 

心の底で思っていることを言わない人は「消耗」する。外側では何も見えないが、内

 

面ではものすごい「衝突」が起きて、生きる・愛するエネルギーが、相当分消耗して

 

しまっている。

 

 

きっと貴女の近くには、他人の目など気にせず、ポンポン言いたいことを言う人が居

 

るはずだ。そんな人は「心」は疲れてはいない。

 

いつも心の中で衝突を繰り返している貴女は、川の流れをいつもせき止めているよう

 

なものである。貴女の近くに居る「思ったことをポンポン言える人」は、川の流れが

 

スムースに流れている。だから疲れない。

 

 

貴女は、心の底で相手を、夫であれ、恋人あれ、憎しみながらも、「いい顔」をして

 

受け入れてきた。それが「消耗の原因」である。生産的で、前向きなことに使うべき

 

だった己のエネルギーを心の中の衝突で使い切ってしまった。

 

 

さらに、もう一つ消耗する理由がある。それは、貴女の心の底の「憎しみ」を周囲の

 

人に気付かれまいとするからである。自分の心の底の憎しみを、夫や恋人に気付かれ

 

まいとすることが、自分の中の「心理的な緊張感」を常に生み出して、本来、女性と

 

して生きる為に使うべきエネルギーを消耗してしまったのだ。

 

 

等身大の「ありまのまま」の自分をさらけ出して、文句を言うことは「いけない事」

 

で「良い子」のする事ではない。親からそう言われて育ってきたのだ。

 

貴女は親の愛の見返りとしての「良い子」でなければ、愛してもらえなかったのだ。

 

 

そんな貴女は、かろうじて「自分」を出す時には何かに、かこつけて表現しなければ

 

ならなかった。

 

憎しみをストレートに表現できないから「倫理や真理」を持ち出し、それを主張する

 

ことで、憎しみを吐き出そうした。

 

そうすることでしか「自分に堆積した怒り」を表現できない。つまり貴女には、自分

 

の「溜まったストレス」を吐き出す為には、誰もが反論できない「正論」を持ち出す

 

必要があるのだ。だから、夫や恋人、そして周囲の人々と上手くいかない。

 


 

貴女は、真面目に生きて、無理に笑って、夫や恋人のいいなりになって。言いたい事

 

も我慢して、親の望む理想的な「良い子」になって成長し、何か良いことがあったの

 

だろうか。

 

 

僕は、このブログでなんどか書いてきたが、愛情欠損症だった。結婚して、まともな

 

人間に触れることで、初めて自分の異常さを知った。

 

田舎を出るとき、母に言われた。「東京さ行ったら、みんなの言うことを、ちゃんと

 

聞いて、みんなに可愛がられる人間になれ」と。

 

だから、どんなに酷いこと言われても、上司の理不尽なイジメにあっても、僕は「良

 

い子」で居ようと、いつもニコニコ笑っていた。

 

初めのうちは、内面もなんとか誤魔化せた。しかし、気がつくと神経性の胃炎になり

 

膀胱炎になり肉体は確実に蝕まれていった。

 

 

なぜか、妻も僕をいじめてきた。そしてある日、僕は妻に向かって「爆発」した。

 

「君は僕の妻だろうッ。なんでそんなに意地悪なんだッ。もう、いい加減してくれ」

 

すると、妻は「それでいいのよ」と言いながら拍手をしたのだ。「あなたは、会社で

 

も家でも、なにをされてもニコニコして決して怒らないから怒るまで、わざといじめ

 

てやったのよ、東京で生きていくなら、いや、どこで生きていこうと、他人にいい顔

 

ばっかりしてたら、自分が損するだけよ」と言われた。

 

 

生きる上での世界観が変わった瞬間だった。それをきっかけに、様々な心理学の本を

 

読み漁って、やっと「本当の自分」と出会うことが出来た。

 

愛情欠損からくる幼児的願望を克服して、これが「本当の自分」と気付くのに数年を

 

要した。

 

 

僕の本当の姿は「良い子」からは、およそ程遠い生き物だった。

 

下品で、助兵衛で、女好きで、負けず嫌いで、短気で切れやすく、ケチで、金にならな

 

いことには興味なく、抱けない女にはお金は使わず、そして決して「優しく」もなく

 

とにかく、どうにもならない「最低な男」と気付かされた。

 

ここで大事なことは、「良い子」でなくても、「最低な男」でもちゃんと生きていけ

 

るんだ、と気づいたことだ。

 

 

しかし、どんなに醜い姿であっても、本当の自分を知ってからは、慢性胃炎も膀胱炎

 

もみんな治って気が楽になり、心から笑え、そして、大声で泣けるようになった。

 

こうして、本当の自分を知り得たからこそ、「ゼロ」からの「大人の人間作り」が始

 

められたのである。

 

 

生きることに疲れたとき、愛することに疲れたときは、今までの垢を落とす時なので

 

ある。休んで反省する格好の条件が整った時でもある。生きることに、愛することに

 

疲れた時は、「成長のため一里塚」であると自分に言い聞かせることが大切なのだ。

 

 

「あのような修羅場になったのは、自分の醜い迎合が原因ではなかったのか」、とか

 

「そう言えば、自分が勇気をもってイヤッと言ったことなかった」とか、「他人の目

 

ばかり気にして自分をちゃんと生きてこなかった」、「真面目に生きることが立派だ

 

と思ってきたが、単に ”他人に認めてもらいたい" という気持ちが強かっただけでは

 

なかったのか」或いは「本当に彼が好きだったのか、ただ孤独なるのが怖かっただけ

 

ではなかったのか」と、色々と思い当たることがあるのではないだろうか。

 

 

今、全てに疲れ切った貴女のやるべきことは、夫や恋人の期待に応えることではなく

 

それらのこと全て一旦止めて、だた「休むこと」である。

 

 

ただ綺麗な景色を見ていればいい。それでいい。好きな音楽があればそれを聴いて時

 

を過ごすことである。好きな小説があればそれを読んで時を過ごすことである。

 

美しい景色、心に響く音楽や、胸を打つ文学の中に、貴女の「心の底」に積もり積も

 

った「憎しみの感情のはけ口」を見つけることである。

 

もう、しばらく「女」として「妻」として「真面目」に頑張るのはやめよう。やめて

 

も、ちゃんと人生は、心は、紡いでいってくれるものだ。それが人生というものだ。

 

                          

 

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                          参考文献:加藤諦三氏著作

                               心理学シリーズ

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