一年前、母に財布をプレゼントした。

 

使っているものが古びたのでそろそろ買い替えたい、という母を店へ連れて行き、母が自分で選んだ財布を、私が会計して贈った。

 

しかし、いつまで経ってもそれが使われる気配がない。

 

あのとき選んだ財布、家であらためて確認したら少々好みと違ったらしいのだ。

あり得る話である。

 

それで私も、再度母を店へ連れて行った。母は前回よりももっと薄い財布を選び、再び私が会計して、プレゼントし直した。

 

 

前に贈った方は、私が引き取ろうかと提案した。2万円程の長財布である。

 

この財布は、私の好みでもない。

けれど、母の元で死んだままより、私がどうにかした方が良いだろうと思った。

 

母も母で、私への気まずさなど特に無い様子で、当たり前のようにその財布をこちらへよこした。

 

 

 

 

 

母へのプレゼントについては、小学生の頃に、なんとも言えぬ苦い経験がある。

 

修学旅行土産に買ったペンダントを、母へ渡したときのことだ。

まったく喜ばれず無反応だったのだが、それはまだいい。

 

そこからしばらく経って、自室を片付けていた母から、「これいる?」と聞かれたのである。

その手には、あのペンダントがあった。

 

私のあげたお土産、いらないからアンタ使うか?ということである。

 

知らない内に捨てられていた方がまだマシだったかもしれない。

そしたらこんな苦い記憶として、もう四十にもなろうかという私の頭に残ることも無かったろうから。

 

 

 

以来、「プレゼント選び」というものに非常なプレッシャーを感じるようになった。

プレゼントに下手なものをあげると、嫌がられると思ったからだ。

「我が子がくれたものなら何でも嬉しいよ」みたいなんもウソだなと。

 

ただしその後、私が贈るものを何でも喜んでくれる義両親に出会い、プレゼント選びの苦手意識もかなりのところまで消えた。

 

 

 

 

 

 

さて、母が選び、そして不要とされたあの財布のことだが、 あれを引き取ることを私が自ら提案したのは、自分の心を守るためだったと思う。

 

母からまた「要らない」と言われる前に、こちらから口に出してしまえ、と。

 

 

母の特性を理解した今なら、やっぱり要らないと言われてもハイハイと笑っていられる気はする。

 

しかし贈ったはずの財布がこうして実際に私の手元にあるというのは、やはり気持ちの良いものではなかった。

過去の修学旅行土産の記憶までもが、同時に蘇ってきてしまうからだ。

 

 

使うたびにいろんなことを考えてしまいそうで、まだピカピカのこれ、リサイクルショップでお金に戻すことにした。

さっさと手放すのがいいだろう。

 

千円くらいにでもなってくれれば、私の気持ちも浮かばれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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