彼が怪我をして入院した。
幸か不幸か、私が通勤時に通りかかる病院に入院する事になったので、仕事が終わってからは毎日お見舞いに行った。毎日、面会時間ギリギリまで一緒にいた。
責任感の強い彼は、流れてしまったプロジェクトの事を悔やんでいた。
私以外にもいろんな人がお見舞いに来られた。
彼を通じて仲良くなった顔見知りの人。
病室で初めましての挨拶をした人。
でも何故か、お母さんがお見舞いに来られる時には、もういいから今日は帰ってと急かされた。
どうして結婚したいと言うのに、お母さんには会わせてくれないんだろう。と思ったが、彼には彼のタイミングがあるのだろう。と気にしないようにした。
じゃあ帰るねと言って病室を出てエレベーターに向かう途中、廊下で一人の白髪の女性とすれ違った。
まさか?と思って振り返ると、その女性は彼の病室へと入って行った。
彼の母親だった。
70代くらいの女性だった。
一瞬の印象でしかなかったが、しっかりとした足腰で歩いておられ、白髪ではあるが髪質はとても綺麗でボリュームがあり、それが若々しい印象を与える女性だった。
「昨日お母さんらしき方をお見かけしたかも」
彼に言った。
彼は表情を変えず
「俺の母親7○歳なんだよね」
と言った。
そこから色々話してくれて知ったのだが、彼はお母さんが40代半ばにして産んだ長男だった。一つ下の弟さんと二人兄弟。
父親は彼が高校生の時に急逝したらしい。
その他にも、色々と生い立ちを話してくれた。
今まで彼のご両親の話を、ここまで深く聞いたことがなかった。そういう機会がなかったのではなく、今思えば彼に適当に流されていたような気もした。
そういう話題になったとき、私の両親の話に切り替えて自分の話を一切しなかったように思う。
高齢の母親の事を結婚する上で彼はネックに思っていたから、その話題を避けていたのか?
それとも私がそれを負担に感じで、怖気づいて逃げると思ったのか。
今は元気でも、近い未来(少なくとも10年以内)に痴呆なり介護が待っているだろう。
私に不安を与えたくなかったのかな。と思った。
私は、結婚とはそういったことも含めてだと思っている。実際に自分の母親が、義母を介護する姿も見てきた。
それに大好きな彼のお母さんだ。是非とも仲良くなりたいと思ったし、大変なのは百も承知で何があっても力になりたいと思った。
今回私が切り出したから話してくれたものの、もし私が黙っていたら彼はいつ母親の事を打ち明けてくれたのだろう。
結婚と言うワードを出す割に、そういう話題を避けていた彼にモヤモヤした。
入院中は彼に余計な心労をかけたくなくて何も言わなかった。
母親の事を打ち明けてくれた後も、母親がこれから来ると分かったら、私を病室から追い出した。もういいから帰って。と。
エレベーターが一階に着いた時、入れ違いでエレベーターに乗り込もうとするお母さんとすれ違った。
向こうは気づいていない。
私は彼の母親だと知っている。
なんだかもどかしかった。軽く会釈はしつつも、何も知らない他人のふりをした。
お母さんは私の存在にすら気付いていなかった。
どこか虚しかった。
彼は結婚を意識して交際している相手がいるということを話しているのだろうか。
「結婚したい」
彼の言葉は果たして本心なのか。
疑ってしまった。