幕末・維新紀行in America(ペリー②) | 駐在員さん 〜2周目のアメリカ生活〜

駐在員さん 〜2周目のアメリカ生活〜

米国、一時フランス、中国、米国再駐で通算25年加算中。慶應大文学部卒。経営ノウハウの学術化を目指し、仕事の傍ら米アイビーリーグのブラウン大学の大学院で勉強してます。
延べ21年目のアメリカAnother Skyから発信します。


冒頭は前回の繰り返しです。


海軍高官一家の家庭で生まれ、兄オリバーは独立戦争の会戦でアメリカ側に決定的な勝ちの流れを作ったエリー湖の戦いで勝利、アメリカ史の英雄です。
マシューも海岸に入り東インド艦隊の提督として日本に黒船に乗って来訪、開国への流れとなる堰を切った人物として説明不要なくらい有名。
開国といってもペリーは捕鯨船の擁護と補給を主目的にした開港が第一目標。通商はあわよくばという位置付けでした。

ペリー家と慶應義塾

マシュー・ペリーの穴オリバーの孫、トーマス・サージェント・ペリーは慶應の英文学の教師。縁があるのです。




ゆかりの他(2)

近隣にはペリーの①生家、②育った家、③墓があります。生まれたのは私の会社の隣町のサウスキングスタウン。その後ニューポートで育ち、ニューヨークで亡くなったのですが、ニューポートで葬られました。(①〜③は地図に対応)



今回は②と③ニューポートの家とお墓へ。


​先ずはお家から

ハーバーに面したところには18世紀-19世紀に建てられた家が多く、しっかり保守されてて古さを感じない。

小さな家ですがカラフルに彩られててかわいい。




この旗は最終的に独立宣言するまでの間、13植民地が大英帝国に対するロイヤリティを示すものとして使われた僅か2年だけ使われた旗。



ペリー宅

1750年に建てられたペリーが子供の時に住んでた家。国の歴史的建造物として登録されています。


どの部屋にいたんだろうとか思い巡らせたり。



今と昔

改造が加えられてますが、リフォームを繰り返してきたことが分かります。



国の歴史的な財産として登録されていることを示すレリーフ。


家の正面から海の方に目をやると海が見える。

こんな光景を見ていたんだろうな。



Touro Park

ニューポートのハーバーから丘を登っていくとある公園。ペリーの像が建てられてます。何故か横に日本の灯篭があります。Touroとは人物名。ダジャレか?




ペリー像と石灯籠。




レリーフが埋め込まれてて、黒船来航時の幕府役人との交渉の様子が刻まれている。何か上から目線的だな。



正体不明の石灯篭

天保12年に小田原城主から東叡山(寛永寺)に寄贈したものだったことは読み取れる。

何でここにあるのか、経緯はよく分かりません。




ペリーが眠る場所

ペリーの一族の墓所です。石板一つ一つが墓石。


ペリー提督の墓。

ペリーは余生をニューヨークで過ごしてましたが、亡くなるとここに葬られました。ニューポートを愛してたのですね。


未亡人がペリーへの想いを届けるために建てた石碑です。