Q6 ビリンの運動で変化を起こしたことは何ですか
変わったことは私たち出した告訴によってイスラエル最高裁は、壁によってイスラエル側に取り込まれた土地において入植者が新たな建設を禁止する判決を出しました。他には新しい入植者がこの土地に住むことは許されませんでした。
しかし2週間前、入植者がこの土地に来て建物を占拠するということもおきました。このようなことを続けることは違法なのです。彼らは私たちに広い範囲にわたって壁のイスラエル側にある土地をこれまでに返すに至っています。以前では、これらの土地はイスラエルのものとなっており、彼らは木々を抜き取りそこに家を建てることを望んでいます。しかし、それはできなくなりました。1年前に彼らはその土地を返却し、私たちがそこに家を建て、そこに行き24時間だけ居ることができるようになったのです。そこで寝て、働き、寝ることができるのです。
また他には、たとえば西岸地区の壁には北から南まで至る所にゲートがあります。私たちパレスチナ人はいかなる所でも許可証がなければ通ることはできません。占領地から壁の向こう側には行くには許可証を作らなければ行くことはできないのです。しかしビリンでは、今まで許可証は持ったことはありません。彼らが許可証を作りに行けといってもそれを拒否しました。なぜなら自分たちの土地に許可証なしで行きたいと思うからです。
今、私たちパレスチナ人はビリンからは、自分たちの土地に許可証なしで行くことができます。そこに住み、働き、その土地で作りたいもの作ることができる。約2週間後に出されるイスラエル最高裁の判決はゲートを閉鎖し、私たちの土地を没収することを許すかもしれません。しかしこの2年間はそれがないままできています。
最初に運動が始まってから今まで、壁は建てられたが、それ以上の侵入は許していない。私たちの闘いは壁を壊し、私たちの土地を元に戻すことであり、グリーンラインまでを国境とすることです。ここからグリーンラインまでは6、7キロです。最大に押し戻して西へ約六キロなのです。今までは、壁をそれ以上動かすこともさせず破壊もさせませんでした。2年間のこの運動で約800人の若者が負傷し、50人の若者が逮捕されました。それでも私たちは壁のすぐ近くに(入植者が)家を建てさせることはさせませんでした。壁の東から200メートルは(入植者が)家を建てる許可をさせていません。
また、破壊されている経済的資源についても話させてほしい。私たちはオリーブの木を経済的に頼って生きている。今私たちは、壁の向こう側の自分たちの土地に行くことはできます。そこに行くことはできる。しかし、何人かの若者は壁の向こう側に行くことを恐れ、壁の向こう側の土地で働くことをしていません。この為に壁の向こう側に行くことを恐れているいくつかの家族はこの2年間において、1年で200リットル生産できるはずのオリーブオイルを20リットルとか10リットルだけしか生産していません。(結論として、この話は実際には土地に行くことを闘いで勝ち取っているが上記のような被害は受けているということ。)
私たちの村はヨーロッパで、世界で有名になりました。ビリン村を支援してくれる多くの人が世界中から来てくれました。有名な人としてはヨーロッパの議員、ルイザ・モルガンティーニ(欧州議会議員)、マリエッド・コリガン・マグウァイア(アイルランド人ノーベル平和賞受賞者)などが来て会議を共有してくれました。このように有名になっていくことでさらに世界から多くの人がビリン村を支援しに来てくれるようにもなっています。
Q7 私はある日本人の活動家に今の状況を聞くと、とても厳しい状況であると彼は言いました。占領の進行のペースはとても速いです。この先をどう思っていますか。
貴方たちは言っている。占領の進行は早く、イスラエルは壁の建設を完成させようとしていると。西岸地区には入植者の建物がたくさんあります。これでは将来に平和を作ることはとても難しい。パレスチナ人の村と村との間に入植地が建設されていて、そのことがいっそう問題を悪化させています。わたしたちは、日本から来たたくさんの支援者を得ました。私たちには友人がいる。1年前です。彼は毎週金曜日のデモに来て、たくさんの日本人を連れてきてくれました。彼は堀越行清といい、僧侶です。彼は本当に毎週このデモを支援してくれました。多くの日本人が私たちを支援するためにここを訪れてくれました。まずはそれに対し、ありがとうと言いたい。私たちパレスチナ人、そして私たちの国の為に、占領に反対するために来てくれたのです。
占領の進行は早いです。占領には第一に入植地、第二に壁、第三に町や村の間に設置された道路封鎖、検問所があります。それらは私たちの生活をとても悪いものにしている。困難を与えている。私たちは町と町の間を移動するのに、4時間、5時間を必要とする時もあります。ラマッラからナブルスに移動するのに実際は30分ですむのです。検問所、入植地そして壁は私たちの生活を悪くし、将来に亘って私たちが平和を創ること、独立国家を創ることを困難にするでしょう。
私たちは自分たちの土地を占領されている。しかし、わたしたちは闘いを続けたいと思っています。私たちはわかっている。この闘いが10年、20年続くと言うことを。この闘いが1ヶ月、1日、1時間で終わるとは思っていません。ガンジー、マーティン・ルーサー・キング、マンデラらや他の人々も国家を独立させることに多くの時間を費やしているのです。私たちは壁を壊すのに10年はかかるかもしれない。村の占領に対し、私たちが壁を壊すまで戦い続けることができれば、占領は終わるのです。
Q8 どのようにイスラエルの占領を止めることができるのですか。イスラエルの占領とどのように闘っていくべきかあなたの意見を教えてください。
第一次インティファーダは投石する以上の暴力を行使することはなく、非暴力的な方法を使い、それが人民の間の中心的な運動となり、それが世界中にそのまま伝わりました。しかし、第二次の方は投石するだけでなく、銃を使うという手段が人民の間の中心となってしまった。ビリン村について言えば、私たちの戦略や考えを伝えるために多くの場所を訪れたいと思っている。私たちは多くの村に行きます。
自分たちの経験をどの村も必要としています。なぜなら彼らが同じ戦略を取れば、壁を壊し、占領の終結を成し遂げることができるからです。私たちは南へも北へも行っている。私たちはサルフィットのマルダという村に行き、そこで非暴力運動に関する講義、訓練を初めて行い一緒に行動も起こしました。他にも私たちの村の近くのベイト・シーラ村、ビドゥ村、ブドルス村などに行きました。ベツレヘム南のアムサラムナ村にも行きました。
私たちはそこでトレーニングを行い、今までやってきたことについて、カンファレンスを行った。そこでは壁に反対することだけでなく、検問所、入植地、囚人解放など多くの問題に対して非暴力的な方法で運動ができることを話しました。私たちは今まで、パレスチナ人にトレーニング、カンファレンスを通して話しをしてきた。それだけでなくメディアやインターネットでもです。
皆が助けを、私たちが行くことを必要としています。ビリンの運動を支援してくれたインターナショナル、イスラエル人と共に、パレスチナの村を訪れこれまでの経験を話します。私たちが行ったことを人々がすれば、目的は達成できる。ビリン村の単独での闘いはとても困難がありました。未来における私たちのゴールにはおそらく多くの時間が必要です。しかし、もしパレスチナの全ての村や町が非暴力直接行動を創ることを欲すれば、短い期間で目的を達成できるのです。それは何年とかいう話ではなく数ヶ月になるはずです。












