Q6 ビリンの運動で変化を起こしたことは何ですか

変わったことは私たち出した告訴によってイスラエル最高裁は、壁によってイスラエル側に取り込まれた土地において入植者が新たな建設を禁止する判決を出しました。他には新しい入植者がこの土地に住むことは許されませんでした。

しかし2週間前、入植者がこの土地に来て建物を占拠するということもおきました。このようなことを続けることは違法なのです。彼らは私たちに広い範囲にわたって壁のイスラエル側にある土地をこれまでに返すに至っています。以前では、これらの土地はイスラエルのものとなっており、彼らは木々を抜き取りそこに家を建てることを望んでいます。しかし、それはできなくなりました。1年前に彼らはその土地を返却し、私たちがそこに家を建て、そこに行き24時間だけ居ることができるようになったのです。そこで寝て、働き、寝ることができるのです。

また他には、たとえば西岸地区の壁には北から南まで至る所にゲートがあります。私たちパレスチナ人はいかなる所でも許可証がなければ通ることはできません。占領地から壁の向こう側には行くには許可証を作らなければ行くことはできないのです。しかしビリンでは、今まで許可証は持ったことはありません。彼らが許可証を作りに行けといってもそれを拒否しました。なぜなら自分たちの土地に許可証なしで行きたいと思うからです。

今、私たちパレスチナ人はビリンからは、自分たちの土地に許可証なしで行くことができます。そこに住み、働き、その土地で作りたいもの作ることができる。約2週間後に出されるイスラエル最高裁の判決はゲートを閉鎖し、私たちの土地を没収することを許すかもしれません。しかしこの2年間はそれがないままできています。

最初に運動が始まってから今まで、壁は建てられたが、それ以上の侵入は許していない。私たちの闘いは壁を壊し、私たちの土地を元に戻すことであり、グリーンラインまでを国境とすることです。ここからグリーンラインまでは6、7キロです。最大に押し戻して西へ約六キロなのです。今までは、壁をそれ以上動かすこともさせず破壊もさせませんでした。2年間のこの運動で約800人の若者が負傷し、50人の若者が逮捕されました。それでも私たちは壁のすぐ近くに(入植者が)家を建てさせることはさせませんでした。壁の東から200メートルは(入植者が)家を建てる許可をさせていません。

また、破壊されている経済的資源についても話させてほしい。私たちはオリーブの木を経済的に頼って生きている。今私たちは、壁の向こう側の自分たちの土地に行くことはできます。そこに行くことはできる。しかし、何人かの若者は壁の向こう側に行くことを恐れ、壁の向こう側の土地で働くことをしていません。この為に壁の向こう側に行くことを恐れているいくつかの家族はこの2年間において、1年で200リットル生産できるはずのオリーブオイルを20リットルとか10リットルだけしか生産していません。(結論として、この話は実際には土地に行くことを闘いで勝ち取っているが上記のような被害は受けているということ。)

私たちの村はヨーロッパで、世界で有名になりました。ビリン村を支援してくれる多くの人が世界中から来てくれました。有名な人としてはヨーロッパの議員、ルイザ・モルガンティーニ(欧州議会議員)、マリエッド・コリガン・マグウァイア(アイルランド人ノーベル平和賞受賞者)などが来て会議を共有してくれました。このように有名になっていくことでさらに世界から多くの人がビリン村を支援しに来てくれるようにもなっています。



Q7 私はある日本人の活動家に今の状況を聞くと、とても厳しい状況であると彼は言いました。占領の進行のペースはとても速いです。この先をどう思っていますか

貴方たちは言っている。占領の進行は早く、イスラエルは壁の建設を完成させようとしていると。西岸地区には入植者の建物がたくさんあります。これでは将来に平和を作ることはとても難しい。パレスチナ人の村と村との間に入植地が建設されていて、そのことがいっそう問題を悪化させています。わたしたちは、日本から来たたくさんの支援者を得ました。私たちには友人がいる。1年前です。彼は毎週金曜日のデモに来て、たくさんの日本人を連れてきてくれました。彼は堀越行清といい、僧侶です。彼は本当に毎週このデモを支援してくれました。多くの日本人が私たちを支援するためにここを訪れてくれました。まずはそれに対し、ありがとうと言いたい。私たちパレスチナ人、そして私たちの国の為に、占領に反対するために来てくれたのです。

占領の進行は早いです。占領には第一に入植地、第二に壁、第三に町や村の間に設置された道路封鎖、検問所があります。それらは私たちの生活をとても悪いものにしている。困難を与えている。私たちは町と町の間を移動するのに、4時間、5時間を必要とする時もあります。ラマッラからナブルスに移動するのに実際は30分ですむのです。検問所、入植地そして壁は私たちの生活を悪くし、将来に亘って私たちが平和を創ること、独立国家を創ることを困難にするでしょう。

私たちは自分たちの土地を占領されている。しかし、わたしたちは闘いを続けたいと思っています。私たちはわかっている。この闘いが10年、20年続くと言うことを。この闘いが1ヶ月、1日、1時間で終わるとは思っていません。ガンジー、マーティン・ルーサー・キング、マンデラらや他の人々も国家を独立させることに多くの時間を費やしているのです。私たちは壁を壊すのに10年はかかるかもしれない。村の占領に対し、私たちが壁を壊すまで戦い続けることができれば、占領は終わるのです。

Q8 どのようにイスラエルの占領を止めることができるのですか。イスラエルの占領とどのように闘っていくべきかあなたの意見を教えてください

第一次インティファーダは投石する以上の暴力を行使することはなく、非暴力的な方法を使い、それが人民の間の中心的な運動となり、それが世界中にそのまま伝わりました。しかし、第二次の方は投石するだけでなく、銃を使うという手段が人民の間の中心となってしまった。ビリン村について言えば、私たちの戦略や考えを伝えるために多くの場所を訪れたいと思っている。私たちは多くの村に行きます。

自分たちの経験をどの村も必要としています。なぜなら彼らが同じ戦略を取れば、壁を壊し、占領の終結を成し遂げることができるからです。私たちは南へも北へも行っている。私たちはサルフィットのマルダという村に行き、そこで非暴力運動に関する講義、訓練を初めて行い一緒に行動も起こしました。他にも私たちの村の近くのベイト・シーラ村、ビドゥ村、ブドルス村などに行きました。ベツレヘム南のアムサラムナ村にも行きました。

私たちはそこでトレーニングを行い、今までやってきたことについて、カンファレンスを行った。そこでは壁に反対することだけでなく、検問所、入植地、囚人解放など多くの問題に対して非暴力的な方法で運動ができることを話しました。私たちは今まで、パレスチナ人にトレーニング、カンファレンスを通して話しをしてきた。それだけでなくメディアやインターネットでもです。

 皆が助けを、私たちが行くことを必要としています。ビリンの運動を支援してくれたインターナショナル、イスラエル人と共に、パレスチナの村を訪れこれまでの経験を話します。私たちが行ったことを人々がすれば、目的は達成できる。ビリン村の単独での闘いはとても困難がありました。未来における私たちのゴールにはおそらく多くの時間が必要です。しかし、もしパレスチナの全ての村や町が非暴力直接行動を創ることを欲すれば、短い期間で目的を達成できるのです。それは何年とかいう話ではなく数ヶ月になるはずです。





今年8月、ビリン村のデモに参加後、アブダッラーさんにインタビューをさせていただいた。彼はその日の報告をネットメディアなど、必要なところに手早くレポートを送信すると快くインタビューに応えてくれた。インタビューは彼の自宅の1階で行われた。



インタビューに応えてくれたアブダッラーさん.自宅を外国人活動家にも解放している


Q1 あなたのプロフィール(名前、年齢、職業など)と何か日本に紹介することがあれば話してください。

私はアブダッラ・アブ・ラフマ。ビリン村に住む36歳です。ビルゼイト(ラマラ近郊の都市)の高校で国語(アラビア語)の教師です。そして、私はビリンのPopular Committee against the Wall (壁に反対する人民委員会)のコーディネイターでもある。私がこの委員会を組織したのは、3年前で、イスラエル軍が現れ、私たちの土地を破壊し、壁を建設し始めたことがきっかけ。この家は私の家ですが、活動の為に集まってきたインターナショナルに1階部分を開放し住めるようにした。必要なものもできるだけ用意するようにしている。毎週の金曜日のデモの前日には人が集まり、その準備の為に会議を開いたりもしています。

私の家はこの村の農家でもある。今、私たちの農地は壁の向こう側(イスラエル側)にあります。私たちは土地が返されるまで闘うことを決めました。それは私たちの家族、子供たちが将来もここで働くことが出来る為だ。私たちはこの土地、資源を拠り所にしていますし、そして将来もこの村に家を建て住んでいきたいと思っています。

Q2 今日のデモの状況(817日現在)と外部へのメッセージを教えてください

いつもと同じように今日もデモを行いました。毎週金曜日、私たちは集まり、新たなメッセージを持っています。わたしたちがなぜこの様な活動をやっているのかをメッセージとしてメディアやイスラエル兵に向けて発している。今日の私たちのメッセージは、私たちの土地を占領している入植地に対するものだ。私たちは彼らの破壊を認識している。その破壊とは入植地を建設している建設会社がメタテヤフーイースト(ビリン村の土地を没収して建設している入植地)に新しく入植者の為に家を建設しているということ。この会社は私たちのビリン村の土地を完全に破壊し、入植者は新しい家を建て、住み、占領しました。



私たちが認識しているのはイスラエル最高裁が、その新たな建設を中止し、既にある家に住むことを禁止しているということ。全ての人々、全ての人々のメッセージは、私たちが自分たちの土地に住み続けたいということ。入植者は私たちの土地から立ち去ってほしいということです。私たちは、最高裁の最終判決を待っているのです(94日に出た)。

そして今の私たちの状況(土地を半分奪われている状況)から運動と裁判闘争を続けることによって段階的に土地を持てるようにしていきたいと思っています。私たちは今日も多くの外国人、イスラエル人を迎えた。そして、もちろん多くのパレスチナ人もデモに参加しました。私たちが壁によって没収された土地に到達しようとした。しかしイスラエル兵は私たちにたくさんの催涙弾を浴びせることによって、それを妨害しました。

催涙弾によって、デモ参加者の多くが苦しみを受けた。そして、5人の負傷者を出しました。それでも神のご加護で、いずれも重傷には至りませんでした。しかし、私は今日の状況を全然いいとは思っていない。兵士たちは私たちの多くに暴力を振るった。私たちは手を上に上げ、撃たないでくれと叫び、先へと進もうとした。私たちはこの運動を非暴力で貫こうと考えている。しかし、兵士たちは私たちを家に帰らせようと催涙弾やラバーブレッド弾を撃ってくる一方だったからです。

Q3 ビリン村とビリン村の占領について教えてください

1800人の人々が住むビリン村のオリーブ畑は合計で4000ドナム(1ドナム=1,000㎡)あります。しかし、壁によって2300ドナムが没収されているのです。これはこの村の58%の農地が奪われたことになる。オリーブは村人によって植樹され農家の重要な収入源になっています。オリーブの木は壁によって没収されたものと壁の建設によって破壊されたものをあわせて1000本を失っている。そして、今も私たちは自分たちの農地へ行くことは難しい状態にあり、1番の収入源が絶たれているのです。

ビリン村はちょうどエルサレムとテルアビブの間に位置し、ラマラから16㎞、エルサレムから25㎞の所にあります。テルアビブとエルサレムのちょうど真ん中に位置するこの村は豊かな土地で、戦略的にも入植者、イスラエルにとって重要なのです。

彼らは私たちの土地をほしがっている。この地域に入植地を建設し、入植者を住まわせようとしているのです。他にもある情報では、この地に大きな地下水脈があるということ。それゆえ彼らはこの土地を壁によってイスラエル側に取りこむということを行っている。私たちの土地を奪い、水資源もイスラエル側、入植者たちに使われることになるのです。

歴史的に昔から私たちの村は小さいですし有名なわけでもなく、働くにしても普通の生活を営み、近隣同士にも何も問題はなかった。イスラエル人とも問題はなく平和な所でした。


しかし、彼らは私たちの土地を奪い、私たちと争うようになり、私たちの土地を分割するような壁を建設するようになった。それに対し私たちは運動を起こすことになりました。この行動は毎週行われるようになり、3年目を迎えているのです。最初は、アイディアも創造的なものも、何もなかったが、私たちの活動はインターナショナル、パレスチナ人が一緒になって行動を起こすことになりました。ヨーロッパ、アメリカ、日本、中国、その他の外国人たちが私たちの闘いをサポートし、この行動が続いているのです。

------途中中断。。



ラフマ、催涙弾の後遺症で苦しむ(インタビュー中断)終わったら、シャワーを浴びて服を変えないとね。





彼の家には今までにイスラエル軍が放擲した催涙弾の円筒が保管されていた。そのままにしておけば、土壌汚染にもつながる。




------仕切りなおし


Q4 2年半続いた活動はどのように始められ創られていったのか、そしてこの先に何を見ているのか。この運動はどのように続いていくのか。

この運動の話が始まるのは、最初、イスラエル軍が私たちの土地に壁を建てることを宣言した時。村の人間で会議を開き壁の危険性について話しました。私たちは闘いを組織しなければならない、何があってもこれを止めさせなければならないとしました。

最初に、この委員会をどのようにしていきたいかを人々と話しあいました。この委員会に参加したい人、村役場の人々、組合の人々などが集まり委員会を組織し、闘争の準備など全ての取り決めをここで行った。

そして、私たちは、運動を支援してくれるイスラエル人や外国の平和団体とコンタクトを取った。ビリンを支援してくれる人、パレスチナを支援してくれる人、占領に反対する人々とです。そこでは、話し合いの決定、何をしたいのか、どの様に継続していくのかが話し合われていきました。

私たちは活動を起こすために毎日でも話し合いをしたいと考え始め、最初の方は週に2、3回話し合う機会を持った。今は3週間ごとに話し合う機会を持っています。私たちはこの様にして委員会を創り、会議、運動の準備を行いました。

そこでは、私たちを支援してくれる多くのイスラエル人、外国人が参加し、私たちにアイディアを出して助けてくれた。私たちの最初の行動はオリーブの木を守るためにオリーブにしがみつくことでした。ある日、イスラエル兵が来て言った。明日、オリーブの木を抜き取ると。なぜなら、ここに壁を建設するからだと彼らは言った。

この時、私たちはわかったのです。彼らが何をしたがっているのかということを。私たちは決めた。オリーブ畑に行き、オリーブの木を守るために木にしがみつくことを。そして、このことは様々形で人々に伝わりました。この活動で私たちは有名になった。多くのメディア、多くの人々が私たちに「私たちの委員会は何をしているのか」と話しかけてきました。



このことで私たちは同じ様な活動をすることを決め、新しいアイディアがないかを話し合った。様々な方法をです。私たちは、例えばこんなことをして運動を続けました。ブルドーザーが私たちの土地に来るのを防ぐために自分たちで道路に樽を置き閉鎖しようとしました。さらにはブルドーザーの土地破壊を防ぐために、私たちの体で彼らを止めるために壁をつくった。さらには木枠でできた箱を並べました。さらには金属の檻や絞首刑台を作り、占領の不当性を訴えたのです。

わたしたちは色々な新しい方法を使いました。このために、メディアは毎回の行動の度に「ビリンでは次に何が起きるのか」というふうになり注目してきました。また、メディアは行動していく人々を勇気づける。なぜなら、もし私たちの活動を誰も見ることがなければ、何も意味がいないからだ。多くの人が私たちのアイディア、活動を見ること、とりわけイスラエル人、政府、兵士、に「ビリン村がしていることは何なのか?」ということを一休みさせて考えさせること。このことが私たちを勇気付けているのです。

また、メディアが「次のビリンは何だ」として来て、写真やビデオを撮り、雑誌や新聞、インターネットに記事を書きビリンに何が起きているかを伝える。これによって私たちは毎回の会議で「私たちは何がしたいのか」「次に何をするべきか」ということになる。それに対し兵士たちは驚き、金曜日のデモの前日の木曜日に「どのようにすれば運動を破壊することができるのか」を計画します。

これに対し私たちは次の金曜日向け、会議で新しいアイディアを考える。「どうす                         れば、兵士たちを驚かすことができるのか」を。私たちは新しいアイディアを考え続け、毎週金曜日にこの場所でデモを続けた。さらに他の運動も考えるための会議をたくさん持ちました。そしてその結果、壁の向こう側(イスラエル側)に家を建て、会議をし、私たちをサポートする多くのことに使いました。私たちはそこでサッカーをしたのです(没収された土地でサーカー競技場の開会式を行い、多くの外国人と共に違法入植地建設反対とこの土地が分離壁のルートになることに反対した)。私たちはこの様な創造的な部分を多くの運動に加えました。

私たちの委員会中心メンバーは同じ世代で構成されている。36歳とか37歳とか34歳とかです。私たちは友人であり、お互いを信頼しています。教師や大学院に通っていたりします。私たちはお互いがどこで何をやっているのかを知っている。そして、古い年代の村の人たちも私たちを信頼し、私たちを助けてくれています。

私たちは人々に言いたい。私たちはファタハやハマスや他の党を作ろうとしているのではなくパレスチナの為に私たちの村を作っている。私たちは協同したいのです。いつでもパレスチナ人はガザでファタハとハマスが衝突しているなどということを話している。私たちはパレスチナ人に言いたい。殺しはやめなさいと。私たちの運動はお互いの争いを止めることであり、ファタハとハマスの連帯を作ることです。私たちの運動はパレスチナ人に対する多くのメッセージがある。パレスチナ人には内戦を止め、イスラエルには壁の建設を止めてくれという別のメッセージがあるのです。

私たちが続けていることはファタハでもハマスでもないのです。私たちは人民委員会なのです。この村に住む人間で占領に反対している。第一に占領に反対しているのであって、対イスラエル、対ユダヤ人でもない。なぜなら、イスラエル人は私たちの家に来て共に食事をし、私たちと良い関係を作り、そしてパレスチナ人を助けてくれているからだ。彼らは占領に反対し闘っています。友人なのです。

イスラエル人、ユダヤ人とか誰かということではなく、第一に占領がある。私たちはイスラエル兵にメッセージを送っている。人間として反することに反対しているのだと。「私たちには占領が存在し、土地を破壊され、入植者のためにオリーブを根こそぎにされ家が破壊されている。それを終わらせるのだと。」

Q5 今の政治状況をどう思うか

私たちには占領があります。それに向かって動き、闘わなければならない。お互いに争いあう時ではない。ファタハがガザでやったこと、それに対してハマスがやっていることも良くないことだ。なぜなら、私たちは一緒になって占領を止める計画に向かっていかなければならないから。パレスチナ独立国家建設の闘いに私たちが皆で立つことが勝利であって、私たちは他の段階に動くことができるのです。今の私たちの民主主義はファタハかハマスかになっている。しかし、占領がある今はパレスチナ人の間では困難が続いています。占領下においてアメリカこそがファタハとハマスとの争いを望んでいるのです。

もしお互いの潰しあいをしていれば、国家建設についてイスラエルに何も言わなくなるし、誰も壁を壊すべきだということを言わないし、入植者を撤退させるべきだということも言わなくなるし、囚人問題も取り上げなくなる。他のことも何も言わなくなる。占領者こそがガザでハマスとファタハに起こったようなことを望んでいるのです。(下へと続く)


ビリン村の壁建設反対デモは毎週金曜日に行われている。今年八月、そのデモに参加した。お昼過ぎに村に着くとモスクの礼拝が終わり、人々が集まりだした。そしてイスラエル人、他外国人も連なり村の土地を分断している鉄柵=壁に向けてデモ行進は始まった。鉄柵の向こうにはパレスチナ人のオリーブ畑があり、さらに奥には入植地が見える。鉄柵付近に到達した。イスラエル軍部隊がデモ隊を威嚇するように待ち構えていた。デモ隊が鉄柵に近づこうとした途端にイスラエル軍は催涙弾を放ち、その後ラバーコートスティール弾(鉄をゴムで覆ったもの)の銃撃が続いた。デモの度に負傷者、逮捕者を出しながらもこの闘いは年半続いている。デモ終了後「ビリン壁に反対する人民委員会」中心メンバーの人、アブダッラー・アブ・ラフマさん(36)にビリン村の闘いについて話を聞いた。

ビリン村と入植地

 ビリン村は人口約千八百人の小さな村。人々の多くがオリーブ畑を主体とした農業を営んでいる。しかし、イスラエルによる壁建設はこの村の58%にもなる約二千三百ドナム(ドナム=一千㎡)の農地を奪った。それは、収入源の大半を失われたことと等しい。また、テルアビブとエルサレムのちょうど真ん中に位置するビリン村は地下水脈もあり、イスラエルにとって戦略的に重要な場所になっているという。ビリン村と壁を挟んで向かいあうモディン・イリット入植地群の建設は八0年代にグリーンラインを超える形で始められた。ここ8年間で3.5倍も増加した人口は約三万三千人に達し、西岸地区では第番目の大きさだ。そして、この入植地群でビリン村の土地を直接奪う形で建設されたのがメタテヤフー・イースト地区だ。(地図参照、入植地の東端で一番ビリン村側に食い込んでいる地区http://www.bilin-village.org/english/maps/index2

 この地区の建設計画は九〇年代から入植地建設が拡張されていく中、二〇〇四年に建設が着工された。イスラエルの人権団体ピースナウなどは、この工事を法律認可のない違法工事であるとして行政当局に問い合わせた。行政当局はこれを違法工事だとし、工事中止命令を出した。しかし、その後も工事は中止されることなく進められた。この現状に対しピースナウ、ベツレムというイスラエル人権団体は、イスラエル当局は違法工事に対する措置を何も行使しようとしないと告発。現地紙ハーレツもイスラエル住宅建設省と建設会社の癒着としてこれを報じた。そして、止むことない違法工事に対し二〇〇六月、ビリン村とピースナウは、メタテヤフー・イースト地区における入植地建設を違法であるとしてイスラエル最高裁に提訴した。即刻、最高裁は工事の即刻中止と既にある住居へ入植者が入居することを禁止する仮判決を出した。

 しかし、上記のような工事の仮差し止め命令が出ても、パレスチナ人が農地を自由に行き来することは軍の管理する壁によって阻まれていた。ビリン村の闘いは最高裁の最終判決に向けて動き出した。

 アブダッラーさんは言った「私の家はこの村の農家です。今、私たちの農地は壁の向こう側にあります。私たちは土地が返されるまで、闘うことを決めました。それは私たちの家族、子供たちが将来もここで働くことが出来る為なのです。わたしたちはこの土地、資源を拠り所にしていますし、将来もこの村に家を建て住んでいきたいのです。」この言葉の中に、上記のような植民地主義が横たわっていること、そしてその不正に対する闘いが決意されたことをビリン村のHP(http://www.bilin-village.org/ )を読みながら、私は再認識したのであった。

闘いの中で

ビリン村の人々は、孫の代まで最低レベルの貧困生活をここで続けるのか、住み慣れたこの地を出て行くのか、という現実を占領によって突きつけられた。しかし、非暴力闘争の中でこれを拒否していくという決意は固かった。当時の運動創設時をアブダッラーさんはこう振り返った。

「運動が始まるのは、イスラエル軍が最初に私たちに壁を建設することを宣言した時です。私たちは村の人間で会議を開き、壁の危険性について話しました。私たちは闘いを組織し、何があってもこれを止めさせなければならないとしました。人民委員会の会議は、この委員会に参加したいと思えば誰もが参加できます。あらゆる闘争の準備の取り決めをここで行いました。そして私たちは、この運動を支援してくれるイスラエル人や外国の平和団体とコンタクトを取りました。ビリンを支援してくれる人、パレスチナを支援してくれる人、占領に反対する人と。」

 そして、ビリン村の人々の闘いはオリーブの木を守るために木にしがみつき破壊を食い止めたなどとしてメディアに注目されることとなった。メディアに注目させるということは、会議で話し合われてきたことの実践であった。

「メディアは毎回の行動の度に『ビリンでは次に何が起こるのか?』と注目してきました。メディアは行動していく人々を勇気付けます。なぜなら、もし私たちの活動を誰も見ることがなければ何も意味がないからです。多くの人が私たちの活動を見ること、とりわけイスラエル人、政府、兵士に『私たちのしていることは何なのか?』ということを考えさせること。このことが私たちを勇気付けるのです。」

 さらにアブダッラーさんは話の中でこう続けた。「メディアによる報道は私たちに毎回の会議で「次に何をするべきか」を考えさせました。それに対し、兵士たちは驚き「どうすれば運動を破壊することができるのか?」ということになります。さらにこれに対し、私たちは「どうすれば兵士たちを驚かすことができるのか」を考え、毎週の金曜日、この場所でデモを続けました。いろいろな活動を考える為に会議をたくさん持ちました。その結果、ある時は没収された土地でサーカーをし、ある時はパレスチナの状況を訴えるために鉄の檻を持ってデモに参加したり、水を奪われている状況を示すために大きなたらいを打ち鳴らしたりしました。」

実践の中で培われていった創造性が運動を活気付けていったのだった。

占領下における弾圧

運動の当初から軍を主体とする弾圧は顕著だったとアブダッラーさんは言う。メタテヤフー・イースト地区の工事の進行にラフメさんらは危機感を感じていた。なぜなら、自分たちが農地に行くことさえ警備兵らによって妨害を受けていたからだ。これに対し、ビリン村人民委員会は没収されようとする土地にコンテナを建てた。しかし、翌日に「建設の許可が下りていない」としてイスラエル軍によって破壊された。入植地の違法建設については、告発を受けても何も成されない対応とは歴然とした「差」であった。その翌日、人民委員会は夜中に新しい建築物を建てたが、その10日後の200615日に破壊命令が出された。入植地の違法性を最高裁に訴えた前後に起こしたこの運動もまた、非暴力直接行動として銘記されたが、イスラエル軍の確個とした対決姿勢を窺わせるものでもあった。

その後も、農地に行く為の許可証所持を持たされることを拒否するなどの闘争を続けたが、20064月にイスラエル軍はビリン村の半分以上の農地を奪う形で鉄柵を完成させた。軍により24時間体制で管理されることとなった鉄柵のゲートを越えることは不可能となった。

 現地NGO職員として働きながら、ビリンのデモに1年近く参加し続けている日本人Nさんは占領の進行の速さについてこう指摘した。

「ビリン型の運動が拡がっていく可能性はあります。しかし占領は確固としたものになりつつあります。時間との競争なんです。そして、私が見た限りではこの競争に完全に負けています。今日もビリンと同じ形で闘争を続けるウムサラムナ村では壁のゲートが完成していました。3ヶ月前までは、まだブドウ畑が切り開かれただけだったのに今日ではアスファルトが敷かれ壁が設置されていましたよね。これではビリンみたいになってしまう。今、ビリンではパレスチナ人が鉄柵に到達する前に軍が激しい弾圧をします。つまりは、デモさえできない状況になってきているのです。」

 ビリンの人々への弾圧はデモの場だけではない。道路に検問所を設置し、村からイスラエルに働きに行くことを妨害され、イスラエルへ行く許可証の発行の拒否を受けた。デモのある金曜日には外出禁止令が出され、外国人のデモ参加にも妨害が行われた。夜には家宅捜査を受けさらなる逮捕者を出し、ヨルダンに追放された者もいる。

ビリン村の目指すもの

占領によるパレスチナ人に対する管理は近年、激しさを増している。西岸地区の主要な検問所は巨大化、ハイテク化され、壁の建設も当初の計画の半分以上を終了している。アブダッラーさんに今の政治状況をどう考え、この先、占領とどう闘っていくかについて聞いた。

今の政治状況をどう思うかについて。

「占領者、アメリカこそがファタハとハマスの争いを望んでいる。もしお互いの潰し合いをしていれば国家建設についてイスラエルに何も言わなくなるし、誰も壁を壊すべきだということを言わないし、入植地を撤退させるべきだということも言わなくなるし、囚人問題も取り上げなくなる。他のことも何も言わなくなる。私たちは人々に言うのです。私たちはファタハやハマスや他の党を作ろうとしているのではなくパレスチナの為に私たちの村を作るのです。わたしたちは協同したい。私たちはパレスチナ人に言いたい。殺し合いは止めなさいと。私たちの運動はパレスチナ人に内戦を止め、イスラエルには壁の建設を止めてほしいという別のメッセージがあるのです。私たちはハマスでもなくファタハでもありません。人民委員会です。占領に反対しているのであって、対イスラエル、対ユダヤ人でもありません。なぜならイスラエル人は私たちの家に来て食事をし、私たちと良い関係を作り共に闘っているからです。私たちはイスラエル兵にメッセージを送っています。人間として反することに反対しているのだと。私たちには占領が存在し、私たちの土地を破壊し入植者の為にオリーブを根こそぎにされ家が破壊されている。それを終わらせるのだと。」

この先、占領とどの様に闘っていくべきか、あなた意見を聞かせてほしい。

「第一次インティファーダは占領に対し、投石する以上の暴力を行使することはなく、人民の間には非暴力的な手段が中心となり、それが世界中にそのまま伝わりました。しかし、第二次インティファーダでは銃を使うことが人民の間で中心となってしまいました。ビリン村について言えば、私たちは私たちの戦略や考えを伝える為に多くの場所を訪れたいと思っています。私たちは私たちの運動を支援してくれたインターナショナル、イスラエル人と共に、パレスチナ人の村を訪れこれまでの経験を話します。既に訪れた村では、私たちはトレーニングを行い、私たちがやってきたことについてのカンファレンスを開きました。そこでは壁に反対することだけでなく、検問所、入植地、囚人解放など多くの問題に対して非暴力的な方法で運動ができることを話しました。私たちが行ったことを皆がすれば目的は達成されるのです。ビリン村の単独での闘いは多くの困難がありました。未来における私たちのゴールにはおそらく多くの時間が必要です。しかし、もしパレスチナの全ての村や町が非暴力運動を作ることを欲すれば、短い時間で目的を達成できるのです。それは何年とかいう話ではなく数ヶ月になるはずです。」

年九月四日、ビリン村に食い込んでいる壁の建設ルートの変更の最高裁判決がイスラエル軍に言い渡された。その中身には壁のルート変更の明確な時期は示されず、入植地も現状維持のままであるという根本的な問題を残している。しかし、この判決が占領と闘おうとする人々を勇気付けたことに違いはない。ビリン村の闘いはまだまだ続きそうだ。(了)




ラウドスピーカー


十月十六日から一九日まで連続して、在日中国大使館前で在日ビルマ人による抗議活動が行われた。今までの活動場所であった在日ビルマ大使館からの移動は、十一日、国連安全保障理事会がミャンマーに関して採択した初の声明で中国がアウンサン・スーチー解放要求を削除、トーンを弱めさせたことを受けてのこと。五〇人程が終結した中国大使館前では、ラウドスピーカーを持った人が「ビルマ民主化に中国政府は重要な」

と叫ぶと、それに対し抗議行動に参加する皆が


「責任あるぞ!責任あるぞ!」


と後に続いた。その後も同じように「スーチーさん、チユウさん、クンルーさん、全ての政治囚の釈放を」

「急げー!急げー!」

「独裁ミャンマー軍事政権に対し国連安保理の決議を中国政府は」

「妨害するなー!妨害するなー!」

「中国政府は独裁ミャンマー軍事政権を国際社会の圧力から庇い続けていることを」

「やめろー!やめろー!」

「ビルマ民主化活動は」

「勝利するぞー!勝利するぞー!」と声は鳴り響いた。

抗議は午後14時から16時まで続いた。終了後に在日ビルマ人のBDA(ビルマ民主化行動グループ)の人に話を聞いた。




中国大使館前1

Q今日から中国大使館前に移って行動されるにあたって何をお考えですか?

去年は中国、ロシアは安保理で拒否権を行使したが今回もそういった恐れはあります。しかし、今回、中国、ロシアは国連が採択した議長声明などに反対していません。中国とミャンマーですが、今は関係が強い。中国の力によってミャンマー軍事政権に圧力をかけることを考えています。

Qそれ以外のメッセージは?

たくさんあります。今まで中国政府は軍事政権に武器を売却してきている。それで、ビルマの国民は殺されている。それをやめてほしい。政界では(社会的にもビルマは)仏教がとても強い。仏陀の息子である僧侶や国民を殺すこともやめてほしい。それに、先ほど言ったように中国政府と軍事政権は非常に仲がいい。その結果、ミャンマーから天然ガスを買っている。これが武器と交換されているのです。

北京オリンピックはボイコットをする前段階として、最近国連のガンバリさんが派遣された時ですが、中国政府は国連決議内容の言葉にこだわりました。「強く」とかではなくて「残念」「懸念」に変えたのです。来月にもガンバリさんはまたビルマに戻ります。その時に中国政府の姿勢変わらなければ、中国に対する国際社会による経済制裁や北京オリンピックボイコットを向けた活動に動くつもりです。

他の人にも同じような質問をしてみた。

Q今日から中国大使館前に移って行動されるにあたって何をお考えですか?

今、ビルマ問題は国連の安保理にまで出てきました。しかし、中国政府は現在までビルマの軍事的なことに色々な協力をしてきました。ビルマ問題に関する中国の拒否権も続いてきました。今回の国連声明は中国からの圧力によって内容が和らげられた。ビルマ軍事政権は毎日のように拘束者を出すなど厳しい取締りを行っています。この様なことが続けば中国こそが責任を取らなければならない。そういった意味で中国大使館に来ました。世界で中国だけが軍事政権を支援しているのです。

Q軍事政権と中国の繋がりであなたが他に考える問題は?

ビルマにおける人権問題だけでなく、中国には色々問題がありますよね。チベット問題、アフリカへの武器輸出などがそうだと思います。今回のビルマの問題が国連で承認されれば、次は中国、ロシアもそうですが、自分たちが直接にかかえている人権侵害問題に焦点が向けられることを恐れていると思います。それ故に、軍事政権を支援しているということも言える。

また、ビルマには天然資源が豊富な状況にあります。中国はそれを求めているはず。軍事政権と繋がりを保てば安い値段でそれを手に入れることができると考えていると思います。

Q今回の抗議行動によって中国政府は動くと思いますか?

今までは中国の援助などで軍事政権は自分たちの体制を維持し悪い政治をしてきた。今回ビルマ問題が焦点となったせいで、そんな悪い政府を支援し続ける中国政府も国際社会は問題視すると思います。中国の軍事政権に対するあり方がこのまま続けば、来年の北京オリンピックのボイコットをすることを世界は考えます。中国も対外的にどう見られているかを気にしています。ビルマ軍事政権はいずれ倒れる。このままでは、そうなった時、中国とビルマの関係は良いことにはならないでしょう。それを考えて中国政府も動かなければならないはず。それゆえ、今回の問題では中国は拒否権を使えなくなるはずだと私は思う。

QNLDから中国への直接の働きかけを取ることはできているのか

ビルマ国内から直接には難しいと思います。ビルマ国内の中国大使館には軍事政権があるのでそちらも無理でしょう。LA(NLDの在外支部)の方からは働きかけはあると聞きましたが、詳しいことは知りません。ただ、中国政府は軍事政権側と民主化勢力側のどちらが政権をとっていくかを眺めているのです。

Qマンダレーなどを中心に中国はビルマの国内市場にかなりの進出をしています。それはどの様にして行われているのでしょうか?

軍事政権の人たちは中国人には文句は言わない。中国政府の援助の力が大きいからです。中国人がお金を払えば簡単にビルマの市民権、パスポートを得ることができます。中国人は麻薬関係のビジネスを行っているという。ビルマ北部にはそういった所がたくさんあって、軍事政権のコマンダーは賄賂を受け取り、それを黙認している。

Q華僑の人達が投資によって会社をビルマに作り、中国人たちを国内で大量に雇い入れている。その中に麻薬産業のような地下市場もあるということでしょうか?

そうです。それは本当に起こっている事なのです。

マンダレーの中国人は、軍事政権の人間と仲良くなり、最初に麻薬などで儲ける。それから、ビルマ国内の物を買って、中国に送っていることをしている。軍事政権の人間は賄賂を受け取り、やりたい放題させている。そして、中国政府から銃など武器を買っている。

Q少数民族が国境付近で銀、ヒスイ産業の為に強制労働させられていると聞きますが、それに中国企業も関わっているのでしょうか?

そう。ビルマに対し、欧米諸国は投資することを止めています。だから、ビルマ国内に会社を立ち上げているのは中国の財閥です。アセアン諸国のもたくさんありますが、中国ほど大きくはない。石油(天然ガス)やひすいなどの会社も中国などです。

QSPDC(軍事政権)に対する欧米からの援助がないせいで、中国に依存してしまっているのではないか。欧米諸国の経済制裁は本当に良いことなのでしょうか?

世界において、軍事政権には友達がいない。昔はアセアン諸国も軍事政権もつながりを持っていましたが、今は自国民を殺していることが知れ渡り、関係を断った。中国が支援しなければ、軍事政権はすぐに倒れるでしょう。だから、私達は中国政府にプレッシャーをかけることは必要だと考えている。今の日本のODA援助も国民には直接には届いていません。人材教育も、例えば民間団体所属とされたビルマ人医師、技師などの人材教育を日本政府は日本国内で行っているが、その教育を受けたビルマ人はビルに帰国すると、軍事政権に戻っているのです。軍事政権が自分たちの組織の人間を民間団体と装って留学させているのです。実際、人道援助がまったく経たれれば、民衆もちょっと厳しくなるかもしれない。しかし、軍事政権がそれによって変わることを考えている。そうしなければ、軍事政権の人権侵害がこの後も続くことになる。

以上を中国大使館前行動の報告に代えさせていただくが、中国大使館前に行く前日の月曜日にヒューマンライツナウという新しく立ち上げられたNGOの講演会でも話を聞いた。講演者は在日ビルマ人で、本国にいた時にはビルマ少数民族であるカチン族として様々な人権侵害を受けたという。少数民族の置かれた状況を聞くことができた。

カチン族とは、ビルマ北部で中国にもまたがる地域シャン州に住む民族。1948年のビルマ独立後、カチン族の人々はビルマ政府から弾圧を受けた。この結果、カチン族はカチン独立機構を結成。今日話をしてくれた人は、叔父がこの少数民族の団体の活動家で弾圧後、タイへ亡命したという。自分が小さい頃、家が家宅捜査され、母親も拘束されたことがあった。その原因と思った大人の政治活動に当時は疑問を持った。しかし、カチン族とは何も関係ない村で自分の中学の先生がビルマ軍に殺害された。当時、軍はカチン族のいない村にも強制家宅捜査を行い、罪もない人を逮捕殺害していた。その事件がきっかけで自分も政治活動に目覚め、高校生から活動を開始したという。

歴史的に言えば、ビルマ独立は1948年の前年にカチン族、シャン族等も含めたアウンサンが主導したパンドン協定により連邦制が1958年まで続いた。しかしその後、2年間の選挙管理内閣を経て軍事クーデタが起こり、ネウィンが軍事政権を掌握した。その後、少数民族による対する迫害は始まり、カチン族は独立運動(KIO、KIA)が始まった。それまでは、カチン州自体はヒスイや金など資源の豊富な地域で経済的にも自立した地域だった。しかし、軍政の管理により中国の進出によって中国労働者が町にあふれ、資源はごうだつされていったという。地元住民の就業率は低下し、そこからくる夢のない生活はアヘン栽培がきっかけで麻薬に溺れる者が激増した。体を売る女性が増え、HIVによる死亡者は内戦(軍政と独立運動)による死亡者よりも多いという状況になったという。政府は医療や学校制度を少数民族の州には確立しなかった。結果的に無料学校である仏教徒学校にクリスチャンの子供たちを通わせ改宗も行った。貧しい子供たちは中国への人身売買の憂き目にもあった。

このように少数民族の人も中国と軍政の狭間に置かれ大変な人権侵害が受けたことは事実だ。中国とビルマのつながりは上部構造である経済的癒着だけでなく、直接的な人権問題としても表層化している。

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「ビルマの人たちはなぜ立ち上がったのか?」
       
  10月15日(月)午後6時半~   
        ヒューマンライツ・ナウ現地調査報告会 (東京)
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2007年8月15日下旬からビルマ全土に広がった、人々の民主化・自由
を求める平和的なデモが、軍事政権の残忍な武力鎮圧により再び封じ込め
られました。デモに参加した多くの人々が犠牲になり、また現在も拘束され
続けています。
 国際社会が軍事による人権侵害をいっせいに批判する中、今後の行方が
注目されています。
 ヒューマンライツ・ナウ「ビルマチーム」のジョアンナ・ストラットンは、6月下
旬から7月半ばまでビルマ国内に滞在、その後9月下旬まで、ビルマ・タイ
国境メソットにおいて人権活動を行いました。9月中旬、ヒューマンライツ・ナ
ウ「ビルマチーム」の他のメンバーが合流し、人権団体との懇談、ビルマ国
内の人権状況の視察を行いました。
 ビルマの人々がこれまでどのような人権侵害に苦しんできたのか、また
現在の状況はどうなっているのかなどを報告する会を以下のとおり開催しま
すので、是非みなさまご参加ください。
 私たちにこれから何ができるのかも議論する機会にしたいと思います。

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日   時: 2007年10月15日(月)

時   間: 午後6時30分~
        
場   所: 青山大学総研ビル9階第16会議室
        http://www.aoyama.ac.jp/other/map/aoyama.html
        青山キャンパス正門を入ってすぐ右側のビル
        (入口に「人権研究会」の表示あり)

主   催: ヒューマンライツ・ナウ、ピースボート

報 告 者 :  ジョアンナ・ストラットン
 (ヒューマンライツ・ナウ・ビルマチーム、ピースボートスタッフ)



 伊藤和子、石田真美、大坂恭子
 (ヒューマンライツ・ナウ・ビルマチーム、弁護士)

資 料 代 : 500円 (HRN会員の方は無料)

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連続公開講座「中東はどこへ」第2部
 ┏━━━━━━━┓
■□ 連続公開講座 □■
┗━━━━━━━┛(今週の土曜日です)

第38回 パレスチナは今

講師 田原 牧氏(東京新聞・中日新聞特別報道部記者)
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)客員研究員
季刊『アラブ』<日本アラブ協会発行>編集委員

ガザ地区は実質的にハマス支配になり、西岸地区はアッバース主導のファタハ
支配となったパレスチナ。アメリカ、イスラエルが支持するアッバース体制に
対して経済封鎖状態で困窮するガザ地区。パレスチナはどこへ行くのか?
今回は、カイロ特派員などを経られた中東経験豊富な田原さんに、パレスチナ
の重要人物へのアラビア語でのインタビューでのエピソードなども踏まえながら、
「パレスチナの今」を鋭く分析・解説していただきます。
著書に『ほっとけよ。―自己決定が世界を変える』(ユビキタスタジオ2006年)、
『ネオコンとは何か』(世界書院2003年)、『イスラーム最前線』(河出書房新
社2002年)などがあります。

皆様のご参加をお待ちしております。

タイトル:「パレスチナは今」

講師:田原 牧(東京新聞・中日新聞特別報道部記者)

日時:2007年10月13日(土)
18時30分~20時30分(開場18時)

場所:中野区立商工会館 大会議室
http://www.mmjp.or.jp/rmc-jyosai/map/nakashoko.htm

〒165-0026 東京都中野区新井1-9-1
電話 03-3389-1181

JR・地下鉄東西線中野駅より徒歩7分

参加費: 一般800円、会員500円 

予約の必要はありません。直接会場までお越しください。

主催:日本パレスチナ医療協会 (JPMA)
PHS:070-5072-7278
電子メール:jpma@mx6.ttcn.ne.jp
ホームページ:http://www1.ttcn.ne.jp/~jpma//

~日英語フィルム&ディスカッション・グループ~
「スプリング」 2007年10月のイベント

■日時:10月14日(日) 16:00- (終了20:00頃)
■上映映像:ドキュメンタリー
「君が代不起立」(英語字幕版、87分)

■ゲストスピーカー:河原井純子さん(養護学校教諭)
■市野宗彦さんの根津公子先生に贈る詩
「その時、君は思い起こすだろう」 朗読 など

上映後、東京都の日の丸掲揚・君が代斉唱強制通達に抗議し、
「不起立」を続けて数度にわたり停職を含む懲戒処分を受けて
いる河原井さんにQ&Aセッションで会場の質問にお答えいただ
くほか、解雇の危機にある根津公子さん(音楽教諭)に贈られ
た詩の朗読、さまざまな国から来ている会場の参加者全体での
自由討論(ディスカッション)を行います。
みなさまお誘いあわせの上、お越しください。

■会場:下北沢ブリティッシュ・パブ 「ヘブンズ・ドア」
03-3411-6774

国連大学前(東京青山)のハンガーストライキは10月2日、2日目に突入した。

ここでの彼らのアピールは何度かなされてきたのだそう。


頑張れガンバリ


在日ビルマ市民労働組合ってどんな組織なのですか?-
FWUBCは日本で働くビルマ人を助ける目的で設立させました。
なるほど。-

てな感じで在日ビルマ労働組合の幹部さんにお話を聞いてみた。

Q国連特使ガンバリさんに関して

国連の特別顧問ですが、昔はナイジェリアの外務大臣でした。今回の彼に対する期待(軍事政権とスーチーさんとの仲介)は、世界中からはいつもよりも大きなプレッシャーがかかっているので情勢を変えてくれると思います。一番大きいのは中国の影響ですよね。中国も動き出しているので変わると思います。私たちの側、つまりは(外圧によってではなく)軍事政権の側から変わらなければならないのは皆がわかっていますが、軍人の方も変わると思います。軍事政権を支持している人も何も知らないでこの政権を支持している人もいます。しかし、今回はお坊さんが殺されました。以前も殺されましたが今回のようにひどくはなかった。軍人さんの方もお坊さんたちを大事にしているので、国民側のことを思っている人もいると思います。時間がかかると思います。軍人の方も変わると思うのです。絶対に。今回のデモの人たち、外国からのプレッシャー、メディアの人たちで今回は変わると思います。ガンバリさんの正確な政治的立場はわかりませんが、上手に外交ができる人だとは思います。

Qスーチーさんについて

スーチーさんは軍事政権を倒したいのではなくて国を変えたいのです。軍事ではなく民主化をさせたいのです。民主化をさせたいのであって、けして軍人を嫌っているのではないということは大事なこと思う。軍事政権にリベンジするのではなく、今までのことは終わったこととして、これからの民主化の為に軍人を含めて皆で頑張りましょうというのがスーチーさんの立場です。私が彼女に関して言いたいのは、自分の為にということはけしてないということです。自分の夫が外国に行ってしまっても国のことを考える為に自分は留まっているということ。軍事政権が終わったとして、少数民族の人々を含めて国民全員が信用しているのは彼女一人しかいません。国がイラクやユーゴスラビアみたいに国がばらばらにならないように、ビルマが一つにまとまることをちゃんとやってくれる人、できる人はスーチーさんしかいません。

Q若い軍人さんたちの考え方はどのようなものですか?

軍人は上からの命令を聞かなければならない。私たち一般人は上から何かを言われれば考えることはまだできるが、彼らは考えることはあまりないと思う。上から殺せと言われれば殺すしかない形。そういう形。軍はどこの国も同じではないが、ビルマでは今もそういう軍隊だと思います。1976年のことですが、その時ビルマではちょうど学生たちのデモが行われていた。その人は6ヶ月前に軍の大学から卒業したばかり。軍の大学の先生はヤンゴンの大学では学生たちが悪いことを色々しているから、殺しなさい。だから早く行ってとその人に言いました。彼はそれを聞いて判断して出てきた。それでその時、学生運動をしていた人には軍人さんのお姉さんもいた。彼女たちは軍人である彼に、あなたの先生たちは嘘を言っていると呼びかけた。ヤンゴンの学生たちは全然悪いことをしていないよと言った。でも彼は信用しない。私たちの先生(軍の大学)は嘘なんていわないと。私のお父さんの所にも来たので(今回、話をしてくれた人の父親は大学の先生)教えたが信用しない。じゃあ一緒にそういう場所に行こうということになり、ビルマのヤンゴン大学に入って学生たちが何をやっているかを見せた。それで、自分たちの先生が嘘を言ったことを悟り、信用した。だから、(軍の)上の偉い人たちは、自分のことばかり考えている。表向きには国の為と言っている。銃で国民を脅しているのです。それが変わるのは難しい。

ただ今回、上の人が下の人に「お坊さんを殺せ」と言っても何もしていない。だから、言うとおりに従う軍隊を出動させ、言うことを聞かない軍を他の場所にやっている。軍の中でも軍事政権のことを聞く軍と国民の立場の軍と分かれている部分もあると思う。だから、難しいと思うが変わると思う。わたしは、軍から変わらなければいけないと思う。国民は何も持っていないのだから。(以上話は終わり)

話を聞いたあと、彼らが掲げているスーチーさん他、肖像写真の人たちのことを聞いて回った。多くの人が過去にもあった民主化デモへの軍の暴走を知る(1988年)88世代の運動のリーダーの肖像であった。10年以上も獄中で過ごし、出てきた矢先に今回のデモで再び捕まった人もいる。

活動家の肖像


48時間のハンストは2日の18時を以って一応の終了をみた。



1日の国連大前のハンストには本国で殺された僧侶の写真が届いた。Nga Moe Yeik川という小さな川に流れ着いたのだという。

虐殺された僧侶

■流血のヤンゴン 実際の死者は2百人、逮捕者7百人を越す
9月27日の情勢  ※その他ビルマ情報ネットワークは色々情報有り
http://www.burmainfo.org/politics/88GSG_200708.html →youtube映像多数有り。


生地を腕に巻く







今日の抗議行動で、彼らは僧侶の服の生地を腕に巻き街頭で呼びかけを続けていた(2日の行動の報告は翌日に続きます)。

国連大学前(東京青山)で街頭抗議を続ける全ビルマ学生連盟の活動家に話を聞いた。



ビルマ人国連大前


Q昨日のデモ行進からの流れを教えてください。

今回は平和的なデモに対し軍事政権は武力で弾圧した。それをやめるよう、訴える目的で私たちはデモ行進をしました。そして、ビルマの問題を国連安保理も取り扱ってもらうようにと私たちは国連事務所の前で48時間ハンストを行っている。デモ行進は、昨日の日曜日、五反田南公園からビルマ大使館までを約600人(asahi.comではその半分を発表)のビルマ人と日本人が参加しました。国連大学前に着いた時、国連大学キャンパスの中ではセキュリティー上できないとされた。それでも私たちの一番の希望は国連安保理がこの問題を解決へ向け取り組んでもらうこと。昨日は警察とも、国連事務所の人たちとも交渉できないということで少しもめた。結局はその後、交渉して歩道前のスペースをもらってやっている。

ハンガーストライキに関して今考えていることは、国連特使ガンバリさんの今日の記者会見(軍事政権、スーチーさんとの面会後)の結果次第で続けるかどうか決める。国連決議で軍事政権に対する圧力を出すことが一番いいことだと考え、そのことが、軍事政権も国民を殺すことをできなくすると考えています。

ハンストは国連安保理に僕たちの気持ち、要求が届いてほしいということを願ってやっている。在日ビルマ人の場合はここでやるべきだと思いやっている。

Qビルマの在日連帯運動について教えてください。

1988年にビルマ国内で学生運動が始まって、その学生運動から端を発して、全ビルマ国民が軍事政権を倒し、民主化を求めるデモ活動が起こりました。しかし、国軍が軍事クーデターを起こし政権を握ると、国内で活動していた国民や学生らは武力的に弾圧された。弾圧された人々の中には捕まった人も大勢いるが、色々な外国へ多くの人が逃れました。一部は日本にも逃げてきた人がいた。それ以外にも日本に留学へ来た人、観光できた人、出稼ぎできた人たちなど色々な人がいます。在日ビルマ人は外国にいて、外国の力を探して一日も早くビルマが民主化を達成できるように頑張りたいと考えています。多くの団体が作られました。学生団体、国民民主連盟、少数民族など30以上の団体がある。目的はビルマが民主主義の国に変わるために日本政府が軍事政権に圧力をかけるようにする。または日本政府からの軍事政権に対する援助をなくすようにするということです。日本にある国連事務所や外務省、国会(議員会館?)などに行きビルマの問題に対して日本の政府、国民の力を貸してくださいという活動を色々な団体が今まで行っていました。

今回の問題においては、在日ビルマ人が結成した30団体以上の人たちが一つにまとまってやっています。今回は物価の上昇で多くの人たちが生活に困っていた。その困っていたことを88世代の学生運動家の指導者たちが声明文を出して、軍事政権に対して物価の上昇、ガソリンの物価急騰を抑えてほしいという内容です。次の日には500人規模のデモ行進が始まりました。そして、国民たちがそのデモ行進に参加してきました。
今回のデモきっかけは、反政府ということではなく生活の改善を要求したもの。しかし、軍事政権は、そこに参加した学生運動のリーダーたちや国民を不法的に拘束し弾圧した。それに対し、僧侶たちが見て見ぬふりをできない、自分たちの国民が困っているから自分たちが国民と軍政の間に交渉に入り、軍政に対し国民の生活が困窮していることを解決してほしい、国民の声に耳を傾けてほしいということでデモ活動に加わったのです。しかし、弾圧、殺されています。

在日の人々には、私もその1人ですが、88世代で学生運動をして捕まる前に日本に逃げてきた人、少数民族の人々、国民民主連盟の人々がいます。

Q軍事政権に本国で家族が殺された在日のビルマ人はいるか

もちろんいます。さっきの人・・・全ビルマ学生連盟の外交委員会日本支部の担当の人ですが、その人はお父さんがビルマで捕まり、釈放後、その影響で2,3ヵ月後に亡くなりました。在日活動家の中にはビルマでお父さんやお母さんが政治家をやっていて捕まって死んだ人もたくさんいます。

Q軍政発表より今回の実際の犠牲者はもっとたくさんいるといわれているが

今回の事件で、正確な情報とは必ずしも言えないが、各方面で言われている最初の1日での犠牲者は30人以上と言われていました。しかし、政府は日本人ジャーナリストを含めて9人が死亡したと発表した。軍事政権は昔から事実を発表したことはなく、嘘を言っている。軍事政権が9人と発表したのであれば、実際の死亡者はそれ以上なのではないでしょうか。

ちゃんとした情報を得ることはできません。日本では現地にいる家族との連絡も取れていないし、日本で目立つ活動家も電話を切られたり、盗聴されたりしているとも聞きます。直接に電話するということはできないのです。

Q目的は軍事政権を打倒することにありますか

そうですね。軍事政権が続けば国民の苦しみは増えます。軍事政権が倒れ民主国家にならない限り、人権問題である不法的殺害、不法的逮捕がある。これからも続いてしまう。これを正すには、軍事政権を倒し自由になることです。一番の目的は軍事政権を倒し、民主国家になることです。

Q軍事政権を倒すことは難しいと思うが、方向性としては話の交渉というものなのか、あくまで軍事政権を倒すというものか。

私たち一番の目的としては、1990年に総選挙をやった時に、国民が選び圧勝した国民民主連盟などの議員たちがいますよね。その議員たちと今統治している軍事政権が精力的に対話をして、政権を分割することをしないで、これから、国をどの様に成立させていくのか、作っていきましょうかという話し合いをすれば国は発展していくと僕たちも思っています。

国内の問題なのだからお互いの対話の中で解決するはずだと思っています。対話によって解決されないと、今回の事件のように国民が死に、血が流れるという悲しみが出てくる。そういうことにならないように、お互いに精力的に対話をして国を民主主義に変えるために力を合わせて頑張ろうと僕たちは今まで求めています。しかし、軍事政権はその対話をしないで一方的に政権を握って、自分たちの警察、軍隊を作ってこれからも軍事政権を続けていこうとしている。だから、私たちは国際社会である国連、日本、アメリカ、EUというその人たちが外国として軍事政権が対話するように圧力をかけてくださいという活動をしているのです。私たちの目的は対話であり、民主主義を作ることが一番いいと思っている。血も流れないで。それが皆にとっていいことだと思う。

Qスーチーさんはあなたとってどんな人ですか

立派な人だと思います。自分の人生を捨てて、ビルマ国民の人生を助けようとする、なかなかそういう人はいない。簡単にいえば、頼りにできる人。尊敬する人。そういう色々なものを持っている人だと僕たちは思っている。民主主義のアイコンです。スーチーさんは少数民族のことなども考えて指導してくれた人。その指導で、国民は、民主主義をどこかの国からもらう、コピーするということではないことを理解した。国内の国民自身が、初めから、民主主義を育てること、それをスーチーさんが国内の中の色々なところに行き、国民に会い、指導しました。民主主義を作るにはどういう生活をするとか、民主主義がほしいのであれば責任がある、それはどの様な責任を持つということなのか、目的を果たす為の基本的なことを国民に教え、心の中に民主主義とはどのようなことを教えてくれたので尊敬するのです。