先日、小学校の音楽発表会がありました
我が子の小学校は、楽器をする子の決め方がオーディションになります
自分の好きな楽器を選んだ際、必要な人数より多い場合は、オーディションをして、先生が楽器をする子を選ぶという方法となっています。
長女(4年生)は、「この楽器やってみたいな」と楽器オーディションに参加しました。
たまたま今まで、楽器で参加したことがなかったので、親としても「楽器を演奏している姿が見れるといいな〜」と思っていました
本人は昨年の失敗 (1人しか選ばれない楽器を選び、 落選) を活かして、 4人選ばれる楽器を選び、 5人が立候補したので、 1人が楽器から外れるという状態でした。
「え〜
その1人になったらかわいそうだな。」 と思いながらも本人のペースを見守りました。
本人は、割とのんきに 「まぁその楽器ができなかったら鍵盤ハーモニカでもいいし。」といった感じで、 「絶対楽器をやりたい
」という感じでもない様子で、「大丈夫なのかな〜
」と心配をしていました。
そして、あまりに家で練習する様子もなく、 「練習してないけど、大丈夫なの
」 と時々聞いても、「学校でやっとるから大丈夫よ。」 と言っていたので、様子を見ていました。
ついにオーディションの前日になったので、 家で「ちょっとやってみて〜」とやってもらうと、あまり演奏できてなくて、ビックリの私
さすがに「ここは、こういうリズムだよ。」 とさ少し教え、 一緒に一夜漬けの練習をしました。
当然、完璧には程遠い仕上がりで、オーディションを終え、本人に「どうだった
」と聞くと、「うん
ママと前の日に練習したし、 けっこう自信あるんよ
」 と言っていたものの、音楽の先生からは「練習あまりしてなかったでしょう」と言われたというので、「これは、 落ちるかもしれないな…
」と内心思っていました。
そして、結果は、やはりダメでした〜
本人もバツが悪そうに「ダメだった
」とその日は、悲しそうにしていました。
ここで問題です
アドラー流子育て「勇気づけ」 を実践するとしたらこの時親としてどのように考えるのがよいでしょうか
① もっと前々から無理にでも家でしっかり練習させて、本番に挑ませるべきだった。 次は親としてできる限りのことはしよう。
② もっと気にかけて、練習するように伝えればよかった。 次から練習して本番に挑めるようにしっかり声かけをしよう。
③ つらい思いはしたけど、 「失敗」 を経験できてよかった。 長い目で見たら本人の経験として、ためになったから次からも本人を見守ろう。
どれがアドラー流子育て「勇気づけ」 に近い考え方なのでしょうか
明日続きを書きたいと思います